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わたし

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私のこと。個人的なこと。
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本屋さんへの憧れと畏敬

本屋さんへの憧れと畏敬

私は本がある空間が好きだ。

本屋さんも図書館も本が売りのカフェも服屋さんの片隅に置かれた本も、自分の本棚も。

見せる前提の公共の場で少しでも本が置いてあれば、どれどれと見てしまう。
逆にプライベートな場で本があったら目を背けてしまう。それは個人的なものでジロジロ見たら失礼なんじゃないかと思ってしまうから。でも興味はすごくあるから、見てはいいかと聞いてから、見る事も多い。

私は私の蔵書をあまり

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「主体的に生きる」と「人との関わり」

「主体的に生きる」と「人との関わり」

前回、自分が何か行動を起こそうとする時に、心の声が聞こえるようになったと書いた。

人と関わる時、特になんでこの人はこういう言い方をするのだろう、こういう行動をするのだろう、とモヤモヤする時。はっきり言えば不快な時に心の声が聞こえるようになった。

不思議だね。褒めてもらえたり、肯定してもらえた時は聞こえない。自分と同じ考えだと認識しているから、心の声もおとなしくしているのか。

例えば、会社で何

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「主体的に生きる」と「内省」

「主体的に生きる」と「内省」

主体的に生きると決めてから、心の声が聞こえる様になった。

例えば自分には派手すぎて似合わないと思っている赤い服。でも着てみたくて自分の体に当ててみる。

「そんな派手な色着たら恥ずかしいよ」

赤が似合わないなんて、誰にも言われたことないのに、どうしてそう思うんだろう。

例えば職場の半分仕事のような飲み会ではなく、私自身が楽しむための飲み会に参加するとき。

「子供のことを置いて、夜で歩くのは

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主体的に生きること

主体的に生きること

就職してからかれこれ10数年、学生の頃に持っていた自分の意思で道を切り拓いて行くという感覚ととんと無縁になっていた。

入社した会社の体質が、元々持っていた私の楽な方に身を委ねる性質とマッチしてしまったのか、誰かが決めてくれるでしょうと、決定権を明け渡してしまっていた。それは突き詰めると誰かが責任を取ってくれるだろうと思っていたということ。
会社では、コンプライアンスの名の下にどんどんルールが出来

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