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【真実】ホロコーストが裁判で争われた衝撃の実話が映画化。”明らかな虚偽”にどう立ち向かうべきか:『否定と肯定』

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「歴史的事実」が裁判で争われるという前代未聞の実話から、「真実とは何か」を考える

2000年1月、イギリスで信じがたい裁判が開廷した。ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺、いわゆる「ホロコースト」の真偽を巡って裁判が行われることになったのだ。

日本でも、「慰安婦問題」や「南京大虐殺」など、主に戦時中の出来事について「あったかなかったか」という論争が繰り広げられている。しかしそれは、学問上の議論であったり、あるいは、被害者がその被害を訴える際に注目される場合がほとんどだろう。

「ホロコースト」の裁判は、そのようなものとはまったく異なる論争だった。なにせこの裁判は、2人の歴史学者が、「ホロコーストが実際に起こったか否か」について”法廷”で争うという不可解なものなのだ。これが「実話」だということに驚かされてしまう。

しかし、驚いているだけではダメだろう。私はこの裁判を、「『真実』とは何か」を考えるきっかけにすべきだと考えている。

トランプ元大統領が多用したことで定着した「フェイクニュース」。この言葉が象徴するように、現代では「正しいかどうか」よりも「信じたいかどうか」の方が、「真実らしさ」を決めるより強い要因になってしまっていると感じる。

しかしやはり、「真実かどうか」は「正しいかどうか」で判断されるべきだ。至極当たり前の話ではあるが、こんな当然のことを指摘しなければならないくらい、現代社会は歪んでいるように私には思える。

奇妙としか言いようがない裁判の顛末から、「情報をいかに捉えるか」について改めて考えてみてほしい。

この記事では、映画と原作の両方に言及するつもりだ。

まずは内容紹介

なぜ「ホロコーストの実在」が裁判で争われることになったのか。まずはその辺りの話から始めよう。この話には、ユダヤ人歴史学者デボラ・リップシュタット(原作本の著者である)と、イギリス人歴史学者デイヴィッド・アーヴィングの2人が登場する。

アメリカで歴史研究を行っていた、決して有名とは言えないデボラの元に、1995年のある日速達が届く。送り主はイギリスの出版社ペンギン・ブックスだった。彼女が執筆した『ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ』の版元である。

送られてきた手紙にはなんと、「デイヴィッド・アーヴィングがあなたを名誉毀損で訴えようとしている」と書かれていた。どういうことか。

彼女は『ホロコーストの真実』の中で、「アーヴィングはホロコースト否定者だ」と書いたのだが、これが名誉毀損に当たるというのだ。しかしアーヴィングは「ホロコースト否定論者」として有名な人物で、何より彼自身そう主張していたのである。だからデボラは、この件が大事になるはずはないと放っておくことにした。しかし実際にアーヴィングが訴えを起こすと分かり、状況はややこしくなっていく。

そのややこしさの元凶は、イギリスとアメリカの裁判の違いに起因していた。アメリカでは、訴えた側に立証責任がある。しかしイギリスでは、訴えられた側に立証責任があるのだ。アーヴィングはイギリスの裁判所に訴えた。仮にデボラが出廷しなければ、自動的にデボラの敗訴が確定するというわけだ。彼女としては、受けて立つしかない。

デボラは『ホロコーストの真実』の中で、「アーヴィングはホロコースト否定者であり、その考えはユダヤ人差別から生まれるものだ」と書いた。アーヴィングは、これを名誉毀損だと訴えている。つまりデボラは、上述のこと、つまり「アーヴィングがホロコースト否定者であること」「ユダヤ人差別主義だからこそホロコーストを否定していること」を証明しなければならなくなったのだ。

そしてこのことが裁判で争われれば、否応なしに「ホロコーストが実際に起こったのかどうか」も争点になってしまうことになる。というか、まさにそれこそがアーヴィングの目論見であり、この裁判を通じて、「ホロコーストは起こらなかった」と全世界に知らしめることが目的なのだ。

だからこそデボラは、絶対に負けることができない。自身がユダヤ人であることもあり、嘘つき歴史学者の主張が世界に広まるのを防がなければならないのだ。

そのために、最高のリーガルチームが結成されることになる。また、150万ドルにも及んだ巨額の裁判費用は、ユダヤ人コミュニティの支援を受けられることにもなった。彼らは、アーヴィングのこれまでの著作や書簡などの膨大な資料を徹底的に精査し、様々な歴史学者の協力を得ながら準備を進めていく。

しかしデボラは、リーガルチームの戦略に大いに不満を抱くことになる。

彼らはまず、「ホロコーストが起こったかどうか」を争点にはしない、と決めた。それではアーヴィングの思う壺だというのだ。彼らは、アーヴィングがいかに信用のおけない歴史学者であるかを示すことで、その信頼性を崩そうと考えていた。

ユダヤ人である彼女は、「ホロコーストは起こった」と声高に主張したいところなのだが、それが禁じられてしまうのだ。

それどころか、法廷戦術として、裁判ではデボラに発言させないという方向性も決まってしまう。彼女は猛反発するが、確実に勝つためには仕方ないと説得され……。

「専門家」の主張だからと言って信じていいか

私たちは、世の中のあらゆることに習熟することはできないし、だからこそ、自分が詳しくない分野については「専門家」の助けを借りる。そのこと自体は当たり前のことだ。

しかし同時に、「専門家」の意見だからと言って鵜呑みにしていいわけではない、ということも強く認識しておくべきだろう。

正直言ってアーヴィングは、とにかく「イカれている」ようにしか見えない。どんな主張をしているのかは、また後で触れるつもりだが、「正気なのだろうか?」と感じるようなことを、裁判中に堂々と言い放つ。この裁判ではアーヴィングは弁護人をつけず、自身で自身の弁護をするという形を取った。ゆえに法廷では、アーヴィングの饒舌が響き渡ることになる。法廷を会場にした演説のようなものなのだ。

そんなアーヴィングは、歴史学者として一定以上の評価をされている。原作本には、

学者としてのアーヴィングの不撓不屈の努力はいくら褒めても褒め足りない

「否定と肯定」(デボラ・E リップシュタット著、山本 やよい訳/ハーパーコリンズ・ ジャパン)

アーヴィングが不当に無視されてきた。

「否定と肯定」(デボラ・E リップシュタット著、山本 やよい訳/ハーパーコリンズ・ ジャパン)

などアーヴィングを称賛する声が紹介されていた。また、彼が執筆した歴史書を、

『ヒトラーの戦争』は第二次世界大戦について書かれた本の中で一、二を争うすぐれた著作である。

「否定と肯定」(デボラ・E リップシュタット著、山本 やよい訳/ハーパーコリンズ・ ジャパン)

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