【教養】美術を「感じたまま鑑賞する」のは難しい。必要な予備知識をインストールするための1冊:『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』(秋元雄史)
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「感性」では美術を鑑賞できない。知識がなければ、いくら見たって分からない
美術の鑑賞に、何故「知識」が必要なのか
私は意識的に、時々美術館に行くようにしている。せっかく東京に住んでいるのだし、やはり「教養」として、美術を知っておくことはなんとなく大事だと思っているからだ。
しかし、観ても大体よく分からない。
もちろん、見て「あぁこれは好きだなぁ」と感じるような美術作品に出会うこともある。私にとって非常に印象的だったのは、白髪一雄というアーティストの作品だ。正直、何に凄いと感じたのかまったく説明できないのだが、これまで美術展で観たどの作品よりも衝撃的で、「凄いものを観た」という印象だった。
確かに、そういうことは時々ある。しかしだからと言って、そういう「感性に任せた鑑賞」が正しいというわけではない。著者はこんな風に書いている。
こういうことをちゃんと教えてくれる大人にもっと早く出会いたかったものだ。
私が面白いと感じたのは、「なぜ日本では、『感性のまま観る』という鑑賞法が定着したのか」の説明である。
なるほど、私たち日本人は、「西洋美術」との出会い方が、少しばかりまずかったようだ。著者の説明は非常に分かりやすいと感じるし、「やはり美術の鑑賞には知識が必要なのだ」という理解にも繋がるだろう。
アメリカでは、「美術は勉強するもの」というのが常識だそうだ。
本書に書かれているわけではないが、欧米ではお金持ちになったら寄付をするのが当たり前だ、という話を聞いたことがある。正確には覚えていないが、キリスト教圏では「富を持つことは罪だ」というような発想があるようで、だから寄付文化が根づいているという説明だったと思う。
日本では、「お金を持っていること=偉い・羨ましい」という発想に陥りがちだが、欧米では、美術の教養や寄付行為などがなければ、いくらお金があっても認められないというわけだ。このような「社会的豊かさ」があるのとないのとでは、国全体の文化的資本も大きく変わってくるだろうと感じる。日本でも、教養のない金持ちは評価されない、という風になってほしいものだと思う。
さてで西洋美術館鑑賞のためには、どんなことを学ぶべきなのだろうか。具体的には是非本書を読んでほしいが、著者が挙げているものの1つに「人間の描き方」がある。
やはり美術の鑑賞には、キリスト教の素養は不可欠だと言っていいだろう。それもまた、我々日本人が西洋美術を学ぶ上でのハードルだと言える。しかしこの違いは反対に、驚きを与えることにもなったという。
東洋人が西洋の美術に触れることは、文化や価値観のギャップを知る機会でもあるし、逆もまた然りというわけである。だからこそ、美術の理解のためには、その前提となる文化や価値観を知っておく必要があるのだ。
「現代アートは分からない」のが当たり前
本書の著者は、東京芸術大学美術館と練馬区立美術館の館長を務める人物だが、そんな人がこんなことを言っている。
まず、こんな風に言ってもらえると、芸術のド素人としては安心できる。専門家でさえ「よくわからない」なら、我々に分かるはずがない。
例えば、ピカソは現在でこそ誰もが知るほど有名で高く評価された芸術家だが、
と本書には書かれている。どの時代でもアートの最先端というのは、最前線を突き抜けた者にしか理解できないということだろう。
また本書には、デュシャンの「泉」という作品についての言及がある。私は、この作品の存在とその評価について知った時は驚愕した。
まず、この「泉」という作品の評価について触れておこう。
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