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【思考】「”考える”とはどういうことか」を”考える”のは難しい。だからこの1冊をガイドに”考えて”みよう:『はじめて考えるときのように』(野矢茂樹)

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「『考えること』について考えること」は大事だが、それはとても難しい

「『考えること』について考えること」ってどういうことだろうか?

私たちは、「考えるという行為」を当たり前のように行っている、つもりです。学校の宿題をしている時、会議の資料を作っている時、新しい企画をひねり出そうとしている時、私たちは「何かを考えている」つもりでいるはずだと思います。

では、何かを考えている時、一体あなたは”何をしている”のでしょうか?

例えば、宿題に取り組む際にしていることは「考える行為」と言えるでしょうか? 宿題の場合で言えば、実際にしていることは、「計算する」「覚えるまで何度も書く」「暗記する」など、「考える」以外の単語で表現する方がぴったりくるのではないかと思います

「いや、ちゃんと考えてるよ」と感じる方は、宿題の際に自分がしていると思う「考えるという行為」について、他人に説明できるぐらい深堀りしてみてください。なかなか難しいと感じるのではないかと思います。

企画やアイデアの立案はどうなんだ、と感じる方もいるでしょう。確かにこれは、私がイメージする「考えるという行為」にぴったりくるものです。ただし、「宿題」と「企画立案」では何が違うのかを明確に示すことはなかなか難しいと思います。また、それが「考えるという行為」だとして、じゃあどんな手順で行っていて、どういう状態を指すのかなどについて具体的に説明することは困難でしょう。

こんな風に、誰もが当たり前のように行っている「考えるという行為」ですが、「じゃあそれって何なの?」と聞かれた時に、スパッと答えられる人はなかなかいないのではないかと思います。

本書は、そういうモヤモヤをクリアにし、「『考えるという行為』の本質」を深堀りする作品です。もう少しシンプルに言えば、「『考える』ために必要なものを与えてくれる本」だと言えます。

将来について思い巡らすことも、目の前にある情報を分析することも、誰かの想いを想像することも、すべて「考えるという行為」が関係しています。私たちは、「考えるという行為」が何なのか、はっきり分かっていないままなんとなくやれてしまっていますが、「なんとなくやれてしまっている」が故に、ふとした拍子に躓いてしまうこともあるはずです。

そうなってしまった時、あるいはそうならないようにするために、本書のような「『考えるという行為』の本質について深堀りする作品」は役立つのではないかと思います。

本書は、「料理における包丁」を手に入れるような作品

本書の内容を説明するのはなかなか難しいのですが、本書がどんな役割を持つ作品なのかについて、「料理」を例に説明してみたいと思います。

今あなたは料理をしようとしていますが、何故かあなたは「包丁」の存在を知りません。「包丁」に限らず、スライサーやピーラーなど、「食材を切るための一切の道具の存在」を知らないとしましょう。重要なのは、「『包丁』の存在は知っているけれど、手元にない」というわけではないという点です。あなたは「包丁」を含め、「食材を切るための一切の道具の存在」を知らない、とします。

さて、料理をするのですから、あなたは野菜や肉を切りたいと考えます。しかし、食材を切るための道具の存在を、あなたは知りません。さて、どうするでしょうか?

キャベツなら手で剥けるでしょうか。きゅうりぐらいなら手で折れるかもしれません。では、にんじんの皮はどんな風に剥きましょう? スプーンでガリガリやるとか、たわしで擦ってみるとか、いろいろ試すことになると思います。

そしてそんな奮闘の末に、あなたはきっとこう考えるはずです。

「料理ってなんて難しいんだろう」と。

さて、そんなあなたの調理風景を見ている人がいたら、きっとこう感じることでしょう。「包丁を使えばいいのに」と。

つまり、「料理が難しい」わけではなく、「包丁を使わずに料理をすることが難しい」というわけです。

この話を、「考えるという行為」にも当てはめてみることにしましょう。

「考えるという行為」に対して、難しさを感じたり苦手意識を持ってしまう人もいると思います。そういう人は、先ほどの例の「料理って難しいな」と感じている人と同じです。一方世の中には、「考えるという行為」を得意とする人もいます。そういう人が、苦手だと感じている人を見た時、先ほどの例と同じように「◯◯を使えばいいのに」と感じるかもしれません。

そして本書は、そんな「◯◯」を教えてくれる作品だ、というわけです。

本書を読んでもらえば分かりますが、「料理における包丁」に相当する「考えるという行為における◯◯」は、パッと一言で説明できるようなものではありません。「考えるという行為」はとても捉えにくいので、その熟達のために必要な要素もまた簡単には言葉に出来ないのです。本書を読んでもらえば、なんとなく「◯◯」について分かった気になれると思います。ただ、それを他人に説明するのはなかなか難しいでしょう。

そして「◯◯」を理解することで、「考えるという行為」に苦手意識を抱いている人も、「包丁」を使って料理するのと同じくらいやりやすくなると思います。もちろん、「包丁」も使い方を練習しないと上手くならないように、「◯◯」もただ理解しただけでは不十分でしょう。しかし、知ってると知らないのとでは大違いだと思います。

「料理」に関しては、「包丁を持った最初の日から飾り切りが出来た」なんて人は存在しないわけで、「ある程度やらないと熟達しない」と誰もが理解しているだろうと思います。しかし「考えるという行為」については、誰もがいつの間にか自然とやれているし、そのせいで「訓練しなければならない」という思考にもなかなかなりにくいでしょう。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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