Masashi Takeshita

they/them | nonbinary, queer| effective altruism | utilitarian | vegan

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    論文等の翻訳

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    日頃の思いや雑談的なトピックについてラフに話します。

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    議論によって何らかの主張をしている記事。

最近の記事

【翻訳】AIのためのデータ・フェミニズム(Klein and D'Ignazio 2024)

本記事はKlein and D'lgnazio (2024) "Data Feminism for AI"の本文の全訳である。書誌情報は以下の通り。 Klein, L., & D'Ignazio, C. (2024). Data Feminism for AI. In The 2024 ACM Conference on Fairness, Accountability, and Transparency (pp. 100-112). この論文はFAccTというAI倫理の国

    • 「友達/人」「恋人」以外の語彙がほしい

      クワロマンティックとして過ごし始めて半年と少しが経過して、「友達/人」「恋人」以外の語彙がほしくなってきた。 別の記事で議論したように、友情関係と恋愛関係の間に本質的な違いはないという結論に至って、クワロマンティックとして生活することに強くコミットするようになった。 誰かと話していて、私が特別な関係(知人以上の関係)を築いている人たちのことを説明するとき、どうしても「友達/人」という語彙に頼ってしまう。だがほんとは、私は恋人と友達/人の区別をつけたくないので、すべてを「友

      • 直近の五つの動物倫理研究の報告:適応的選好、証言、同意、労働、モラル・ベジタリアニズム

        最近、立て続けに動物倫理の研究を報告してきた(1日+4日連続発表、うち三つは共同研究)。本記事ではそれらの研究の関連性を話しつつ、私がどう研究報告を立て続けにできたきたのかを見てみたい(私もどうしてできたのかわかってない、だからこの記事を書いてる)。 五つの発表の概要非ヒト動物の適応的選好 まず9/21にオンライン政治理論研究会にて「非ヒト動物は適応的選好を持てるのか:既存理論の批判的検討」を発表した。これは佐々木梨花さん(https://researchmap.jp/r

        • リストカットの痕、「隠すべきだ」という社会規範

          この記事では自傷行為やリストカットについて扱います。リストカットの跡の写真(付きのXのポスト)も出てきます。 もう夏も過ぎる頃だが、私は夏は半袖を着て過ごすようになった。当たり前のことだが、夏場の暑い時期は半袖を着たいし、そんな時期に長袖を着てられないからだ。でもリストカットの痕があって、これを隠さないといけない、そんな風に考えていた時期があった(今も若干考えてるかも)。だがなぜリストカットの痕を隠さなければならないのか? この記事はいわゆる「ファッションメンヘラ」につい

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          恋愛と友情の違いがラベルの違いでしかないなら?―含意を考える

          前回の記事で、恋愛関係と友情関係の違いは、本質的なものではなく、単なるラベルの違いでしかないと主張した。 本記事ではこのことが正しいとしよう。つまり、恋愛関係と友情関係に本質的、実質的な違いはないとしよう。本記事では、この場合にどのような含意が生じるのかを考える。 異性愛と同性愛超当たり前の話をするが、まず、恋愛関係が異性愛に限定されることはない。男女の友情が成り立つのかという議論があるが、そんなことはもう考える必要はない。「男女の友情が成り立つのか」という議論は、「男女

          恋愛と友情の違いがラベルの違いでしかないなら?―含意を考える

          恋愛関係と友情関係は本質的に違うのか?—違わない、けどちょっと違うかも

          世の中では恋愛関係と友情関係を区別しがちである。私は前回の記事で、この区別を批判した。 本記事ではもっとちゃんと検討する。恋愛関係と友情関係は本質的に違うものなのか?そうであればそれはどの点で違うのか? 私は、恋愛関係と友情関係の間に本質的な違いはない、しかし、非本質的な違いはあるかもしれない、と主張する。 本質的違いという問いここではまず、恋愛関係と友情関係は本質的に違う、という主張を明確にする。この主張は次のようにまとめることができる。 第一に、何らかの関係があり、

          恋愛関係と友情関係は本質的に違うのか?—違わない、けどちょっと違うかも

          稲葉振一郎×竹下昌志×吉川浩満対談イベント関連資料

          先日、8/15に本屋B&Bさんにて、稲葉振一郎×竹下昌志×吉川浩満対談イベントを実施した。 9/16までアーカイブ配信してるので、ご関心があればぜひ。 ここでは、当日使用したスライドを公開したことの報告と、当日に私が言及した文献を紹介する。 まず使用したスライドはSpeakerDeckにて公開した。 なお、稲葉さんのスライド内容は以下から見れる。 次に、覚えてる限りで、当日私が言及した動物倫理関連の文献は以下の通りである。簡単な紹介もつけた。 Johannsen,

          稲葉振一郎×竹下昌志×吉川浩満対談イベント関連資料

          恋人と友達以外の場所:『ちるふぃるむ』を例に考える

          かれこれ二年近く見続けてる『ちるふぃるむ』というYoutubeチャンネルがある。以下、ネタバレありで作品紹介をして私の感想を書きつつ、恋人、友達、そしてそれ以外のあり方について考えたい。 『ちるふぃるむ』について動画主旨は、幼馴染の「りつ」と「うた」と猫の「たま太郎」が同居生活をしており、その日常(たぶんチルな日常)を描く、という感じだ。 動画の多くは一話完結だが、時々長編シリーズがある。例えば、登場人物の過去を描くようなものや、登場人物間の恋愛模様などが描かれる。 最

          恋人と友達以外の場所:『ちるふぃるむ』を例に考える

          倍速視聴を道徳的に擁護する

          上記の記事、および上記の稲田の本でも示されてるように、映像作品の早送りが普及しつつある。稲田をはじめとして、こうした倍速視聴に対して嫌悪感を示す人がいる。Xで「倍速視聴 失礼」で検索すれば、数多くのそうした意見を見つけることができる。 obakewebさん(以下敬称略)は、この倍速視聴に対し、「回復可能な鑑賞」というのを提示して、擁護しようとしている。 本記事ではobakewebとは異なる仕方で倍速視聴を道徳的に擁護する。私が「道徳的に擁護する」ために批判対象としている

          倍速視聴を道徳的に擁護する

          ヒースの言う「哲学の規範」を受け入れて安全に哲学する方法を考える(考えたい)

          ジョセフ・ヒースが、キャンセル・カルチャーが哲学の規範との相性が悪いことを指摘し、哲学者はもっとキャンセルカルチャーを懸念すべきだ、と主張してる記事が翻訳されて、X上で少し話題になってた。 その中で以下のような文章がある。 これを笑い事だと思ってそうなポストもあったが、笑い事ではない。笑い事でないと私が考えているのは、ヒースとは逆方向で私がある懸念を持っているからだ。その懸念は、ヒースの指摘する哲学における規範が哲学者の道徳的な悪質さ、哲学的議論の道徳的な有害さを隠すこ

          ヒースの言う「哲学の規範」を受け入れて安全に哲学する方法を考える(考えたい)

          ICUのオールジェンダートイレを使った感想

          先日、政治思想学会の研究大会に参加するために、国際基督教大学(ICU)に行った。ICUは2020年にオールジェンダートイレを導入しており、おそらく日本の大学で最初だと思う(他に先に導入していた大学があったら教えて下さい、知りたいです)。 ICUに行くとなればぜひ利用したかった。とはいえオールジェンダートイレを利用するのは初めてだったので、ちょっとワクワクしつつ、緊張もしていた。 私はノンバイナリーとして生活していて、服装は(身体に対して)異性装的な感じで過ごしている。その

          ICUのオールジェンダートイレを使った感想

          【翻訳】いとわしい結論について何を同意すべきなのか(Zuber et al. 2021)

          以下の文章は、Zuber et al.. (2021). What Should We Agree on about the Repugnant Conclusion?の本文全訳である。ニッチな文献だが、「いとわしい結論(the Repugnant Conclusion)」と呼ばれる、人口倫理学(population ethics)における最重要課題の一つについて、29名の哲学者が共著者となって出した論文である。この分野で有名なJ. Broomeや、効果的利他主義・長期主義で

          【翻訳】いとわしい結論について何を同意すべきなのか(Zuber et al. 2021)

          非ヒト動物へのAIアライメント?

          現在のAIアライメントの議論のほとんどは、いかにして人間の価値観に合わせるかということに終始している。どの人間の価値観にアライメントするのか、というのはAIアライメントの議論においても大きな問題だ。だが既存の議論の多くで見逃されているのは、ヒトではなく、非ヒト動物に対するアライメント問題である。 非ヒト動物に対してAIアライメントすることがバカバカしいことではない理由は複数ある。第一に、種差別は間違いであるか、少なくとも、一部の有感な(つまり快苦を感じる)非ヒト動物は道徳的

          非ヒト動物へのAIアライメント?

          書評:岡野八代『ケアの倫理:フェミニズムの政治思想』を動物倫理の観点から読む

          本記事は岡野八代『ケアの倫理:フェミニズムの政治思想』(以下「岡野の本」)を動物倫理という特定の観点からみた書評である。ちょっと特殊な書評なので、いくつか注意点がある。 私は以下で岡野の本に見られる人間中心主義を指摘する。 ケアの倫理の主流伝統には人間中心主義が前提にされており、岡野の本はそれを引き継いでしまっている、と私は考えている。そのため、それを指摘することは有意義であると考える。 私が「ケアの倫理の主流伝統」で指し示しているのは、ケアの倫理の典型的・代表的な研究

          書評:岡野八代『ケアの倫理:フェミニズムの政治思想』を動物倫理の観点から読む

          【翻訳】「動物のためのベルモント・レポート?」(Ferdowsian et al. 2020)

          以下の文章は、Ferdowsian et al. (2020) A Belmont Report for Animals?の抄訳(注以外全訳)である。本論文は動物実験倫理の総まとめのような論文であり、これからの動物実験倫理の新しい基礎になるだろう。誤訳があったり、訳がこなれておらず読みにくかったりするかもしれない。コメント等でご指摘いただきたい。 なお原文のライセンスはCC-BY 4.0である。本翻訳もCC-BY 4.0ライセンスの元で配布する。 https://creat

          【翻訳】「動物のためのベルモント・レポート?」(Ferdowsian et al. 2020)

          自著論文紹介:竹下&清水(2024)「効果的利他主義は道徳的義務なのか? --帰結主義とカント的観点からの正当化」

          先日出版された我々の論文、竹下昌志&清水颯(2024)「効果的利他主義は道徳的義務なのか? --帰結主義とカント的観点からの正当化」『Contemporary and Applied Philosophy』について、論文が30ページ以上あり、長いので、簡単に紹介する。 なお、本論文のもとになった発表はYouTubeで視聴できる。動画内容は本論文のコンパクト版になっているが、本論文は当時よりかなり発展したので、ぜひ論文の方も読んでいただけると嬉しい。 論文の構造論文の構造は

          自著論文紹介:竹下&清水(2024)「効果的利他主義は道徳的義務なのか? --帰結主義とカント的観点からの正当化」