言葉のいらない世界
高橋優さんが「福笑い」という曲の中で、こう歌っている。
きっとこの世界の共通言語は
英語じゃなくて笑顔だと思う
120%同感である。
しかし、僭越ながら、「踊り」や「ダンス」を追加したいと思う。
一緒に踊れば、言葉を交わさなくても一瞬で仲良くなれてしまう。
わたしはダンスは得意じゃない。
さらに言うと好きでもない。
中高生のころは選択科目でダンスを選んだ。
理由は、他の競技よりラクそうだから。
特別な道具がいらないから。
とりあえず身一つあればいいから。
グアムのナイトマーケットでは老若男女が踊っていた。
踊っていたおじいちゃんがわたしたちに話しかけてきた。
何を言っているかイマイチ分からなかった。
でも全身で楽しいことを表現していた。
家族のスマホでわたしたちとの記念ショットを撮っていた。
一瞬を生きる達人のおじいちゃんは絶対に写真を見返してないと思う。
セブ島のホテルディナーでスタッフが披露するショーがあった。
友だちはスタッフの輪の中に入って踊り始めた。
最初わたしは友だちの撮影に集中していた。
別に踊らなくても見ているだけで十分楽しいと思ったから。
けれど、最終的にはスタッフに呼び込まれ踊り出してしまった。
一瞬の楽しい時間を過ごすためには言葉はいらない。
とりあえず踊ればいい。
それこそ身一つでできることなのだから。
とはいえ、南米を旅したときには、言葉の壁ばかりだった。
スペイン語を全く話せないわたしにとっては困ることもあった。
ペルーに入国するときに、係員の方ははすごく心配そうな顔をしていた。
そして「スペイン語しゃべれるの⁇」と尋ねた。
わたしは堂々と「少し」と答えた。
(挨拶と数字を詰め込んだだけ、少しというのもおこがましいレベル)
係員はもっと心配そうな顔になった。
(そりゃそうだ)
マチュピチュの麓のホテルで、用事があったので、スタッフに英語で話しかけた。
その場にいたスタッフは英語を喋れない方だった。
そして、わたしは指差し会話ブックを持ち歩いていないタイミングだった。お互いに言葉を介してコミュニケーションを取れないことを悟った。
そのスタッフは、別の英語のできるスタッフをすぐに呼んでくれた。
言葉が絶対に必要な場面では、共通言語を持っていないことは、やはり不便だ。
ウユニ塩湖のある町で、夕食をとるために、とあるレストランへ行った。
近くの席に3,4歳の男の子がいた。
地元人と思しき格好をしていたので、ここではボリビア人と仮定する。
ボリビア人の男の子はとても人懐っこい笑顔を向けてきた。
笑うと覗く乳歯は虫歯でいっぱいだった。
彼は近くにいたわたしに話しかけてきた。
当然ながらスペイン語で。
わたしは大人だからすぐにわかった。
わたしたちには共通言語がないことを。
言葉がなくても、子どもに楽しんでもらう方法は?
わたしはiPhoneの写真フォルダに入っている、動物写真を男の子に見てもらうことにした。
マチュピチュで撮影したアルパカを見た彼は目をキラキラさせていた。
スペイン語(多分)で興奮気味に叫んでいた。
調子に乗ったわたしは、動物写真の大放出祭をはじめた。
こうして、わたしたちは共通言語がなくても、楽しい時間を過ごすことができた。
絵本のページをめくるときにふと思う。
文字を読めてしまうことは、絵本の世界に没入するにあたって、邪魔な能力かもしれない。
絵を見て、誰かの声を聞いてその世界に入り込むこと、つまり読み聞かせでしか体験できない世界がある。
言葉が巧みに使えてしまうことも、時と場合によっては、いらない能力かもしれない。
言葉に依存しきったわたしは、言葉以外に表現する方法があることを忘れてしまいそうになる。
言葉や文字が失われた世界。
活字中毒のわたしには想像しただけで、つらい世界だ。
そして、多くの人にとって不便な世界。
言葉のない世界でのコミュニケーション。
あなたはどれを選ぶ?
笑う、踊る、歌う、描く…。
あなたのリストに「動物写真の大放出祭」を加えてもらえたら嬉しい。
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わたしが3歳のころのおはなし↓
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自分ストーリー
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