ひと皿の小説案内(読むことと食べること)
この本を書店で見たときに、小躍りしてしまいました。
「主人公たちが食べた50の食事」というサブタイトルがついています。
本を読んで一番あざやかに頭に残るのは、たいがい登場人物の食べるものです。
序文はこれです。
本当にその通り!
本だけに限らず、映画もテレビも、食事のシーンは見逃せない。
ハイジのチーズ。おじいさんが温めてとろんとしたチーズをパンにのせる・・・。
思い出すだけで、幸せな気分になります。
この本は、作者がデザイン学校の学生だったときに、デザインの企画として始めたことだそうです。そして、夢中になってしまい、締め切りをはるかに越えて作業を続けたと書いてあります。
50皿です!
「白鯨」から始まり、「風と共に去りぬ」。子どもの頃に読んだ「ジャムつきパンとフランシス」まであります。
憧れていた「赤毛のアン」のいちご水。美しい透明な赤い飲み物を想像するだけで、楽しい気持ちになったのを思い出します。
原書では、ラズベリーのコーディアルだったのですね。
「ロリータ」のジンとパイナップルジュースのカクテルもイメージされています。
私はお酒に弱いので、夏には、ココナッツ・リキュールのマリブにパイナップルジュースというカクテル(ほとんどパイナップルジュース)を作ってもらって、氷をたくさん入れて飲むことがあります。
そして、一番といってもいいくらい好きな小説「グレート・ギャツビー」のオードブルも出てきます。
「華麗なるギャツビー」という本は、ボロボロになるまで持ち歩いていました。
ジャズエイジと言われたフィッツジェラルドの時代。
妻のゼルダも文章を書き、「こわれる」という自伝小説も読みました。
果たして、映画ではどうだったかしら?
覚えていないので、再び観てみようと思います。
映画は、ロバート・レッドフォードとミア・ファローの、昔の「グレート・ギャツビー」の方が好きです。
50皿の中には、私が想像した食卓とはイメージが違うものも多々ありましたが、作者のイメージする料理からインスパイアされて、何かやってみようかしら?と思えます。
私の想像していた小説の中の料理は、もしかすると非日常的なものだったのかも知れない、と思ったのです。
特別な料理ではなくて、日常が淡々と続いている中での割と質素ともいえるひと皿。作者の想像の中にあるイメージの方が小説に近いのかも知れないな、と。
日々、料理をしているのに、小説の中だけは特別に感じていた自分が面白くなってしまいました。
読むことと食べることはもともと相性がいい。共通点が多いのです。読むのは摂取です。食べるのも摂取。どちらも心地がいいし、栄養を得られるし、健康や体力を回復させてくれる。リラックスできるし、おおむね楽しい。元気にもなるし、眠くもなる。食べ物にしても本にしても、内容の濃いものは時間をかけてちゃんと消化する必要があります。いい小説を読むとどこか別の場所や時間につれていかれる。同じように食べ物もーそれがおいしかろうとそうでなかろうとー食卓から遥かに隔たった場所を呼び寄せてくれます。
この文章に大きく頷いてしまいました。
食器やカトラリーに凝ってみたりするのも、おままごとのようで楽しいし、
作ったものを誰かと一緒に食べる喜びは、何にも変えられません。
「美味しい!」と言われたら、尚更です。
読むこと、食べること、どちらも人生には欠かせません。
そして、料理の盛り付けは、絵を描くこととほとんど同じように感じます。
料理の鉄人にも「フランス料理界のドラクロワ」と呼ばれる坂井シェフがいました。美しい彩りの食卓は、豊かさを感じさせます。
料理が出てくるシーンを抜粋して載せている「ひと皿の小説案内」。
お腹が空いているときにはオススメできません(笑)。
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。