〇〇で決まる。「生きれる患者」「見捨てられる患者」
外来でも、入院でも、「治療費」のことはよく話題に登る。
「保険でおりない」これは即ち、必要な治療をすると病院が赤字になるからなかなかできないということ。
同時に、保険の審査に引っ掛かると、保険が降りずに国からの保険料が全額病院負担に転ずる。もしくは、自費や寄付金が出せる人ならば患者の財力で賄える。
「高い薬は難しい」
「入院中は投薬・検査を様子見て考慮」=高い薬だから、入院だと病院が赤字になります。外来なら、薬剤の費用は保険と自費合わせて元が取れるから、可能。
すると、「命には値札が付いている」ということは深く実感する。
政治家や富豪は、生きたければ「個室代」・「差額ベッド代」を支払い、特患としてそれ相応の報酬を支払おう!
そうすれば、治療は可能だよ。
生きたければ、救って貰える職に就こう。「社会に必要」と思って貰えると、治療を成功させるプレッシャーが上がるから。
有名だと、社会の目が病院のブランド力を左右する。こういう患者は救うと、他の患者も増える。逆に亡くなると、病院の名声に傷が付く。
子供は...... 未来...... だけど、だから...... もう少し一生懸命診るようが増えるのだろうか? ちょっと不明です。
そして、社会保障は40歳以上が手厚い。介護保険があるから。
すると、20代・30代で癌になったが、在宅医療は自費、看護はもちろん、ヘルパーさんも自費......
「尊厳」これが守られるのは、それなりに周囲を動かせる人、高齢者(介護保険の分だけ恩恵は増えるが、どこまでかは不明。)
あとは、有名な病気かつ公式が決まっている疾患。これは、思考を加えずに既存のプロトコルがワンクリックで適応できる。
そして、スタッフの慣れも大きい。
逆に世界初症例も、ものによっては対応して貰える。
iPS治療などの世界的に注目度が高いものは、失敗はできない。むろん、ちょっと過剰治療であっても、失敗はできないしさせない意欲が違う。
逆に、希少疾患は厳しい。世間的には注目度が低い上、治療やアセスメントが確立されていない。慣れている人もいない。
全力で治療をしようとしてくださる先生もまだおられるが...... まぁ、受験の時に過去問がある方が、過去問が無い問題より成功率を上げ易いのと似ているかもしれない。
あとは、忙しい時期......
もし、選べるのなら、連休・夏休みや冬休み・学会やその他のイベントが有る時期は避けたい。人手が薄くなる時期は、何処の職場も忙しい。忙しいと、ゆとりがある時よりかは...... 普段と違うことが起きやすい。
ミスまではいかずとも、希望的観測によるミスリードなどの可能性は上がるかも。
何故こんなことを私は書いているのだろう?
それは...... 自分の感情が上手く書けないから。
悔しい。
何が?
改善できるのに、これほどまでに多くのハードルが有ることが。
辛い。
容易に病状の把握ができないことが。
もどかしい。
医者も最善を尽くしたい気持ちがあるのに、猶予を見誤ると....... 改善できる短い期間を意図せずに逃し、悪化に転ずることがあるから。
悲しい。
やりたいことも、頭脳労働ならむしろかってもらえることすらあるのに...... やはり、肉体的についていかないと、できることが限られてるから。
焦り。
改善可能なのに、上手くいかず...... それでも時は経つ。
私だけが世界から取り残されて「闘病」...... というべきか? 闘うチャンスも...... 時として与えられない? いや、闘うというよりも、病気を騙し騙し底辺で横這いに保つことを余儀なくされて(人為的とは限らず......)
まだ「死」は免れているものの、じゃあ「生」を活かして使命を全うできているかというと...... そうとも言えない。
煮え切らない状態にいる。
死にたくない。
改善したい。
社会貢献したい。
人としての尊厳を守りたい。
こう言ったら、炎上しそうだ。
だが、ウクライナのロシア軍捕虜の人々が収容された環境を聞き、ニュースで見て......
自分の日常と少し被った。隣で人が亡くなり、バケツに排泄する。
これは、自分を殺すかもしれない敵に脅されて、家族やご近所さんと同じ地下室に収容されるのと......
逆に自分が助かるために身を粉にして働いている方々の恩恵で体調に最大限配慮していただいた結果...... 表面的な動作だけを抜粋したら、類似点が見えなくないというのとは違う。
しかし、同時に...... 自分の生きる意味を考え、何故苦しまなければいけないのかも自問自答してしまう。
だからこそ、哲学や宗教があるのだけれど......
じゃあ、改善するために何ができる?
そもそも、何かに不満があるならば、自分の患っている病気だ。
病気が悪い。
しかし、それを改善する手を阻む制度も憎い。
同時に、今ある制度で生かされていて、それには感謝している。
だからこそ、「健康保険撤廃」という議論に恐怖を覚える。
私は、医療保険なくしては、間違いなく死ぬだろう。
そして、白血病の子供達も、他の疾患の子供も大人も...... 怪我で、ただ縫って貰えば救える若者も、前払いか病院の要求する保険のいずれかを提示できなければ見殺しにされる社会へと逆戻りするだろう。
小児期のワクチンも、一本1万円を超える物もある。打たずに、アフリカのように「防げる感染症」で命を落とす子供も増えるだろう。
一ヶ月7万円では、救えない命が増える。
議論すべきは、「果たして命は尊いのだろうか」という問いではない。
命、そして人生は尊い。
全ての人が尊い。
我々にはどうやって、助け合いお互いを守る方法を議論し、模索し続けられるだろうか?
さぁ、会話こそが重要!
あなたは、どう思う?
ツィートでもいい。家族や友人、恋人との会話でもいい。学校の作文でもいい。自分の意見をぶつけてみよう。