【自立】と【責任】

今週の話。共通して言えることは、私の過失・不注意みたいなこと。そして、その結果として招くことになるかもしれない、大変恐ろしい事態を想像するだけで、身震いするくらいの話。でも、本来なら【当たり前の動きと確認】の話。
①月曜日→家の鍵の閉め忘れ
②水曜日→ガスストーブの消し忘れ(の不安)
※ガスストーブに関しては、私は、ダブルチェックを実践している。具体的には、
1.運転開始から1時間で鳴る報知音の際に消す
2.家を出る時の目視
今回は、2つ目を忘れた自覚があった。

読者の皆様も、きっと考えるまでもない話。
①を放置したなら、盗難・空き巣等々の被害の可能性が高まるし、②なら、間違いなく火災発生の危機だよね。
上記の不注意を私は、見事に3日でやってのけてしまい、さすがに私も落ち込んだ。ただ、その後の対応としては、
①は、スマホで未施錠を確認して、実際に家に戻って施錠した。幸い、家の近くで気づいたので、自転車で家まで戻り、車で駅まで向かって何事もなく仕事に行った。
②は、不安と戦いながら1日過ごした。【一度は消した!と言い切れる私の自信】があったから、戻らなかった。けれども、帰宅するまでずっと色んな【最悪なパターンの想像】と、でもやっぱり【一度は消した!と言い切れる私の自信】とが錯乱して大変だった。

結論的に言えば、①はもちろん何も無かったし、②も、やっぱり消してあったので何の問題もなかった。
でも、それは【あくまでも結果】の話。どちらにしても、【本当に本当に恐ろしいこと】だ。それに、【確認さえすれば済むこと】を怠るが故に、【不安な状態】で【1日を過ごす】なんて経験。そんなことは、『もう二度としたくない!』って本気で思う。

そして、私は今回の経験に対して、単純に『何も無くて良かったわ』ってだけの気持ちで終わらせることは望まない。帰宅後のニュース番組では、トップニュースから立て続けに火災現場の実態が報じられていた。本当に恐ろしいと改めて思う。旦那と一緒に見ながら、私の話もした。「この家も、他人事じゃないよね」とお互いに言葉を交わした。

今回の経験を経て、『同じことを繰り返さない』ために、私は、改めて【自己責任】【自己判断】に対して考えさせられた。そんな私の持論を発信しつつ、自分への戒めにしたい。

【実際に起きてしまったこと】に対する見方と、【これから起きるかもしれないってこと】に対する見方について。前者の場合は、まずはその【現実】を受け止める。そして、その上で【最善を尽くすだろう】と思う。
後者については、確実に【未来の話】なので、【考えたってどうしようもない】って話。それでも【今】の【私】が【できること・やるべきこと】があるって話。【実際に起きた時】の【自分】が『納得する為』に(その材料を作るために)、【具体的に何をするのか】みたいなこと。今回の私に欠けていた重大な要素だと実感した。

上記の①の時は、未施錠の【現実】に対して、【最善の手段】が【施錠すること】だったって話。【施錠する】だけで、『不安要素が激減』して、【安心】へと変わる。実際に、月曜日の私は、施錠する為に家に戻ったことで、その後の時間、不安と戦うことなど全く無かった。心穏やかに過ごした。
一方で②の時は、ストーブを消した【記憶】はあるものの、【確信】を持ちきれない【現実】があった。それに対して私は、【最善の対応を怠った】自覚がある。【記憶】を【確信】に変えるための手段なら、①と同様にあったはず。それなのに私は、『家に戻って確認しなかった』が故、1日中ずっと【不明確な現実】に向けて葛藤を続けた。

【これから起きるかもしれないってこと】に当てはめて言うならば、今回の場合の【リスク】は計り知れない程の一大事だったはず。もし、【本当に起きてしまったときの自分】を想像してみた。今回の私には、【弁解の余地もない程の窮地に立たされる事態】さえ、あったかもしれない。たった【1つ、2つの単純な動作・確認】で、見事に状況が一変するって話。だからこそ、【小さなこと、些細なこと】でも、いかに【自己責任】【自己判断】が大切な事かと思い知らされた。

もし【本当に起きてしまったときの自分】は、一体『どの面下げて自宅に帰るのだろうか』と想像してみた。どうやって今回の責任を取れると言うのだろうか。新築で居住期間は約2ヶ月。色々な物を新調して、やっと不自由なく生活するようになったばかり。そこに費やした、旦那と私の時間と努力。新居に伴って、お祝いしたり手伝ってもらったりした人達もいる。そして何よりもお金の問題や直後の生活について。

新居に伴い、どれだけの【責任】と【覚悟】を要してきたことか。そんなことを思い返して見ても【私】は、やっぱりどこか【旦那の存在】に【甘えてしまっていること】を痛感した。更に、我ながら最悪だと思ったこともある。その【根本の理由】が、【やっぱりお金】だと思って考えているからだ。『お金無くしては生きていけない』とか『旦那の収入のおかげで私は生活してる』みたいな。
でも、『本当の根本って違うよね?』って思い直した。『旦那と私の存在があってこそだよね?』『お互いがお互いに【1人の人間】として【自立】して【責任持って】生きてこそだよね?』みたいな。そんなことを思ったので、私はハッとした訳よ。
【自立】とか【責任】とかって、『本当に私は苦手なんだな』と、つくづく思った。どこに行っても何をするにも、ぶつかる壁はいつも同じ。結局は【自分の意志】に沿った【自立】と【責任】なのかもしれない。

私が、その根拠として考えるのは、改めて【自立】と【責任】について思うことがあったから。【自立】に関して言うならば、私も旦那も、別に『1人で【自立】して生きていこうと思えば生きていける』ってことよね。最低限でも、自分1人で生きられる環境自体は作れるし、実際お互いが一人暮らしだった経験もある。でも、そんな経験があるにも関わらず、結婚して一緒に暮らして生きることを決めた。
私が思ったのは、そんなお互いが【自立】している状態がベースにあって、それを前提として【結婚】っていう決断をした。この【決断】を含めてお互いの【責任】が伴うんだよねって話。んなら、私の【自立】と【責任】って『具体的に何?』って疑問を持ったんだよね。【私の意思】で結婚したし、今の生活に満足している。でも、今の私の生活の『どこに【自立】と【責任】があるの?』って私は思った。
やっと最近になって【自分】をベースに生きることを覚え始めた私。【自分】と、その【周りの人達や環境】とを、分けて考えて関わるようになったばっかりだ。
また、【責任】に関して思うことも、結局は直近の話の方が確実に多い。しかも、【自分自身】に対する【責任】ばかり。周りの人や環境を巻き込む【責任】意識は、まるでない。考えたこともないかもしれない。
けれど、結婚して夫婦となった私と旦那は、お互いがお互いに【責任】を『取り合う関係なのかもしれない』って初めて思った。特に、2人に直接的に影響のある事象に対して。つまり、冒頭の【私の過失・不注意】もって話。また、子供を育てるならば、子供に対する【責任】が2人分あるって感覚になった。要は、下記みたいな方程式の考え方。

私と旦那の【自立】×私と旦那の【責任】=夫婦

みたいな感じ。

どうしても違う人間同士なので、バランスが偏ることは現実としてあると思う。私の場合は特に、【自分のことを過小評価】したり、その分【相手を崇め過ぎたり、頼りすぎたりする】傾向がある。だからこそ、まずは【私】が、【私自身を高める努力】を『惜しんではいけない』って改めて思う。そして、今回気づいたからには、私が私として、【自立】と【責任】に対する意識を改めること。そして、更なる【自分の成長】へと『存分に活かして生きたいよね』っていう話。

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