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【誤解】「意味のない科学研究」にはこんな価値がある。高校生向けの講演から”科学の本質”を知る

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科学全般への関心を抱かせてくれる、超易しい「素粒子物理学」の解説書

なぜ本書は分かりやすいのか?

本書は、現役の実験物理学者が高校生向けに行った講演をベースにまとめた作品です。著者の専門は「素粒子物理学」という分野であり(「ニュートリノ」を使った実験を多く行っているそう)、本書でも「素粒子物理学」の話をメインに様々な話題が登場します。「加速器とガンダムのビームライフルの比較」「和歌山毒物カレー事件の林眞須美の捜査に使われた加速器」など、科学に興味のない人にも面白がってもらえるような話題もふんだんに盛り込まれている1冊です。

そして最終的に、「素粒子物理学」の基本中の基本である「標準模型」を説明してくれるわけですが、この「標準模型」、普通に理解しようとするとメチャクチャ難しいと思います。私はこれまで何冊か「標準模型」に関する本を読んでいますが、聞き覚えのない単語が山ほど出てくるし、それらが「強い力・弱い力」「ニュートリノ振動」「物質・反物質」などにどう関係してくるのかという話が展開されるので、とにかくややこしいのです。

しかし本書が凄いのは、その複雑怪奇としか思えない「標準模型」を、非常に分かりやすく説明してくれることです。私がそれまでに読んだ本もすべて一般向けの科学書でしたが、私がこれまでに読んだ「素粒子物理学」の記述の中では、間違いなく最も分かりやすいと思います。他の本を読んで分からなかったことが本書を読んでスッと理解できた、ということが何度かあったほどです。

もちろん、「素粒子物理学」なんてものにまったく触れたことがない人にはどのみち難しく感じられるのかもしれませんが、「素粒子物理学」をなんとなく知りたいという場合、本書は非常に良い選択肢だと思います。

では著者は何故分かりやすい説明ができるのか? その点について、本書の冒頭にこんなことが書かれています。

でも、読者の方々にお聞きしてみたいのは、
「本当にそれらの本を読んで理解できましたか?」
ということです。自慢ではありませんが、僕自身、不真面目で頭の悪い高校生だったころ、その手の解説書で最後まで読み通せたものは1冊もありませんでした。
なぜ読破できなかったのか? 理由が大人になってわかりました。
その先生方は頭が良すぎたのです。
(中略)
僕の強みは、多くの皆さんと同じように「物理の本を読んでも、よくわからなかった」という、偉い先生方はたぶんしていないであろう経験をしていることです

どういうことか分かるでしょうか? つまり著者は、「子どもの頃は頭が悪かったので、偉い先生が書いた本の内容がチンプンカンプンだった」と言っているのです。

高校時代、私はよくクラスメートに勉強を教えていました。今でも私は、誰かに何か物事を教えるのは上手いと自分で思っているのですが、それは私が天才ではなかったからだと思っています。「相手が分かっていないポイント」が、天才には理解できません。しかし、それが分からないと、相手にきちんと伝わるような教え方はできないわけです。

同じように著者は、自分が出来の悪い子どもだったからこそ、知識のない相手(講演の対象は高校生なので、素粒子物理学の知識など普通持ってるはずがありません)に知識を伝えることが得意なのでしょう。

そんなわけで本書は、「素粒子物理学」の入り口としては最適だと思います。

そしてだからこそ、「素粒子物理学」に関する記述は是非本書を読んでほしいです。そういう意図でこの記事では、「標準模型」に関する記述はしません。著者が様々に展開する話題の中から、「科学への関心を引き出す」という意味で興味深い話をピックアップしようと思います。

「科学研究にどんな意味があるのか?」と問うて「東急ハンズの棚」と答える。そのこころは?

本書を読んで、本題である「素粒子物理学」の話以外でもっとも感銘を受けたのが、「科学研究を行う目的」についての著者の明快な答えです。

先ほど触れたように著者は、「ニュートリノ」に関する実験をを行っています。非常に大きな加速器(著者は「J-PARC」と呼ばれる加速器の建設に携わりました)で「ニュートリノ」を加速・放出し、何が起こるのかを調べているわけです。

そんな話をすると、「その研究は何の役に立つのですか?」という質問を受けることもあると言います。この問いに対して著者は、「東急ハンズの棚」を例に出して非常に素晴らしい回答をするのです。

著者は、「ニュートリノの利用法は、今のところ何も思いつかない」と言っています。ニュートリノ研究の最前線にいる著者が知らないのだから、恐らく世界中の誰も、その活用法を思いついていないということでしょう。

しかしそうだとしても、ニュートリノ研究に価値がないと断言できはしない、と著者は主張します。そしてその説明のために、携帯電話の例を出すのです。

ところが、この携帯電話に使われている技術っていうのは、「携帯電話を作ろう!」と思って開発されたものなんてほとんどないんです。まったく別の意図で開発されたさまざまな技術を結集して、この携帯電話は作られているんですね

「携帯電話を開発しましょうか」って言って、1から開発してると100年経っても絶対にできません。科学技術の世界は、そういうものなんです

どういうことか分かるでしょうか?

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