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【書く瞑想】1日1ページの心の記録

どうも、長屋正隆です。

僕はこの1週間、ひとつのある習慣を継続してきた。それは「1日の終わりにその日心が動いた瞬間を紙のノートに書き留める」ということ。流行っている?書く瞑想「ジャーナリング」というものかもしれない。

もちろん、これを読んでいるあなたが感じたであろう疑問は僕にもうかんだ。

①紙にわざわざ書く必要ある?noteがあるのに…
②1日の終わりに書くなんてどうせ続かないって…

これらにたいする答えはわりとすぐに出た。

①感情的な瞬間をまとめて思い出すのは大変

僕はこれまでわりとたくさんの記事をnoteに書いてきた。ざっと720記事。そのなかで思うこととして、「書けるときはスラスラっと書けるけど、書けないときは石のように書けない」ということがある。

とくに、人の心が動くような感情的な瞬間、は思い出すのにとても苦労する。

そういうことを、書くときになってからパソコンの画面の前でまとめてひねりだすのはとってもしんどい、というかほぼ無理だ。必然的にその場でうかんだ表現で書くしかなくなる。ちょっともったいないな、と。

だから、コツコツと紙のノートに書き残しておくことにした。書くのはほんとに数行だ。日付を書いて、その日に起きたことをパッと思い出してみる。もちろん紙のノートに書くにあたっては、むずかしい言葉はいらないし、人に見せるわけでもないので文章力や構成なんかも考えない。

ただ書くだけ。思いつかなくなったらすぐにやめる。最低◯◯文字、なんていう条件もないし、なんならノートの前で考えて1文字も浮かばなかったらそれでもいい。どうせ明日また書くのだから。

②振り返ることすらできない生活のほうがイヤだ

もうひとつの障壁は、「1日の終わりに書く習慣なんてきっと続かない」ということ。

これについても問題ない。その証拠に、僕の理想的な生活から逆算して考えてみる。

ノートに書く習慣が続かないということは、ようは「めんどうくさい」「時間がない」「書くことがない」などの消極的な理由からだと思う。

ただ、それらの苦労と比べても、1日の終わりにノートに数行書き留めることすらできない生活のほうが僕はイヤだと思ったのだ。

えらそうに書いたが、僕がこの習慣をはじめてからまだ1週間。どこまで続くか、人ごとのように見ものである。

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長屋 正隆
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