【取材】国境なき医師団 産婦人科医森田恵子医師が見た妊婦たち
2024年を振り返ると「ようやく願いが叶った」と思ったのが、子どもの頃から興味があった発展途上国で働く日本人の取材だった。
たまたま昨年末に川越FMに出たおかけで、森田恵子医師を紹介してもらえた。「ずっとこういう人を探してたんですよ!」と心の中でガッツポーズ。
小学3年生の時にマザーテレサの伝記を本屋で立ち読みし、その場で感動してボロボロ泣いて、クタクタになった本をそのまま棚に戻して帰ったという思い出がある。中2の時にはゆとり教育前の実験授業を行い、一人で黙々とユニセフについて調べて学年の前で発表するなど、平和のために何かしている人や活動を知ると昔から心をグッと掴まれるのだ。
当時の私のような子どもは今もどこかにいると思う。ということで、人道支援に身を捧げる人を取材したいと思っていた。
今年、ようやくそのチャンスが巡ってきた。聞けば森田さんの出身地も私の住む地域から案外近く、同学年という事実も知って衝撃だった。隣の市で同じ頃にランドセル背負ってた女の子が医師になり、今では発展途上国で妊婦を支えている。「こんな立派な人が近くにいたなんて…」と勝手に思いを募らせてしまった。
当日、カフェで待ち合わせをし森田さんはキャップ帽とTシャツで登場した。気さくで、物おじしない明るい女性。わざと医者っぽい雰囲気を消しているようにも見える。
南スーダンに赴任した時の話をしてくれた。一夫多妻制で、女性一人で8.9人の出産もするような国。妊婦や子どもが亡くなるケースもあり、森田さんもその場面に遭遇した。死亡が確認され、残された家族に報告する際はとても苦しい気持ちになったが、「彼らは日本人よりも死が身近でどこか人が亡くなることを淡々と受け入れて、私たちにも『神のご加護を』と言ってくれました」と話していた。
双子、三つ子と取り上げ、しまいには四つ子だったこともあったそうだ。生まれるまでお腹に何人入っているのかわかっていない妊婦もいた。
一緒に働く医師たち、スタッフも皆それぞれ事情がある。日本みたいに安心安全に教育を受けて医学部を卒業できた者ばかりではない。自分の国が危険に晒されれば、他の国に渡って勉強し医師免許を取得した。紆余曲折を繰り返し、互いの国の幸せを祈って治療にあたっている。
森田さんは現在、日本に戻っているがまた渡航する準備をしている。次はどこに行くのか、どの国に行ってもハツラツと現場に立つのだろう。
まだ掲載になっていないが、森田さんの紹介で出会ったNPO法人アクセプト・インターナショナルの山崎琢磨さんにも取材ができた。「テロリストと対話している」という目が飛び出すようなことをさらっと話す山崎さんの取材も心に響いている。
8月と10月に2回もユニセフハウスに行ってツアー取材をしたのも貴重な時間だった。どうにかこうにかこれ以上悲惨な現状が広がらないよう、今日もどこかで大人たちが立ち上がっている。そんな様子を私は微力ながらに発信していきたい。
人道支援関連で取材させてくれる方がいましたらぜひ。