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映画『DEAR EVAN HANSEN』〜あなたはひとりじゃない〜新時代のミュージカルの幕開け

①傑作ミュージカルとの出会い

『DEAR EVAN HANSEN』(以下DEH)は、トニー賞を総なめにし、アメリカで社会現象を起こした傑作ミュージカルだ。

日本ではまだ一度も舞台公演が行われていないため一般的な知名度は低いが、活躍するミュージカル俳優がこぞってこの作品への憧れを示し、自身のリサイタル等で楽曲を取り上げたことによって、日本のミュージカル好きの中では"あの話題作"と囁かれてきた。

今ミュージカル映画界で最も注目されている作曲家コンビのパセク&ポールが手がけた『LA LA LAND』や『THE GREATEST SHOWMAN』が日本でも異例のヒットを記録したことで、映画好きの間でも今作への期待度が高いように見受けられる。



私は2018年、入手困難なチケットをなんとか1枚落札し、ブロードウェイでこの舞台を観劇したことがある。

衝撃的な体験が私を待っていた。
得意ではないはずの英語が不思議と全て聞き取れて、頭で理解する前に感情を直接揺さぶられ、現地の人たちと一緒に呼吸ができなくなるほど泣いたのだ。

その旅行の際も他にあと7作品は観ていたが、あんなに心に刺さったものは後にも先にもなかった。
観劇後はスクリプトや小説を読み込み、サントラを歌えるようになるまで繰り返し聴いて余韻に浸ってきた。


それが満を持して映画化と聞けば、興奮せずにはいられない。
一般公開を待ちきれず、東京国際映画祭のクロージング作品としての先行上映に駆けつけた。

とはいえこれ以上ないほどの劇場体験をしてしまった身としては、果たして映像でも再び同じような感動を得られるのかと一抹の不安を感じていた。

完全に、杞憂だった。
舞台で観たシーンの一つ一つは3年経った今も脳裏に鮮明に焼きついているし、楽曲の順番やあらすじも細部まで把握している。

それでも、魂の震えは決して色褪せなかった。
あの時と同じ。最初から最後まで鳥肌と涙が止まらなかった。

②今、映画化される意味


これは、今の時代にこそ必要な物語だ。
コロナで世界が一変した今、誰もが少なからず孤独を抱えている。

毎日ハッピーで何の悩みもない完璧な人間なんていないだろう。
不安で眠れない夜が、
自分をめちゃくちゃに傷つけたくなる日が、
何もかもを放り出したくなる瞬間があるはずだ。

でも、皆上手く隠して生きている。
本当の自分を知られたら、
嫌われるから。居場所がなくなるから。

世の中は、隠しきれない人のことを寄ってたかって攻撃する。ネットやSNSが普及した社会では、もはや逃げ場はない。
だから自分は決してその標的にはなりたくない。

誰からも相手にされなくなり、この世界にたった一人になってしまう恐怖を考えたら身がすくんで、思わず現実から逃げ出したくなる。

誰の中にも、エヴァン・ハンセンはいるのだ。


③ミュージカルとして描く意味


主人公の高校生エヴァンはうつや社交不安に苦しむ少年で、人前で自分の思いを上手く伝えることができない。しかし表に出せないだけで、彼の心には燃えたぎるような思いが誰にも知られないまま燻っている。

エヴァンの心の叫びは、音楽に乗って観客の胸に直接突き刺さる。
彼の物語は、これらの美しい旋律なしにはどうにも重く苦しくて耐えられない。そこに、ミュージカルとしての存在意義がある。

ミュージカルにあまり触れたことがない人、ディズニー作品やレミゼやオペラ座のような王道しか知らない人にとっては、ミュージカルの概念がひっくり返るような驚きをおぼえるかもしれない。

音楽は脈絡もなく突然歌い出されるのではなく、常に彼らの頭の中で鳴り響いているのだ。
音楽に乗せるからこそ、世間から見えにくい葛藤や、言葉にできない苦しみを吐き出すことができる。

観客はそれを特別に覗き見ているにすぎない。

煌びやかなダンスシーンがあるわけでも、ヒーローが悪を倒すわけでもない、地味で静かな日常だが、敢えて"人間"をとことん描くミュージカルもあるのだということ、ミュージカルというものの奥深さを、この作品を通して広く知ってもらいたいと思う。


④この時代を生きていくためのお守りに


孤独なエヴァンのあまりにも悲しいウソは、やがて多くの人を巻き込んでいく。彼の本当の思いを知った時、あなたは何を感じるだろうか。
劇場が明るくなる頃には、私は体中の水分が枯れ果て、どっと疲れていた。しかし同時に、すっと浄化されたような清々しい気分になった。
全てが解決するわけはない。孤独も葛藤も恥も抱えたまま、それでも前を向いて進んでいく。進んでいけると思えた。

一般公開は11月26日。
YouTubeにはすでに本編映像つき予告があり、舞台版の映像やトニー賞でのパフォーマンス、コロナ禍でリモート合唱された劇中曲等も楽しむことができる。

サントラも全曲発売中だ。まずはパセク&ポールによる珠玉の楽曲だけでも聴いてみてほしい!

そして映画は是非、予備知識を入れずにフラットな状態で観てもらいたい。きっと優しく寄り添ってくれるはずだ。


大丈夫、あなたはひとりじゃない。
見ていてくれる人が、必ずいるはずだから。



⑤マニア向け〜舞台と映画の違い分析〜


ここからは、すでにDEHを観劇したことがある人や楽曲を聴き込んでいる「マニア」向けに、舞台と映画の違いをテーマに踏み込んだ内容を紹介しよう。

DEHファンはもちろん映画を待ちわびているだろうが、同時にアメリカでの評判が思ったより振るわなかったことを不安に思う方もいらっしゃるのではないか。

そんな不安はいらない!という私の個人的な見解をお伝えしたいと思う。
(ネタバレは避けているのでご安心ください)


まず、楽曲について。
映画では、舞台版から新たに2曲が追加されている。サントラで聴いた時はいまいちピンと来なかったのだが、劇中でそれが非常に大きな効果を発揮していることが分かった。

映画ではある登場人物達に新たな設定が追加され、彼らの心情を表す曲が2つ追加されている。
それが結果的により多くの観客を救い、最後に登場人物達を救う音楽だったのだ。
このアレンジはニクいと思った。

一方で、舞台版でおなじみだった曲は数曲カットされている。それによってオープニング曲が変わったことは衝撃だった。
しかし元々歌われていたシーンごとなくなったわけではなく、重要な歌詞がきちんと会話の中の台詞として表されているなど、その存在を示しているところに脚本の手腕を感じた。
舞台版を熟知している人も新鮮な気持ちで楽しめる工夫が随所にされている。


また、エヴァンを取り巻く人々の描き方も少しずつ変わっている。
出番が減ってしまったキャラクターもいるが、その代わりにとても存在力を発揮した役があり、良いアレンジだった。
映画化するにあたってより物語や人物描写を掘り下げてくれると、ミュージカルにあまり触れたことがない人にも受け入れられやすくなるだろう。

ミュージカルは大抵音楽やダンスに焦点が当てられ、歌に尺を取られる分、物語としての精度を問われると首を傾げざるをえないものも多いと考えている。
しかしDEHは音楽の素晴らしさはもちろん、物語単体としての完成度が非常に高く、歌ではない芝居の部分で泣かされることも多い。ブロードウェイで観た時は、時々ストリートプレイを観ているのではないかと錯覚することさえあった。

このように、基本的には舞台版にとても忠実に作られており、ブロードウェイで観劇したことがある人も、がっかりしてしまうことはないと思う。大胆な変更はいくつかあれど、新鮮な驚きとワクワクを増長させるものであり、決して改悪ではない。


映画だからこそできる表現にも注目したい。
舞台版のセットはいたってシンプルだった。
映画では、エヴァンが木から落ちる森や、リンゴ園、ゾーイとのデートの様子など、ステージを飛び出して様々な風景を見られるのはシンプルに楽しい。

演出に関心したのは歌唱シーンだ。
私がミュージカル映画を観ていて苦手だと感じるのは、歌い出しやパフォーマンスが不自然であまりにも直前のシーンとの整合性がとれない時だ。
例えば、ついさっきまで主人公をバカにしていたクラスメイト達が、サビになると急に立ち上がり、主人公のバックで満面の笑みで歌い踊り出すのを見ると違和感を覚えてしまう。

この作品は、最後までエヴァンの孤独を大切に描いてくれた。
特に冒頭の代表曲「Waving Through A Window」は見事だった。
楽曲は途中からコーラスが入り豪華なハーモニーになっていくのだが、舞台版では当然同級生に扮したアンサンブルが歌うコーラスを、映画ではエヴァン以外誰も歌わない。誰もエヴァンを見ていない。

つまり、あくまでこの音楽はエヴァンの頭の中で鳴り響いているだけであることが強調されるのだ。
新学期の混み合った廊下で人を避けながら歌うエヴァンの声は、映画館のサラウンド音響で聴くとまるで観客が人混みに揉まれる彼と同じ立場になったように聞こえてくる。
曲が終わった瞬間、エヴァンの声と気配は高校の雑踏に紛れて消える。そこが切なさを助長している。

静かな曲でも同様だ。楽曲は全て非常に難解だが、そこはさすがのベン・プラットの表現力。
呟くように、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎ、おそるおそる話し出したものの次第に自信が出てきて饒舌になっていく様を歌の中で完璧に表現している。


やはりエヴァン役はベンにしかできないのだと思い知らされる。
世界的に映画を上映するにあたり、キャストにハリウッドスターを起用するなどして話題性を作るのはよくある手法だ。
しかしこの映画は、売名のために原作の魅力を汚すことを一切しなかった。その潔さと誠実さに、改めて敬意を表したい。


どうか、この映画が日本でも広く受け入れられますように。たくさんの人に観てもらえますように。
誰もが"本当の自分"を安心して見せられる世界に、少しずつでも近づきますように。

ようやく、日本でもDEHについて誰かと語れる機会がやってきたことが嬉しくてたまらない。
ぜひ!劇場へ!!

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