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パリの映画館で小津さんと溝口さんを観た話をする

時を遡り2019年夏、わたしは初めてのパリに浮き足立っていた。
短期留学ではあったが、フランス映画に出会った2017年からずっと、恋焦がれた街。これがゴダールたちが踏んだ地か、と感極まった。

観光もほとんどせず、グルメに拘りのかけらもなく、わたしはビールばかり飲んでパリ市内の映画館を彷徨き回った。
自由って最高だ。
そういえばエッフェル塔、訪れてなかったな。
次にパリに行っても訪れることはないと思うけど。

パリというのは小さくて、方向音痴なわたしでも歩き回れるくらい地図的に分かりやすい。すべての道に名前が付いているからだ。

カルチエ・ラタンの中、5区のソルボンヌ大学から歩いてほどなくすると映画館が現れる。
Le Champo という小さな映画館だ。
公式サイトによると1930年代からやっていて、アニエス・ヴァルダやクロード・シャブロルも通っていたというのだから驚きだ。

シャブロルは「第二の私の大学だった」とまで言っている。すごい。

近づいてよく見ると、見覚えのある父娘の写真が大きく貼ってある。
『東京物語』のフランス版のポスターだ。
そう、このときは、「小津安二郎と溝口健二の特集上映」をやっていたのだ。そして大入り満員、さっさと購入しないとチケットが売り切れそうだ。

まあなんと。
パリでの初めての映画鑑賞が『秋刀魚の味』になるとは。

実際にはこれ以外にもいろんな小津・溝口作品を上映していた。

当時『秋刀魚の味』は鑑賞が二回目だったのだが(執筆現在では四回観ている)、初回鑑賞から一年間経っていたのもあって感じ方がめっちゃめちゃに変わっていた。

「ガイジン(外人)」の気持ちで日本映画を感じられたし、そのせいかパリ留学の魔法のせいかは分からないが、「なんてJaponって国は美しいんだ」と感動して涙が出た。
我ながら映画となるとチョロく泣く女だ。

小津さんのこれ系の映画についてはそれなりの考察があるので、また別の機会に書きたいと思う。

Le Champo

日本映画、大人気。嬉しいじゃないか。ほぼ満席だ。

そのまま立て続けに、溝口健二さんの『祇園囃子(ぎおんばやし)』を鑑賞。
当時のわたしの感想が残っていたので貼っておく。

パリで観る日本映画には当たり前だけどフランス語の字幕がついてて勉強になる反面、シンプルなフランス語に訳すと京都のはんなり言葉伝わらないんだよなあ、としみじみしてしまったり。そう考えると普段日本語の字幕で観てる外国映画、本当はもっと深みのあるニュアンスあったりして、と悔しくなったりします。私が必死でフランス語やってる理由の一つだと常に思う。

当時の自分のレビューより

小津さんのおじいちゃんくさい感じ(褒めてもけなしてもいない)とは一転してかなり女性目線の、やわらかい映画だった。
好きだったなあ。

ゴダールは「好きな映画監督を3人挙げろ」とインタビューされて、「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたらしい。
フランス人の感性から捉えたCinéma Japonaisの魅力には、確かに取り憑かれるようなものがある気がするなあ、と、その時漠然と分かったような気がした。漠然と。


ただレビューの引用にも書いたとおり、本作は舞妓さんの話なのだが、京都弁の独特の雅さがフランス字幕で全くもって伝わらないんだなあとがっかりしたところもある。
フランス語は良くも悪くもシンプルだからだ。

自分ももっと語学を頑張らないとフランス映画を「解る」境地には行けないなあ、とこの時改めて襟を正した。

わたしにとってパリの定義は、ゴダールをはじめとするヌーヴェル・ヴァーグの映画監督たちが青春を過ごし、闘った場所。
五月革命の話なんか大好物だ。

すでにフランス映画の沼に首まで浸かり切っていた当時、日本映画のすばらしさと「ガイジン」としての所感を少しでも感じることができたのは幸運というほかない。

そんな昔の旅の記録を、自分の忘れられない過去として残しておく。
またこの映画館に、行けますように。

1968年のパリ五月革命といえばずいぶんいろいろな書籍を読んだが、明確な定義は人それぞれでかなり入り組んでおり、一言で説明しがたい。
その中でも上記の文献はかなり理解の助けになったので貼っておく。

あーフランス行きたい。


Emoru

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