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【絶望】光過敏症の女性の、真っ暗な部屋で光という光をすべて遮断しなければ生きられない壮絶な日常:『まっくらやみで見えたもの』

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「光過敏性(光アレルギー)」を生きる女性のあまりに壮絶な人生を綴るエッセイ

「光過敏性」とはどんな病気なのか?

自分の顔にガスバーナーが向けられているような感覚です

これは、「光」を浴びた時の感覚を著者が表現したものです。別の場面ではこんな表現もあります。

次の日の夜は、一晩中、チーズのおろし金で、体全体をじわじわ擦られているような感覚に襲われる

とても「想像できる」などと言えるような状況ではありませんが、どうにか頑張って想像してみようと努力すれば、それはあまりにも壮絶としか言いようがない人生でしょう。

彼女がこのような状態に陥ってしまう「光」は、日光だけではありません。蛍光灯など、ありとあらゆる光が彼女を襲います。実際、彼女が最初にこの症状を発症したのは、パソコンの画面でした。

つまり彼女は、「どんな形であれ、明るい場所にはいられない」ということになります。

彼女の症状は時期によっても変動があるようで、最高に調子が良い時には、夕方ぐらいから散歩に出かけられるといいます。しかし、発症してから本書刊行までの8年の間に、そんな素晴らしい状態でいられたことはほとんどありません。基本的には、朝から晩までずっと暗闇の中にいるしかないのです。

その「暗闇」も、私たちが想像するより遥かに真っ暗だと言えるでしょう。窓やドアの隙間は完全に塞ぎ、僅かな光さえも漏れ出ないようにするしかありません。また、着る服の素材によっても症状に影響が出るそうですが、自分で買い物に出かけることは出来ないので、その辺りの事情を汲み取ってくれる人にお願いするしかないというわけです。

当然ですが、視覚に頼った活動は一切できません。もう少し技術が発達すれば、「コンタクトレンズに直接映像を映し出す」みたいなことが可能になるかもしれないし、そうなれば「光過敏性」の症状と闘いながら映画を観たり本を読んだりする未来もあり得るでしょう。しかし残念ながら、まだそんな技術はありません。

音楽を聴くことは当然できるのですが、彼女は音楽を聴くと気持ちが乱れるようになってしまったそうです。

だから彼女が暗闇でできることは、「オーディオブックをひたすら聴き続ける」か、「自分でルールを作った『言葉遊び』を一人でやり続ける」ぐらいしかないのです。

「死」への葛藤を抱えながら生きる

本書にはこのような文章があります。

自殺という名の黒い大きな魚が、水底の泥の中からぬっと姿を現し、行ったり来たり、泳ぎ回っている。バシャバシャとひれが水を打つ音が聞こえる。いままでになくはっきりと、とがった歯がきらりと光るのが見える

「著者が自殺を望んでいる」という記述がなされる本は決して珍しくありませんが、ここで少し想像してみてほしいことがあります。彼女はこの本をどう執筆しているのかについてです。パソコンは使えませんし、真っ暗闇なのでペンで紙に書くというのも難しいでしょう。

そうなると、基本的には「喋ったことを誰かに文章にしてもらう」しかないはずです。その相手が誰なのかなどについて本書では触れられていませんが、恐らく身近にいる誰かでしょう。

つまり彼女は、「本の執筆」の過程で、「身近な人に自殺の意思があると伝えるという行為」を行っていることになるのです。

安易に想像してみるだけでも、「自殺」の誘惑に駆られても仕方ない人生だろうと思います。しかしそれでも、彼女はなんとか踏みとどまって生きることを諦めません。そこには、後で触れる男性の存在も関係してくるのですが、基本的には彼女の「強さ」なのだと思います。

本書に、印象的な話が載っていました。それは、著者が何かで読んだことがある寓話なのだそうです。ちょっと長いのですが、全文引用してみたいと思います。

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