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【危機】災害時、「普通の人々」は冷静に、「エリート」はパニックになる。イメージを覆す災害学の知見:『災害ユートピア』

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「災害学」の研究で明らかになった、「人々の行動」と「社会の変化」についての知見

本書は、「災害学」というあまり聞き慣れない学問についての本である。そんな本書の結論は、こんな一文で表現できるだろう。

数十年におよぶ念入りな調査から、大半の災害学者が、災害においては市民社会が勝利を収め、公的機関が過ちを犯すという世界観を描くに至った。

これは、ステレオタイプ的に描かれる状況と大きく異なるものだ。映画などでは、何か大きな出来事が起こると、市民がパニックに陥り、エリートがそれを収拾するという展開となる。しかし実際には、その逆だというのである。

本書は、「災害時、人々はどう行動するか」について包括的に記された作品だ。著者が過去の様々な研究を渉猟したり、研究者にインタビューしたりした結果をまとめている。

本書は、研究者の手によるものという印象で、そんなにスラスラ読める作品ではない。私も、的確に内容を把握できたか自信のない箇所がある。そこでこの記事では、主に以下の3つについてだけ取り上げようと思う。

・普通の人々はパニックに陥らない
・エリートこそパニックに陥る
・災害は様々な「革命」をもたらす可能性を持つ

本書には「災害」を研究した様々な知見が含まれているので、気になる方は是非本書を読んでほしい。

普通の人々はパニックに陥らない

地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い。二次大戦の爆撃から、洪水、竜巻、地震、大嵐にいたるまで、惨事が起きたときの世界中の人々の行動についての何十年もの綿密な社会学的調査の結果が、これを裏付けている。

本書は、サンフランシスコやメキシコシティの大地震、ハリケーン・カトリーナやスリーマイル島の事故、そして9.11など様々な災害が取り上げられている。その際に、人々がどう行動したのかについての研究結果が元になっているというわけだ。本書は、日本語訳が2010年に発売され、その後「定本」として2020年に新たな版が発売されている。私が読んだのは2010年のものなので、当然、東日本大震災の話は含まれていない。2020年版に東日本大震災の研究結果が含まれているのか分からないが、いずれにせよ、いわゆる「大災害」と呼ばれるだろうものが取り上げられていると考えていいだろう。

そしてそれらの研究結果から、上述のような「普通の人々はパニックに陥らない」という結論が導かれているのである。

本書に登場するクアランテリという災害学者は、

パニックの事例を多く発見できると信じて、それをテーマに修士論文を書き始めたが、しばらくすると「どうしよう。パニックについての論文を書きたいのに、一つも事例が見つからない」という羽目になった。

という経験があるそうだ。そして最終的に自身の研究結果をこのように締めくくっている。

切迫した恐ろしい状況に置かれた人々に関する研究結果を、クアランテリは災害学につきものの素っ気ない表現で、次のように記している。「残忍な争いがおきることはなく、社会秩序も崩壊しない。利己的な行動より、協力的なそれのほうが圧倒的に多い」

普通の人々はとても理性的に行動するというわけだ。

さて、本書のタイトルに「ユートピア」という単語が入っていることに違和感を覚えた人もいるかもしれない。私も、「災害」と「ユートピア」という単語の”結びつかなさ”が、本書を手に取るきっかけだった。しかしそれについては、大災害を経験した者たちの様々な証言を読むと理解できるかもしれない。

サンフランシスコの全歴史の中で、あの恐怖の夜ほど人々が親切で礼儀正しかったことはない。

多くの人が亡くなり負傷した夜に、不謹慎かもしれないけれど、わたしの一生であれほど純粋で一点の曇りもない幸せを感じたことはありません。

ああいった共同体の感覚は、長い人生でもめったに経験できるものではなく、しかも、壮絶な恐怖と向き合った中でしか起きません。9.11直後の数日間には、公民権運動のときによく話していた”愛すべきコミュニティ”の存在を感じました。

より力強く、こんな風に断言する者もいる。

テロリストたちは、わたしたちを恐怖に陥れることに失敗した。わたしたちは冷静だった。もし、わたしたちを殺したいなら、放っておいてくれ。わたしたちは自分のことは自分でやれる。もし、わたしたちをより強くしたいなら、攻撃すればいい。わたしたちは団結する。これはアメリカ合衆国に対するテロの究極の失敗例だ。最初の航空機が乗っ取られた瞬間から、民主主義が勝利した。

東日本大震災の発生時、「日本ではこのような状況において、暴動も略奪も起こらない」と、海外メディアから称賛が集まった記憶がある。「日本人らしい、特異な行動だ」と。しかし本書を読むと、それが日本人に限った特殊さというわけではないと実感できる。大災害に直面すると、むしろ「人々は普段より良い行動を取る」とさえ言えるのだ。

何故そうなるのか。本書に書かれている結論を、ざっくりまとめると、「自身の存在意義が確認できるから」となるだろう。

絶望的な状況の中にポジティブな感情が生じるのは、人々が本心では社会的なつながりや意義深い仕事を望んでいて、機を得て行動し、大きなやりがいを得るからだ。

彼らの多くが利他主義的な行動を自己犠牲とは見ていない。むしろ、ギブとテイクが同時に起きる相互的な関係だと見ている。他の人々を助けると、彼らはその人たちとの間に連帯感を得る。人に何かを与えたり、人を助けたりすることは、彼らに、彼ら自身より大きい何かの一部であるという感覚を与える。他人を助けると、自分は必要とされている価値のある人間で、この世での時間を有効に使っていると感じさせる。他人を助けることは、生きる目的を与えてくれる。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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