希望❌絶望❌できること
(最後はプラス思考に漕ぎ着けますが、その過程です。)
希望が裏切られるのは辛い。
あらぬ希望に縋って、結局その「希望」が幻想だったっていうパターンも辛い。
現状では、四肢と体幹の障害で生活の質は皆無に等しい。
しかし、障害年金とかは、診断書頼り...多分、まともに書いてはくれないんだろうな。そもそも、病気に興味もない人が主治医だし。
生活保護も、多分無理だろうな。
様々な制度がある中で、それらから外れる存在は生存が厳しくなる。
収入ゼロ、体調悪し、家族も限界だし、定年だし、そもそも寿命だって長くない。
発病して15年?それ以上になるのかな?
普通の生活は返上しても、できる範囲で最大限頑張って来た。楽しみも見つけて来た。
けど、流石にここ5年はキツい。生活の保証もなく、貯金切り崩して、回復しかけても再発して逆戻り。
現実的には、もう施せる治療もない。
厳密には、あるけれども、現在の日本では不可能。海外に行き、仕事をできる体力などあるはずもなく、あとはクラファンが頼りか?
現実的には、じゃぁどう売る?回復して医者として働きます?回復して研究をします?
結局...回復できたとしても、何年後か分からない。
その頃のは、専門職には戻れなくなってるだろうな。
産業医資格取って、体調にそこまで左右されずに仕事できればとも思ったけど...
免許取る体力すら無いかも。
他に何ができる?
ていうか、なんでこんなに痛ぶられなきゃいけないの?
拷問するんでも、ここまで苦しめなくても良くない?
何故、QOLが皆無で治療もできず、生活資金すらなくなったら、どの道生きていけず、路上で野垂れ死ぬしかないのに...
私の人生はなんなの?
何故、ここまで痛ぶられるのに、直ぐには死なない病気になってるの?
「命さえあれば」なんてのは綺麗事だけれども、
「命すらなくては」話にならない。
後悔はあまり無い。
いつもその瞬間で最大限尽力し、いつもベストを尽くして来た。
しかし、骨髄移植後に「完治」などという幻想に騙されて、骨休め・美味しいご飯などに釣られて日本に来たことだけは...一生悔やみ続けるだろうな。
日本に来てしまって、再発はするし、世界はコロナ禍で帰れない。
自宅にいようが、病院にいようが、日本国内は...私にとってホームではない。家でもなければ、落ち着く場所でもない。
様々なことが慣れない環境やカルチャーで...
自分らしくは生きていない。
なんだか、「どうせ言っても分からない」とか、「この人に言っても意味がない」とか...
もはや、会話をして、意思や意見を伝えることすら諦めていきそうで...
自分が自分でなくなるようで怖い。
今の状況を打破しようと思っても、教会に行く体力がない。
リクライニング車椅子に座っている体力すら無い。
やりたいこと...
そもそもできることはなんだろう...
プログラミングなら...この身体でもできるのかな?
消極的な理由からの決断はしたくない。
しかし...できることを見つけ、やらないことにはどうしようもない。
パソコンとか好きだけどね...
今は、性格的な適正とかを考えている余裕などないのだろう...
生きたいけど、生活が送れる体力も体調でもない中...例え治療を全て辞めても直ぐ死なない。散々苦しんで...さらに辛くなるのがオチ。
できることをやる以外に方法はない...
「誰か助けて」なんて言って、助けてもらえるのなら、何度も叫んでるよ...
結局、命を守るにもお金が必要。
金が全てではないけれど、金がなければ、何もなせない。生活保護も、国がお金出すからね。誰かのお金。
全ての命には、値札が付いているのは、外来で主治医が治療薬の値段などを常に気にしているから分かる。
今や、日本の病院で医者に薬剤の値段を叩き込まない病院はない。
そうまでして苦しんでる人がどうにもできないことで、さらに追い込むことは、誰のためにもならない。
体調不良の人に取り立てでストレス与えても、病気が良くなることはない。
あわよくば、自殺に追い込もうという意図もないだろうが、とはいえスタッフも上から言われ、どうにかしないといけないけど、話して鬱憤を晴らす以外に何かできるわけではないのだろう。
さらに格差社会が助長される昨今...
苦しむ人と、甘い蜜を分け合う上流階級との二分化がさらに激しくなるんだろうな...
生存しなければいけない状況なのだから、精一杯気分良く、快適に生存したいものだ。
はてさて、何ができるのだろうか。