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レイチェル・ハーツ『あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか』を読んで:「嫌悪感」の文化依存性と進化心理学的説明のちぐはぐさ

レイチェル・ハーツ『あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか』を読んで、違和感があった部分があったので、それをメモしておく。

目次は次の通り

  • 1章 さあ、食べよう

  • 2章 嫌悪する瞬間

  • 3章 脳における嫌悪感

  • 4章 細菌戦争

  • 5章 不快なのは他人

  • 6章 ホラーショー

  • 7章 性欲と嫌悪感

  • 8章 法と秩序

  • 9章 嫌悪感が教えてくれること

この本は嫌悪感(disgust)に関する心理学的な知見を紹介する本である。目次からわかるように、かなり雑多にトピックを並べて、そのトピック毎に関連する話をして、ところどころ、タイトルの「なぜ」に対する答えっぽいものが与えられる。
面白かったし、嫌悪感や感情に関心があるなら勧められるものだが、全体として一貫したストーリーがあるようでないようで、もうちょっとまとめられなかったのかと思わなくはない。

私が違和感を持ったのは、この本で主張される二つの主張である。

  • 文化依存性テーゼ:嫌悪感は文化依存的、人間中心的である。

    • 文化依存性テーゼa:特定の対象に嫌悪感を抱くには、文化的な学習が必要である

    • 文化依存性テーゼb:非ヒト動物で嫌悪感らしきものを持ってる者は見つかっていない(大型類人猿は可能性がありそう)

  • 進化心理学テーゼ:嫌悪感は適応度を高めるのに貢献している

    • 最終的には死から逃れることに貢献する

    • 病原体の感染や取り込みを避けるために有用

本文中ではこのように「テーゼ」として提示されてないが、便利なので以降はこの名称を用いる。

文化依存性テーゼの方は経験的証拠がいくつも与えられている。乳幼児の行動や表情からは嫌悪感らしきものが観察できないこと、文化間で嫌悪を抱かれる対象が異なること、人間が嫌悪してるときに表出する行動や表情が非ヒト動物にはみられないこと、などの観察結果から支持されている。
文化間で嫌悪される対象が異なることについては、第一章が特に興味深いだろう。日本文化で育った人はあまり納豆に嫌悪感を持たないが、欧米文化で育った人は嫌悪感を持つだろう。逆に欧米文化で育った人はいろいろなチーズに嫌悪感を持たないが、おそらく日本文化育った人は一部のチーズ(ブルーチーズとか)に嫌悪感を持つだろう(嫌悪感を持たない人は、各々が嫌悪感を持つ対象を想定してほしい)。どっちもある意味で腐っているのだが、それにもかかわらず片方には嫌悪感を持たない。これは文化的な学習によって嫌悪感が抱かれてないことを示唆する。

対して、進化心理学テーゼの方には証拠という証拠が与えられていない。一応、恐怖マネジメント理論(terror management theory)に触れられているが、経験的証拠から帰納的にこの理論が支持されているのか、この理論が予測する仮説があって仮説検証的にこの理論が支持されているのか、よくわからなかった。(追記:ハーツ自身はこの理論に対してそんなに好意的ではないように書いてると思う。ハーツによる進化心理学っぽい説明、それも嫌悪感は死を避けるのに有用だというような類似した説明やその他関連する説明はところどころ与えられているが、それが検証された仮説なのかはよくわからない。)
恐怖マネジメント理論のちゃんとした説明はこの本では与えられてないが、要するに、人間は死を想起させるものを嫌うよ、っていう理論である(と私は理解してる)。死を避けることは適応度を高めるのに貢献するだろうから、この理論自体はそこまで不思議ではない。ただこの理論の支持のされ方が、この本からはよくわからなかった。

支持のされ方はさておき、二つのテーゼがどっちも正しいとして、それを整合的に理解するのは困難である、というのがこの記事で言いたいことだ。困難さは二つある。

第一に、もし嫌悪感が適応度を高めるのに貢献するなら(進化心理学テーゼが正しいなら)、なぜ、嫌悪される対象が文化間でこんなにも異なる(文化依存性テーゼaが正しい)のか説明しがたい。
適応度を高めるという観点からは、死や生殖の阻害につながるようなものが文化普遍的に避けられるようになるはずだが、著者が何度も主張しているように、嫌悪される対象は文化間で著しく異なる。加えて、そんなにも適応度を高めるなら、文化的な学習以前にその嫌悪感行動・表出が見られるはずだが、どうやらそんなことはないようである。そのため素朴には、この二つのテーゼは両立しがたいと思われる。

この解決策の一つは、たしかに具体的な対象は文化間で異なるが、カテゴリとして共通している、と反論することだろう。例えば、先ほどの納豆とチーズは、どちらも「腐ってるもの」というカテゴリに分類できそうだし、「腐ってるもの」には病原菌が入ってそうなので、これに対する嫌悪感を持つことは進化心理学的に説明を与えられるだろう。
しかしこれでは不十分だ。もしカテゴリ単位で嫌悪感の対象が決まっているなら、例えば、どうして納豆には嫌悪感を抱かず、チーズには嫌悪感を抱くのかを説明しなければならない。この説明の一例としては、「腐ってるもの」に対する嫌悪感が先にあり、次に納豆をそのカテゴリから外すか嫌悪感を抱かないよう追加の学習が必要になる、とすればいいかもしれない。だがこの学習順序が実際に生じているかどうかは追加の検討を必要とする。少なくともこの本でそのような証拠は与えられていなかったと思う。
加えて、文化的な学習以前に嫌悪感行動・表出が見られてもいいはずなのに、なぜ見られないのかも説明されなければならないが、カテゴリとして共通しているという仕方では説明されてない。
そのため、進化心理学テーゼと文化依存性テーゼaの整合性は謎のままだ。

第二の困難さは、もし嫌悪感が適応度を高めるのに貢献するなら(進化心理学テーゼが正しいなら)、なぜ、非ヒト動物は嫌悪感を持たない(文化依存性テーゼbが正しい)のか説明しがたい。
嫌悪感が適応度を高めるなら、それは非ヒト動物にとってもそうであるはずである。にもかかわらず、少なくとも他の情動、恐怖や喜びなどを持っていそうな非ヒト動物であっても嫌悪感を持ってないのは奇妙である。

この困難さの解決には二つの方向がある。第一に、実は非ヒト動物も嫌悪感を持っているかもしれない。この本の出版が2012年で12年も前であるため、まだ非ヒト動物の嫌悪感に関する観察証拠が不十分である可能性がある。そのため、実は単に私達が知らないだけで、非ヒト動物も嫌悪感を持っている可能性がある。だが少なくとも、この本に限っては、証拠はないので、この解決策を取るのは困難だ。

第二の解決策は、この本の第九章の一番最後に与えられてる議論として、非ヒト動物は嫌悪感で物事を避けている余裕がない、というものである。

豊かさと選択肢と安全が確保されていなければ、腐った食品や、醜悪なパートナー候補、あるいは近所に住む人の淫らな行為になど嫌悪感を催す余裕などない。生き延びることで精一杯である時には、食べられるものは何でも食べ、相手かまわず生殖行為に及び、利用できる人がいたら誰の助けでも借りようとする。ほかの動物だったら、生存と共存のために数ある選択肢のなかから何かを選ぶといった贅沢などあり得ない。死があまりにも身近だからだ。

レイチェル・ハーツ(2012)『あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか』[綾部 早穂【監修】/安納 令奈【訳】]原書房p. 328

つまり(1)選択肢に余裕があるなら嫌悪感で避けることが可能だが、(2)選択肢に余裕がないなら嫌悪感で避けてる場合ではない、ということである。進化心理学的な言い換えをすれば、(1)選択肢に余裕がある状況では嫌悪感で避けることは適応度を高めることに貢献するが、(2)選択肢に余裕がないときに避けるのは適応度を下げることになる、となるだろう。

しかしこのような二分法を維持するのは二つの理由から難しい。第一の理由は、選択肢の余裕さ、選択肢が確保されているかどうかというのは、1か0かではなく程度問題だということだ。例えば、食べ物の選り好みをする非ヒト動物の行動、特に哺乳類の行動での観察がいくつかある(例えばシャチの食べ物の好みとか)。これは食選択について余裕があることを示唆する。そのため、そのような非ヒト動物でさえ嫌悪感がないとするのは奇妙だ。
ここで、第一の解決策との組み合わせが可能かもしれない。つまり、そうした非ヒト動物においては嫌悪感がある可能性が高く、単に私達が観察できてないかもしれない、と言えるかもしれない。この解決の方向性はそれなりに有望だと思う。だが本書の範囲内で解決するのが難しいことに変わりはない。

二分法を維持するのが難しい第二の理由は、仮に選択肢に余裕がないとしても、それでも嫌悪感が死を避けるという点で適応度を高めるのに貢献しているならば、相変わらず有用なはずである、ということだ。人間のように多種多様な嫌悪感を持つことが適応度を高めるのに貢献するとは思えないが、非ヒト動物であって、ある程度は特定の選択肢に対して嫌悪感を持つことで適応度を高めることに貢献すると思われる。例えば、自分で殺した個体の身体なら食べるが、他の個体が殺したと思われる個体の身体で、かつ時間が経過しているような場合に、それを食べることを避けるのは、病原体を身体内に入れないという点で適応度を高めるかもしれない。これを考えるには消化器官や免疫機能との関係を考慮しなければならないが、一部の非ヒト動物には当てはまるかもしれない。いずれにせよ、ここでも、選択肢の余裕の無さというのは程度問題であるということが重要だろう。

以上より、文化依存性テーゼと進化心理学テーゼを整合的に理解するのは困難だと思う。より最近の嫌悪感研究からこの解決が与えられているかどうか気になるので、もし知っている人がいたら教えてほしい。

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