本当に起きた白い巨塔の実体験❗️❓:医療ミスされちゃった患者の心境とその整理
とあるYouTubeビデオを視聴して、ちょっと癒された。
(文末の結論は温かいと思う。)
気がつくと、自分の体験と心情を吐露したコメントを書いていた。
そこに医療不審の背景となった医療ミスの数々というか、ミスは良いとしてもそれを指摘した時に怒られて、結局指摘したこミスが原因で起きた合併症で苦しんだことを書いていた。
その上で、それを他の医療従事者に拡充して解釈することの病理性も述べ、良医も良看護師もいると信じているとも述べている。
それでも、医療不審はある程度あり、それを改善するべきだという考えと、ミスありきで自衛の姿勢を改善したら?変化させたら?ミスが防げなくなってしまうかもしれないリスクを天秤にかけてしまう、という考えも書いている。
それに対する返信コメントが優しすぎる😍
ちょうど、白い巨塔がTVerで見れて、きっと世間で医療ミスを受けた患者とその背景や心理にも思考・議論が及んでいると思う。(どこかでそう願う。訴訟までするかはさておき……)
なので、そのコメントと実際の体験の一部を記事にしたnoteをここにシェアしようと思う。
現在、治療環境は恵まれている。そこの人々は信頼できるほどになっている。新しく私の治療に関わってくれる方々の誠意や真心は意識し、感謝している。手厚い対応に感謝もしている。それでも、年末年始対策の治療を色々計画してくれたことに頭では感謝しつつも、心は実際にそれが上手くいき、全てが完了した後でしか安心できない、まだ「実際に全てが順調に完了するまで分からない」という考えと、「この不可逆的副作用に耐える余力が身体にどれくらい残されているか分からない中で、この治療に頼らざるを得ない葛藤」と「計画としては最善なものの、病状的にこの対策で持ち堪えることが可能だろうか?」と成功を信じつつも、慎重に臆病に希望を注視しつつもしがみつきたい、なんとも複雑な心境がある。これは、全力で対応してくれているスタッフさん方への感謝とは分けて、やむを得ない思考や慎重さとして、できればPTSDの症状として温かく見守っていただけたら嬉しい。
昔や健常者よりも時間がかかるにせよ、様々な思考や感情の中で揺れ動きながら、ゆっくりゆっくり信頼という道を歩んでいくだろうとは思っている。
では、原文の写真を載せ、その下に日本語の医療ミスを含む記事を載せる。
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それに対していただいた、超絶心温まる返信コメント
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もっとあるけど、いくつかのミス体験記(けど、これらを含め、挽回してくれたものは水に流している。心に傷を残しているかは別の話……)↓↓
上記の英文コメントにある通り、CV(中心静脈カテーテル)のキャップを素手で握って色々した後、それをCVに素手で触って装着した方もいました…… キャップを着ける前に指摘して、優しい口調で腰低い感じに新しいキャップを装着してくれるようにお願いしたら、断られました。その後、敗血症→敗血症性ショックでICUに入りました。敗血症は発熱初期に血液培養(血培)を採ってもらうように、かなり食い下がりました。なので、敗血症発症当日敗血症性ショックになって夜ICUに搬送された時には、既に大量輸液とICTの指示の下で適切なアレルギー対応した広域抗菌薬を多剤同時投薬開始しており、血培も既に取り直し含めて2セット検査に回しておりました。早期対応してくださったスタッフさん方に感謝しておりますが、初期症状に気がつき、早期診断し、血培を必死に勝ち取った私自身と家族の奮闘のおかげで早期治療早期回復に漕ぎ着けたとも思っています。だから、ミスした人は咎めはしませんが、もう清潔操作が間違っている時には、たとえ嫌がられても食い下がります。そして、結局自分の命は自分で守る、自分や家族ほど、私自身の命を大切に思い、なりふり構わず清潔操作含め色々なことを貪欲に求められるのは、身内や気にかけて大切にしてくれる方々だけだと思っています。(ただ、気にかけてくれる方々に、長く治療してくれているスタッフさんも含んでいます。)
((初見でも、適切な対応をしてくれる方は多いです。けれども、長い付き合いでお互い好意的感情を抱いている間には、絆が生まれており、それが信頼関係に繋がってくれているとも思っています。だから、人として好感を抱いていても、手技を見たことがないとか、清潔操作や色々細部は大雑把に見える方だと、その方に人として抱く好感とは全く別に、こと清潔操作は注視し、その時はモードチェンジで険しい表情で、口調も厳しいかも💦気を悪くしないでね。普段清潔操作できている人だと、一瞬の急いでストップかけないといけない時以外は、多分穏やかな口調で笑顔で何か清潔操作面でもお願いしているとは思っている。新人さんは知らなくて当然。ストップは急ぐけど、操作指導・助言はもし上のスタッフさんが言っていれば、それを見守って口を挟まないし、指導者がその場にいなければ、穏和にやっているつもり……です。後でが効かないし、本当は裏でコソコソ告げ口せずに、本人に直接言うのが礼儀でも優しさでも、誠意でもあると思っている。最近、新人さんに直接言うとメンタルヤられる人いるから、後でこっそり先輩に伝えてあげてというYouTubeを見て、誰にどう言うのかは困惑中……))
【人工呼吸器操作ミス】
これもnote記事に書いたんだけど、もしかしたら引っ込めたのかな?
朝主治医団の指導医が来て、当直医の後に人工呼吸器の設定をチェックした。
この時、麻酔を減薬しており、自発呼吸があったので、多分PEEP(圧)で補助入れてただけとか、自発呼吸の若干の補助だけ入る設定だった。
けど、主治医団の指導医がうっかり12回の強制換気にしちゃった。その時から、バッティングし始めた。ナースコールで「苦しい」と口パクで訴えたら、そんなはずはないけど…… と、主治医団の指示の下でプロポフォールという麻酔をナースコールの度にボーラスされた。この時、「麻酔は嫌だ。原因は違う。」といったいったような趣旨を口パクしたが、「苦しい→プロポフォールボーラス」というパターンが日中何度も繰り返された。眠らせて、呼吸を抑制すると、自発呼吸もなくなり、自分の呼吸と呼吸器の強制換気(呼吸)がかち合って、ぶつかって、その連動欠如で苦しく感じるバッティングというやつは起きない。
しかし、昼間担当だった医師から、当直医に申し送る段階で?(タイミングは覚えていない)誰かがレスピ(人工呼吸器)の設定が違い、私の「苦しい」はバッティングによるものだと気がついてくれた。
ミスは前夜の当直医になすりつけられてしまった。可哀想に……
「私じゃない」と反論する。その時、同意を求めるように私と目が合った。私も口パクで反論したんじゃないかな? あるいは、パソコンにタイプしたか? いずれにせよ、当直医の異議は却下された。(この時、ミスが指導医のものだったからか、指導医のお父様がお偉いさんだったからか、はたまた別の理由かは分からない。)
指導医は「僕のミスじゃないにせよ、僕の監視下でこんなことが起きてすまなかった」といったような文脈の謝罪を述べた。
私は半日麻酔をボーラスされまくった以外、一切の身体的な長期的ダメージはなかった。
今でも、この時の当直医がどうなったのかは気がかりだし、上手く挽回して欲しいとは願っている。気の毒で仕方ない。
もう一件は、ミスではないけど、知識不足。
麻酔減薬中に呼吸機能が1日にしてみるみる改善した。
タイダルボリュームは700mlになった。
私は「苦しい、圧下げて」と口パクし、ジェスチャーした。
PEEPは、そう訴える度に下げられた。
しかし、それ以上下げられない時には、初期研修医が「我慢してください」と突っぱねてしまった。
この時、本当は痰の吸引が必要なくとも、ナースコールをして、長めに呼吸器を外してもらった。しかし、再装着は必要だった。
看護師判断で人工呼吸器離脱を決行できない日本ルールがあり、看護師も一人の患者にずっとつきっきりで着ける指示が出てる人工呼吸器を外して、その一人の患者を見守るわけにもいかない。
ついには、看護師が一人初期研修医に「レスピ外してください」と直談判してくれた。
意見は突っぱねられてしまった。
今度は看護師二人で初期研修医に「レスピ外してください」と直談判してくれた。
研修医はようやく人工呼吸器離脱の指示を出してくれた。
これは、ミスではない。
ただ、知識不足と経験不足なだけだ。(あとは、指導医に確認不足?ただ、毎回指導医の指示を仰げないのが現実でもある。)
研修医とは、欧州の医学部5、6回生の研修医学年やアメリカの医学部4回生の研修医学年とやっている内容は類似している。
知らないから、実践を通して学びつつ、経験を得ているのだ。
とはいえ、患者は誰であっても、都合良くその医師の学習や経験値に合っている身体状況に変化するわけではない。
まぁ、不都合で致し方ない真実とでも表現するのが妥当だろうか?
いずれにせよ、医者は神じゃない。
そして、看護師は患者を最も身近で観察し、長い時間をベッドサイドで過ごす。
看護師が味方として闘ってくれると、随分と心強い。
(私は看護師と母親が「でも、絶対におかしい。診てください。」と言った時などは、医師として患者を診る立場でも、彼らの本能を信じて注視を心がける。特に若くて学習途中の時には、看護師は院内で先輩だ。また、視野や本能が研ぎ澄まされているベテランさんは鋭い。だから、大丈夫じゃない?と思っても、それでも注意レベルは上げる。)
下は機械故障↓↓
ただ、実はこの機械故障後の抜去手術時のミスというか、イレギュラーな事態の前が本当のミスと隠蔽だった。
非典型例の手術でイレギュラーな事態になるのは、防げれば一番だが、防げずとも致し方ない部分もある。結果論だが、結果的にはノーダメージで済んだのであれば、それはそれで結果オーライ?
まぁ、少なうともお咎めなしで、神様と当直医に感謝といった感じかな?
しかし、実はポンプが故障した時は、色々とトラブルがあった。
ポンプが止まった時に、症状の急な増悪が起きた上、故障時の急な断薬が影響で起きる離脱症状と同じ症状が出ていた。
この時、病院に電話したが、自宅で様子見という指示を受けた。
母の機転で、兎に角ポンプ故障時に投薬される薬剤を飲みまくった。
後日受診したら、ポンプは止まっていた。
止まっているポンプには、薬液を入れずにただの水である精製水を入れるのがプロトコル。しかし、理由は分からないが、「壊れたら、もう動かないから大丈夫でしょう」ということで、薬液が補充された。しかし、故障したポンプは再起動と停止を繰り返した。
この状態を誤診されてしまった。
結果的には、311直後に移住して、移住に伴って転院した。
私はポンプの故障を知っていた状態で受診して、まぁ、ぶっちゃけ医療業界は狭いために医師同士の繋がりで、なんか変な対応がされたら困ると考えて、スッとボケた。(これは不味かっただろうね。けど、色々と誤診関係で嫌な経験が多々あった。モラハラもあっただろうね。この時、ポンプ責任者は教授戦の最中だったと後々知った。機械の故障は医師の責任ではない。たとえ、監修したとしても、ほぼ全ての機械が世界中で機能していて、たまたま一つ故障したからといって、それに注力した医師に責任があるわけがない。不良品が多かったらまた別の話だろうが、少ないならば、メーカーにも責任はない。運というか、ある意味神様が私の行動変容か行動タイミングを促した出来事(ある意味プレゼント?)かもしれない。いずれにせよ、医師にもメーカーにも、患者にも責任などない。
けれども、隠蔽は患者の心に傷を残す。隠蔽だけならまだしも、故意に色々くっつけて、事実を歪め、さらに歪め、さらに裏工作を重ねると、患者との信頼関係は壊れる。
それでも、命や人生の恩人であり続けるわけだから、複雑だよね。
そんなこんなで、色々ミスというか、やむを得ない事件・事故(アクシデント)は色々経験している。
恨みはないよ。
各々の状況、様々な環境、それこそ運といったところだろうか?
それでも、やっぱり人一倍慎重にはなるよね。
そして、医療従事者を信頼もするし、目の前の人物に人として好感を抱き、懐く。
人と人だから、絆は構築される。
ただ、それは一朝一夕で相手の肩書きで自然発生するものではない。
診療や治療の現場では特に、古傷だらけでガードが人一倍高い状況から、時間をかけて信頼に至る、私はね。
もっと、すんなり人を信じて頼り、純粋に感謝だけ感じられたら良いのだろう。
けれども、過去の何度も経験した事象というのは、警戒や注意、そして他者の知識よりも自分の知識と経験を信じ、重んじる傾向として、まだ影響力は残している。
「怖い」などと言おうものならば、長年の治療で硬くなり、闘病が長くなって動けない影響も被って細くなった血管に点滴を入れられないのを、その時は緊張しておらずとも、「患者の緊張のせい」にされてしまうことがある。
万全の計画でも、それが上手くいくか慎重に捉えており、過剰な期待は実際に成功した後まで謹んでいると言ったら、もしも万が一、普段治療スケジュールが乱れた時同様かつ病態的にも薬剤の半減期的にも、世界中で証明されている現象として体調のブレが起きたとしても、「患者の心配が悪影響を与えた」と医療従事者の責任逃れと患者への責任転換が待っている。
元々、不安を自覚したことはなかったし、あんまり不安を感じることは少なかった。どちらかというと、いつも「自分だけは大丈夫だ」と思いつつも、エビデンスや治療歴から導き出される最善手のためにアサーションはしてきた。
アサーション自体が異文化だからか、他の患者さん方がいつも「何々が不安」とか、「これこれが不安」とか言っているから、それが私にも当てはまるに違いないと思うからか、あるいは「患者が不安」は程のいい責任回避用語として定着しているのか……
不安かもと他者に思わせる余地を生まれたら、非最善の策で妥協したり、本当は危ない状況で対応が遅れる要因になると思っている。
だから、前祝いはしない主義というのも、誤解されないように振る舞う必要があるように感じる。本当は、きっとそういうことでもないのだろう。
まぁ、闘病というのは、イレギュラーであれば、イレギュラーであるほど、病魔の爪痕だけではなく、多種多様な逆風が爪痕を残すようだ。それは、身体に残る傷やデータの異常だけではなく、心にもまた残るようだ。
逆に、温かく思いやりのある対応や会話を重ねていると、その爪痕はいつしか小児期の傷痕のように小さくなり、薄くなって、気がつくと成長の糧となってくれている。
結局は、患者は必死に生きようと頑張っている。
医療従事者も頑張っている。
人間は誰もパーフェクトではないけれども、各々のベストを正直に、誠意を持って行っていれば、時間に差はあれど、必ず良い方向に向かい、そして誰もがプラスの影響を与えあって成長していくように思う。
ミスはしょうがない。
大事なのは、それに気がついた時の対応だよね。
挽回に努めれば良いんじゃないかな?
そして、患者も過去の些細なことに捉われずに、今目の前で味方として色々一所懸命にやってくれている、一人の血の通った温かい人間を直視し、その方の長所に感謝し、短所はカバーしながら上手くやっていけば良いんじゃないかな?
今を大切に生きよう!
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