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無駄こそこの世の喜び |『粋に暮らす言葉』杉浦日向子

ページをめくるたび、人びとの軽快な息づかいが飛び出す絵本のように立体的に浮かび上がってくる感じ、とでもいうか。

漫画家でもあり、江戸風俗の研究家でも知られる杉浦日向子さんが伝えてくれる言葉からは、江戸という時代と、その時代の暮らしぶりや営み、そしてそこに生まれた「明るく楽しく生きていく知恵」が、当時の喧騒とともに伝わってきます。

なんだか、くよくよしてるのがもったいない、そんな気分にさせてくれます。

たとえば、江戸の人びとが大切にしていたであろう生き方や価値観については、上方(関西)との対比がとっても面白くてわかりやすく、納得しちゃうんです。

スイとイキ

上方かみがたの「スイ」に諦観はないんです。「スイ」は重ねていったほうがいい、深めていったほうがいい、熟成したほうがいいっていう価値観です。それに対して江戸は、ちょっと積んでは崩し、ちょっと積んでは崩しっていうやりかたですね。

「思想の科学」1993年

削り取る

こそぎ落としていく、背負い込まない、吐いていく、そうやって、ぎりぎりの最低限のところまで削り取っていって、最後に残った骨格のところに、何か一つポッとつけるのが、江戸の「イキ」なんです。

『お江戸風流散歩道』

性と情

江戸の性に対して、大阪は情。性は行動パターンを進化させ、個々のライフスタイルを深める。性分、性格、性能、性質、本性、個性、特性、習性。情は思考パターンを進化させ、共生のライフスタイルを深める。情事、情念、情景、情緒、人情、友情、心情、純情、激情。

『呑々草子』

東西あってのニッポン

東西あってのニッポン。尾頭おかしらあって目出鯛めでたいだ。滋味の頭は大阪に、推進力の尾は東京が担おう。

『呑々草子』

もし今、生きづらさを感じているとしたら、これほどに目から鱗な処方箋はないんじゃないか。
そう思います。

なんだか私たちは、便利な世の中で色々なものを手に入れたかのように見えますが、ひょっとしたらそのせいで、寄る辺のなさにいつも心は揺らめいているのかもしれません。

しかし、日向子さんが伝えてくれる江戸の暮らしぶりから伺い知れるのは、「なにもない」というところからスタートした〝諦め“ という文化が育んだ、生きていくための創意工夫。

そして時代や文化は、遊び心の中から生まれる、ということ。

無駄を楽しむ

江戸の遊びは、無駄を楽しみ、常に感性を磨き競い合うこと。不必要と思われるところに機智を駆使することで遊びが文化に高まるのです。

『お江戸風流さんぽ道』


それでちょっと思い出したのが、「あし」とも「よし」とも読める「葦」という字にまつわる、ある禅の教えです。

私たちは、世界情勢から身の回りで起こる、ありとあらゆる大きなことから小さなことまでを、どう捉えるか、またはどの角度、どの視点から見るかによって「よし=良し」と感じたり「あし=悪し」とジャッジしたりします。

不思議ですよね。
根っこはひとつなのに。

つまり「良いか悪いか」なんて、時代はもちろん、状況や立場、関係性、時間の流れ、価値観の変化などによっていかようにも変わるものなので、ひとつの視点で捉えるのはナンセンス!というもの。

光と影は、渾然一体なのではないでしょうか。
そしてオセロのようにいつでも簡単にひっくり返る。

日奈子さんも、このように書かれています。

アシもヨシも

あしは「悪し」に通ずをみてヨシとも読む。かつて一面の葦の原であった地を「吉原よしわら」と名付け「悪所」と呼ぶ。アシもヨシも同じこと。ままならぬのは人のごう

『ニッポニア・ニッポン』


これは、江戸の文化の中で生きていた人々の暮らしを楽しむ知恵とも通じるし、また、ままならない現代を生きる私たちが心に余白を持って生き、そして軽やかで健やかに終わりのその時をむかえられるための知恵にも通じるものだと思うのです。

最後に、江戸の人々の死生観が集約されているこちらを。

人間一生、物見遊山

江戸の人々は「人間一生、物見遊山ものみゆさん」と思っています。
生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためだと考えているのです。

『お江戸でござる』



杉浦日向子『粋に暮らす言葉』(2011)イースト・プレス



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