ライター(writer)

ブログを発信するようになって、もうすぐ2年。
そんな私が、【ライター(writer)】として思う、最近の記事達に馳せる思考を投稿しようと思った。

というのも、きっと、『いつの時代にも当てはまっていることなのだろうな』と思うところもある。ただ、今の私が、『昔ほど純粋な人間ではなくなった』だけの事。【世の中の情報や風潮に流されること】に『違和感を覚えるようになった』だけ。自分で【自分なりの意思や感情、思考】を『持つように意識している』からだ。そして私は、ブログを通して【自分なりの意思や感情、思考】を発信している。

情報社会の現代。毎日のようにあらゆる情報が錯乱している。真実なのか、嘘なのか。ただの噂や、荒波を立てるほどの問題でもないことまでも。何かと、少しでも情報があれば、そこから爆速で肥大化する。その情報を記事にする【ライター(writer)】がいて、【スピード感】を持って、各メディアやSNSを通じて発信・報道される。

すると、それらの情報を得た巷の人達は、瞬時に納得したり、信じたり、更に深い情報を詮索したり。更には、その情報に乗っかって、ここぞとばかりに追加情報を解禁したり。【たった一つの情報】を元に、寄って集って攻撃したり。私の中では、そんな【一面がある印象】を持つ。

私個人的には、毎日のように同じ様な内容のニュースばかりでうんざりって感じ。ただ、一応、私も【ライター(writer)】として気になることもある。『本職の人達は、一体どんな書き方してるのかな?』と気になってしまう訳だ。『世の中の人達を惹き付ける』ほどの魅力ある『見出しや言い回し』に関して。純粋に憧れるポイントだ。だから私は、少し気になる記事を見ては読み進める。しかし、【記事の内容】に関しては、『どうしても好きになれない』ことが多い。

その理由は、【関係者や周辺の人達】から、その情報に【乗っかる追加情報】を『知り得ることで発信に繋がる』からだ。要は、【自分の情報ではない】ってこと。だから、報道やSNSなんてものは、言ってしまえば【先に言った者勝ち】みたいな感じがする。【世の中の目を惹き付けてなんぼ】のポジション。もちろん、その情報の中には【事実】であり、【信ぴょう性の高い事】だって実際あるよ。
例として挙げるならば『天気予報』かな。私は、頻繁に天気予報を確認しては、服装を合わせるようにしているから。でも、かと言って、『天気予報』自体に【嘘か、本当か】なんて『無いんじゃないの?』と私は思う。それに、それを説明している『気象予報士さん』も、別に、それほど【信用】している訳でもない。あくまでも【専門知識】があって、【仕事】として『全うしているだけ』のことよね?って感じ。正直、そんな【情報や発信者】に対して何を思おうが【私次第】なんだよっていつも思う。だってさ、【天気予報の情報を得た人達】は、きっとみんな【状況は同じ】なはずだから。

そう考えると、同じ【ライター(writer)】としても、『そもそもの感覚が違う』のかもしれないね。私は、ブログを通して【私の主観】を発信することが多い。それこそ、【人間性】みたいなものを想像させる程、【感情的な内容】が『どうしても多くなる傾向にある』と思う。
それに対して、【(正しい)情報を発信すること】が目的の【ライター(writer)】は、きっと【自分の主観】なんて、どうでもいいのかもね。ただ【人の目を惹き付ける】為の(正しい)記事。事実だろうがそうじゃかろうが、絶対的に【一定数の需要】はある訳で。その【根拠や裏付け】もある訳で。
だから、とにかく『ターゲットに関連する追加情報が欲しい』し、『世の中の人達の興味をそそる記事を発信したい』のかな。なんて考えに辿り着いた。
それが、【嘘か本当か】よりは【提供者の情報・証言】があったっていう事実。それをライターが、そのまま『記事にすること』に対する重要性の方が高い気がする。そして、その情報を受け取る人達も、感じ方は人それぞれ。千差万別。十人十色みたいな。私は、そんな考え方をするようになってしまった。

私の場合は、世の中にある情報記事に対して、実際に『自分がサイトに飛べる内容』の記事に関しては、『自分の目で確認する』ことは多々ある。けれど、『自分で確認の仕方がないような内容』に関しては『信ぴょう性に欠ける』と私は思ってしまう。当事者を擁護する訳じゃないけれど、でも、そんな記事に対しても『だから何が言いたい?』ってくらいにしか思わなくなった。『読む記事の全部を信用して、一喜一憂する』のは、正直、『そっちの方がしんどい』と感じるようになった訳だ。

そういう意味では、【私は私】なりの解釈で問題ない訳だ。誰がどこでどんなことを記事にしようが、『私が気にしなければいいだけ』の話。それなのに、自分のブログに発散したくなるほどの【自分の器の小ささ】を実感する。『まだまだ子供な私だな』と認めてしまう。


同じ【ライター(writer)】でも、あくまでも、『私のブログは、私の主観に過ぎない』ってこと。『他の記事を書く人達は、その人達なりの目的がある』ってことだ。それに対して、私が何を思おうが【私次第】って話な訳ね。天気予報の例と同じ。単なる1つの情報に過ぎない。【あらゆる角度】がある中の、【一面の情報】に過ぎないんだっていう【私】の感覚。【私】が思う【私】の解釈すれば、それまでの話。

これからもきっと、この情報社会は続いていくのだろうと個人的に思う。【便利な時代】だけれど、故に【振り回されやすくなる現実】もあるのだと改めて実感する。毎日毎日ありふれる情報達。興味を持つ内容だって、もちろんある。けれど、そんな情報に対する【信ぴょう性を疑ってみる視点】も、私個人的には【大切な感覚】だと思っている。

そして私も、これからも変わらずに【私の主観】を発信し続ける【ライター(writer)】で在りたい。あくまでも【私の主観】なので、【人の目を惹き付けることが目的】なんてことは、決してない。私はこのまま『私のスタイルを維持したいだけ』の話。世の中にありふれる【情報記事】に対して、【私の解釈】としては今後、【そもそも目的が違う】ってことを理解したいと思った。更には、もっと【広い心の器】で【感情的にならない自分】を目指したい気持ちになった。

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