見出し画像

【戸惑】人間の脳は摩訶不思議。意識ではコントロールできない「無意識の領域」に支配されている:『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』

完全版はこちらからご覧いただけます


我々を動かしているのは「意識以外のもの」であり、我々に「自由意志」などない

本書を読むべき理由

本書は「脳」についての本だが、もう少し詳しく言えば「『意識』と『意識以外のもの』は我々の活動にどう関係しているのか」という内容である。

さてまず、言葉の使い方について注意書きをしておこう。この記事では「無意識」ではなく「意識以外のもの」という表記を使う。「無意識」と書くと、「『無意識」というものがあると私たちは意識できている』というようなニュアンスになるだろう。しかし本書の核となる主張は、「人間には『意識することが不可能な領域』が存在する」である。「無意識」という名前を与えてしまえば、「意識することが不可能」という感覚と少しずれてしまうだろう。

だからこそ「意識以外のもの」と表記する。意味的には一般的にイメージする「無意識」と同じようなものだと思ってもらっていいのだが、「その存在を、私たちは意識することができない」というのが決定的に重要だ。この点をきちんと捉えておいてほしい。

本書では「意識以外のもの」が我々の思考や行動をどれほど支配しているのかが語られる。それは本当に驚くべき事実だ。

当たり前だが、私たちは「意識」しか意識できない(変な日本語だが、こう書くしかない)。だから「意識」が行う思考・判断が私たちの言動のほとんどを司っていると感じてしまうだろう。

しかし実際はそうではない。我々の言動のほとんどは「意識以外のもの」によって支配されているのだ。

本書はそのことを様々な事例から明らかにしていく作品でる。そしてなぜ本書を読むべきなのかと言えば、「人間の限界」を知っておく必要があるからだ。

以前『錯覚の科学』についての記事でも同じことを書いた。

人間には避けられないエラーが存在し、それが錯覚を生み出し、そのせいで誤った言動を取ってしまうことがある。脳も「意識以外のもの」によって支配されているために、自分の「意識」でコントロールできる領域はごく僅かしかない。それは、避けられないエラーが存在するのと同じと言っていいだろう。

自分の言動は自分の意思でコントロールできる、と多くの人は思っているはずだが、脳科学の研究からそうではないということが分かっている。人類が抱え込んでしまっている宿命的なエラーを理解することで過ちを可能な限り避けることが大事なのだ。

本書を読んで、人間の限界がどこにあるのか正しく理解しよう。

人間はいかに「意識以外のもの」の存在を理解してきたのか?

人類はこれまで、宗教や哲学などを通じて、人類そのものを理解しようとしてきたことだろう。その後科学が発達したことで、思考を生み出す「脳」も研究対象として扱うことができるようになっていく。

「我思う故に我あり」「人間は考える葦である」などが示唆するように、私たちは「思考する」ことによって特異な存在となっていった。そしてその「思考」を生み出すのが「脳」なのだから、「脳」を正しく理解しさえすれば、我々自身についての理解も進むはずだ、と考えたくなるだろう。

しかし、決してそうではない。

自分たちの回路を研究してまっさきに学ぶのは単純なことだ。すなわち、私たちがやること、考えること、そして感じることの大半は、私たちの意識の支配下にはない、ということである。ニューロンの広大なジャングルは、独自のプログラムを実行している。意識のあるあなた――朝目覚めたときにぱっと息づく私――は、あなたの脳内で生じているもののほんの小さなかけらにすぎない。人の内面は脳の機能に左右されるが、脳は独自に事を仕切っている。その営みの大部分に意識はアクセス権をもっていない。私は入る権利がないのだ

「私たちがやること、考えること、そして感じることの大半は、私たちの意識の支配下にはない」とはっきり書かれている。

つまりこういうことだ。「脳」は「意識」と「意識以外のもの」を生み出すが、その中で「意識」が関わる領域はほんの僅かしかない。「脳」の機能の大半が「意識以外のもの」によって支配されているのだが、我々はその「意識以外のもの」へのアクセス権を持っていないのだ。「意識以外のもの」を理解できないのであれば、「脳」のほとんど理解できないことになる。

つまり「脳」を理解することなどできない、ということだ。

このことを、ホテルで喩えることができる。ホテルの一室を予約している場合、自分の部屋と、トイレや食堂、ロビーなど共有スペースを利用することができる。しかし他の部屋に入ることはできない。他の部屋に誰がいて、どんなことが行われているのかを知る余地はない。

「脳」というのはこのホテルのようなものだ。自分が予約した部屋と共有スペースが「意識」であり、それ以外の入れないすべての部屋が「意識以外のもの」だ。そして、ホテルのほとんどの場所に入れないのと同じように、脳内のほとんど場所に「意識」はアクセス権を持たないのである。

二〇世紀半ばまでに思想家たちは、人は自分のことをほとんど知らないという正しい認識に到達した。私たちは自分自身の中心ではなく、銀河系のなかの地球や、宇宙の中の銀河系と同じように、遠いはずれのほうにいて、起こっていることをほとんど知らないのだ

なかなかイメージできないが、現代科学ではこのように考えられている。

「意識以外のもの」の存在を少しは感じてみる

それでは具体的な例を挙げて、「意識以外のもの」の存在を実感してみよう。

私はもう何年も運転をしていないが、車の運転をする人であれば、何か危険を察知して急ブレーキを踏むようなことがあるだろう。例えば子どもが飛び出してきたとしたら、あなたは咄嗟にブレーキを踏むはずだ。

さてこの場合の自分の行動について少し振り返ってみてほしい。どのように「急ブレーキを踏む」という行動に至っているだろうか?

我々が何らかの行動を取る時、基本的には「何かをしよう」と「意識」してからそれを行うだろう。しかし、急ブレーキを踏む時に、そんなことをしているだろうか? 「子どもが飛び出してきたから危ない」と「意識」し、「急ブレーキを踏まなきゃ」と考えてからブレーキを踏んでいるだろうか?

そんなはずがないだろう。そういう時は、「急ブレーキを踏まなきゃ」などと頭の中で考えるよりも先に足が動きブレーキを踏んでいるはずだ。

「思考」よりも先に「行動」が起こっているのだから、これは「意識」の仕業ではない。となれば「意識以外のもの」が関わっていると考えるしかないだろう。

もっと身近な事柄について検証を行ったこんな実験が知られている。

被験者は、「好きなタイミングで指を上げてください」と指示される。被験者の脳には電極がつけられており、被験者はその数値を見ることができる仕組みだ。そして、「『指を動かそう』と思った瞬間の数値を報告する」ように求められる。つまり、「指を動かそうと思ったタイミング」と「指を実際に動かしたタイミング」を同時に測定しようというのだ。

結果は、当然と言えば当然だが、「指を動かそうと思った」後で「実際に指を動かす行動」を取った。指を動かそうと思ってから4分の1秒後に指が動いたそうだ。

さて面白いのはここからだ。実は実験者は、被験者の脳波も同時に測定していた。つまり、「どのタイミングで脳内活動が生じるのか」を調べようというわけである。そしてその結果、「指を動かそうと思う」よりも前に「指を動かすための脳内活動が生じている」ということが分かったのだ。

つまり順番としては、「指を動かすための脳内活動が生じる(意識以外のもの)」→「指を動かそうと思う(意識)」→「実際に指を動かす(行動)」ということになる。私たちが「指を動かそう」と「意識」するよりも先に、「意識以外のもの」が「指を動かすことを決めている」というわけなのだ。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

ここから先は

4,705字

¥ 100

期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?