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【感心】悩み相談とは、相手の問いに答える”だけ”じゃない。哲学者が相談者の「真意」に迫る:『哲学の先生と人生の話をしよう』(國分功一郎)

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哲学者である著者は、相談者の「相談内容」ではなく、その「真意」に回答する

本書は、一般の方からの相談とそれに対する著者の回答が34個収録されている。すべての相談、すべての回答が面白かったわけでは決してないが、全体的には相談内容もそれに対する回答のアプローチも面白かった。すべての哲学者が相談に向いているというわけでは決してないだろうが、著者にはその適性があったのだろう。

面白い相談とその回答についていくつか触れるが、その前にまず「相談とは何か?」という話から書きたい。

「相談」とはどのような行為であり、それに回答するとはどういう意味を持つのか?

本書に収録される相談内容は、恋愛・仕事・人間関係など、割と類型化しやすいジャンルに収まるものが多いが、1つ非常に異質な質問があって興味深かった。質問内容を具体的には載せないが、

相談というのは、どうやってすれば良いのか?

という趣旨である。つまり、「相談についての相談」というわけだ。著者は、自身も他人に相談をするのが苦手だと打ち明けた上でこの相談に回答している。その中で、

誰かに話を聞いてもらうと気持ちが楽になるのはなぜなのか、哲学的には全く未解明

と書いており、なるほどそうなのか、と感じた。

私も、誰かに相談をするのはあまり得意ではない。いくつか理由はあるが、「『他人に相談できる状態』は、既に悩みがある程度解消されている段階だと思っているから」というのは大きい。

悩みを解決する最大のポイントは、「自分が何に悩んでいるのかを的確に捉えて言語化すること」だと考えている。そして、「相談する」というのは「言語化する」ことと同じだ。つまり、誰かに相談出来ているということは、既に解決段階に入っていることを意味するわけである。

逆に、自分が何に悩んでいるのかよく分からない、あるいは悩んでいる理由は分かっているがそれを表現する的確な言葉が見つからない、という場合、他人に相談することはできない。そして、まさにそういう「他人に相談できない」状態の時ほど、誰かの力を借りたいと感じることだろう。

「相談」という行為には、このような矛盾が内包されている、と私は考えている。悩みを捉え、言語化出来れば、悩みの8割は解決していると言っていい。あとは、いくつか浮かぶ選択肢のどれを選ぶか決断する、みたいな段階に進むだけだ。そうなればもう、ほとんど他人の力は必要ない。しかし、まさに他人の力を必要とする時、つまり「悩みを具体的に捉えたい」という時には、まだ言語化出来ていないが故になかなか他人の力を借りにくいのだ。

私はそういう風に理解しているので、逆に、誰かから相談を受けるのは比較的得意だと自分では思っている。というのも私は、「相談」を「相手の頭の中を整理してあげること」だと捉えているからだ。

私は「悩みに対して自分の意見を伝えること」を「相談」だとは考えていない。人はそれぞれ考え方も価値観も違うのだから、自分の意見が相手の悩みの解決に繋がる可能性は限りなく低いはずだ。

私は誰かから「相談」を受ける際、その人に様々な質問をするようにしている。「質問に答える」という形で相手に「言語化」してもらうわけだ。そしてそのようなやり取りを繰り返すことで、「さっき◯◯って言ってたし、今△△って言ったよね。ってことは、★★のように考えてるってことじゃない?」と、相手の思考を整理できるようになる。

私は、これこそが「相談」だと思う。

本書の著者にも、似たような雰囲気を感じる。紙上の相談では「質問に答える」という相互のやり取りは不可能なので、前述のようなやり方はできないが、対面の相談では著者も同じような対応をするのではないか、と感じた。

というのも著者は、かなりメタ的な形で相談内容を読み解こうとするからだ。

「書かれていないことの方が大事」という哲学的思考

あとがきに、哲学者らしいこんな文章がある。

相談への返信にあたっては特に方針を決めていたわけではなかったが、ある程度進めた段階で、自分が相談相手の文面を、まるで哲学者が書き残した文章のように一つのテクストとして読解していたことに気がついた。哲学者の文章を読む時には、哲学者が言ったことだけを読んでいるのではダメである。文章の全体を一つのまとまりとして眺め、そこを貫く法則を看破し、哲学者が考えてはいたが書いていないことにまで到達しなければならない

言われてみればなるほど、という視点である。これは、自分が誰かに相談する時のことを考えてみればイメージしやすいだろう。

相談内容というのは大体、「自分が恥ずかしいと思っていること」が多いだろう。「恥ずかしい」には「普通と違う」「弱いと思われる」「酷い人に見られる」など色んな要素があるが、何らかの形で「誰にでも話せることじゃない」という部分が含まれるだろうと思う。

そして、「相談して悩みを解決したい」と思ってはいても、一方で「恥ずかしいと思われたくない」という心理が邪魔をして、ちょっとずつ「嘘」や「正確には正しくないこと」を入れ込んでしまう。

だから相談内容というのはそもそも、言葉通りに受け取ってしまっては間違いなのだ。

途中で気がついたのだが、人生相談においてはとりわけ、言われていないことこそが重要である。人は本当に大切なことを言わないのであり、それを探り当てなければならない

こういうスタンスで相談に臨む人物が対面で相談を受けるなら、「相手が言い淀んでいる点は何か?」と推測するために質問を繰り出すだろうし、相談者が「本当に悩んでいること」が何なのかを掴もうとするだろう。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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