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【青春】二宮和也で映画化もされた『赤めだか』。天才・立川談志を弟子・談春が描く衝撃爆笑自伝エッセイ
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立川談志に弟子入りし、「天才落語家」と呼ばれるまでになった立川談春の、修行時代を描いた名エッセイ
私は以前、立川談春の落語を聞いたことがあります。というか、初めて聞いた落語が立川談春でした。既に『赤めだか』を読んでいましたが、落語に関する素養はまったくなく、立川談春の落語についても「凄かった」という記憶はあるものの、具体的にはほとんど覚えていません。
せっかく聞く機会があったのだから、ちゃんと面白さが分かるぐらいにもう少し知識を持っていればよかったと後悔しています。自分が生きている間に、また聞く機会があるでしょうか
本書は、「天才」と呼ばれる落語家・立川談春が、さらなる天才・立川談志に弟子入りし、真打ちに駆け上がるまでのドタバタの日常を描いたエッセイです。二宮和也主演で映画化もされたのでご覧になった方もいるかもしれません。
本書の内容に触れる前に、立川談春役を演じた二宮和也について少し書きたいと思います。この話は、「日曜日の初耳学」(TBS系)での林修との対談に立川談春が登場した際に語られていたものです。
映画を観た誰か(誰か忘れた)が、「立川談春を演じる二宮和也の落語」に驚いてしまいます。あまりに、昔の立川談春にそっくりだったからです。そこでその人物は立川談春に、「お前が稽古つけたの?」と聞きました。そうでもなければ理解できないと考えたのでしょう。
しかし立川談春は二宮和也に稽古などつけていません。映画のプロデューサーから、「談春さんの落語のテープを渡してください」とだけ言われたと語っており、彼が二宮和也に対して行ったのはたったそれだけのことでした。つまり二宮和也は、落語など経験したことがないはずなのに、立川談春が落語をやっているテープの音声だけを聞いて、「立川談春としか思えない」と言わしめるだけの完成度まで持っていってしまった、というわけです。
凄まじいエピソードだなと感じました。
この話、もちろん一番凄いのは二宮和也ですが、私はプロデューサーも凄いなと感じました。プロデューサーは、二宮和也から「テープがあれば大丈夫」と言われていたわけではないと思います。プロデューサー自身の判断で、「テープがあれば、彼は大丈夫だろう」と判断したはずです。その絶大な信頼感と、それに応える二宮和也の才能にちょっと驚かされました。
記事の冒頭から関係ない話で申し訳ありません。それでは『赤めだか』の内容の紹介に入ろうと思います。
立川談志のあまりの異端さ
私は本書を読むまで、落語界の仕組みをほとんど理解していませんでした。その仕組みを知ると、なおさら「立川談志」という人物の異端さが理解できるようになるでしょう。
落語の世界には「落語協会」が存在し、落語家になりたい人は基本的にここに所属する形になります。落語協会に所属する落語家の中から師匠になってくれる人を探して弟子入りし、その後は「前座」として寄席に出て経験を積むわけです。それから、「二ツ目」「真打ち」と昇進していくのですが、その昇進を決めるのは落語協会ということになります。
これが一般的な落語の世界です。
もちろん、立川談志も元々は落語協会に所属していました。しかし彼は、色々あって落語協会を飛び出してしまうのです。そして、自ら「落語立川流」という新たな団体を作り、「落語協会」とは関係のない落語界を作り上げていくことになります。
立川談志がどんな落語をやっているのか知らなくても、この事実だけでいかに異端児であるかが理解できるでしょう。
さて、落語協会を飛び出したことにより、落語立川流の弟子は落語協会に属する落語家と比べて大きく2つの点で違いが生まれることになりました。
1つは、弟子にとってはプラスの変化です。「二ツ目」への昇進基準が明確になりました。
落語協会に所属している場合、「どういう条件なら『二ツ目』や『真打ち』に昇進できるのか」が分からないそうです。これは、努力する側としてはなかなか難しい環境と言えるでしょう。しかし落語立川流の場合は昇進基準がとにかく明確にされています。それは、
古典落語を50席覚えること
だけです。これさえクリアできれば、弟子入りした順番も年齢も経験も一切関係なく、「二ツ目」に昇進できます。
さてもう1つの変化の方は、弟子たちにとってはかなり大変なものでした。「寄席がない」のです。例えば東京には、浅草・上野・池袋などに「寄席」がありますが、これらは当然のことながら「落語協会に所属している落語家が出る場」です。落語協会を飛び出してしまった落語立川流には当然「寄席」に出る機会がありません。
落語家の弟子というのは普通、「前座」として様々な「寄席」に出ながら実力をつけていくものです。しかし落語立川流に試す場はありません。しかしそれ以上に、「やることがない」というのが大変です。もちろん、師匠である立川談志のお世話はするわけですが、それ以外に「やらなければならないこと」はありません。落語協会の弟子はとにかく時間がないものですが、落語立川流の弟子はとにかく時間が有り余っています。つまり、自ら生活を律し、自分の頭ですべきことを考えて落語家としての研鑽を積んでいかなければならないのです。
立川談春は、そんな異端児・立川談志の元に弟子入りしたもんだから相当苦労することになります。そんな日々を描いたのがこのエッセイです。
立川談春の苦労
立川談春は、通っていた高校を中退し、17歳で立川談志に弟子入りします。両親からは勘当同然で追い出されたそうです。まあ、「落語家になる」と言って高校を中退するのは相当ヤンチャだと思うので、そのような厳しい扱いを受けても仕方ないかもしれません。
ただ、「両親に勘当された」という事実は、立川談春にとって大きな苦労の元となってしまいました。
これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます
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