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続、他人に期待しない
以前も他人に期待しない、と書きましたが改めて、“親“であっても期待しない方がいいと感じました。
現在、父は実家に一人暮らし。昨年母が亡くなったので、片付けを父が細々とやっています。
兄がそこへ行き、汚い家の大掃除をしたと報告を受けました。
文句多めで。
「この暑い中、一生懸命やったのに、水の一杯も出てこない」
「それどころか(父が)一切手伝わずに、どこか他人事でずっと携帯電話を触っていた。信じられん」と、憤慨していました。
◯結局は期待値が高いだけ
兄の言いたいことはよく分かります。私も昔は同じような思考回路をしていました。
しかし、今は全く違うことを考えます。
ないものにフォーカスしても意味がない。
あるものにフォーカスした方がいい。
手伝わない父、動かない父にフォーカスしても文句が出るだけです。感謝の言葉もないでしょうし。
それよりも、父はこんな汚い家でも元気に暮らせるほど元気なんだな、あぁ父が元気でいてくれるのはせめてよかったと、あるものにフォーカスした方がいいです。
さらに。
「親子と言えど他人。他人に期待してはいけない」
「そもそも他人には期待しない」
これは、冷たく聞こえますが、全くそんなことありません。
期待外れだった場合の自分への衝撃がないですし、こちらの方が相手の生き方・選択を尊重しています。
私は、この考え方を手に入れてから人生が変わりました。とても建設的な考え方です。
昔は私も、父にも母にも、よく腹を立てていました。
何に?と振り返ると
結局は“ない“ものにフォーカスして、期待値が高かっただけなんです。
◯相手は変わらない覚悟を
かつては、相手が変わるかもしれないと、何度も説得を試みたことがありました。
私の場合は、特にその思考が強く、同僚・上司・恋人・友人、お店の人や、その営業スタイルにまで、いろんな人の欠点を“変えたい“と思い、説得をしていました。今思えば、おこがましいことです。
特に「親」なら聞いてもらえるかも!と思い、話し合いをし、お願いしました。
幼い頃なら…
・お願いだから旅行に連れてってほしい
・ダメなところばかり指摘しないで欲しい
大人になってからは…
・家の中をゴミ屋敷にしないこと
・干渉しすぎないで欲しいことなど。
説得し、お願いしました。
結果、変わったか??全然変わりませんでした。
結局お願いはできるけど、そこに期待はしない方がいいとわかりました。
だって何をどうお願いしても変わらないんですもの。
相手はどうせ変わらない。
この前提があった方が、こちらが先に数段ラクに切り替えられます。
◯相手をコントロールすることもできない
兄は、動かず何もしない父に対し「もっと掃除をするように」とか「もっと社交的になるように」とプレッシャーをかけています。
でも、そんなこと言ったところで、その通りには動きませんよ、と妹の私は思っています。人は変わらないことをわかっているから。
兄はそれを止めるどころか、叱咤激励という形で声かけをし、父を様々な形でコントロールしようとしています。しかし、それも不可能です。
コントロールしようと思っても、相手はコントロールできません。
例え親であっても、です。
私も昔は前述の通り、人の欠点を直したいと、説得することで相手をコントロールできると思っていたところがありました。これも今思えば、おこがましい限りです。
それもすべて、頑なに変わらない両親を見て、諦めました。
この悟りを学ばせてもらったことは、今は大きな財産です。
◯まず自分から
「相手を変えたいなら自分が変わると早い」と言うのはその通りだと思います。
この数年で私が大きく変わり、それに呼応する形で、父の態度も大きく変わりました。
感謝の言葉を口にしたり、優しい人になったのです。驚きでした。
大前提として、相手は変わらないし、コントロールもできない。私の思うようには動いてはくれない。だから、最初から期待しない。
こう考えるようになって、自分が変わり、楽になりました。
これは実に前向きで、建設的で、健康的な考え方。
圧倒的に生きやすくなりますよー!
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