無駄こそこの世の喜び |『粋に暮らす言葉』杉浦日向子
ページをめくるたび、人びとの軽快な息づかいが飛び出す絵本のように立体的に浮かび上がってくる感じ、とでもいうか。
漫画家でもあり、江戸風俗の研究家でも知られる杉浦日向子さんが伝えてくれる言葉からは、江戸という時代と、その時代の暮らしぶりや営み、そしてそこに生まれた「明るく楽しく生きていく知恵」が、当時の喧騒とともに伝わってきます。
なんだか、くよくよしてるのがもったいない、そんな気分にさせてくれます。
たとえば、江戸の人びとが大切にしていたであろう生き方や価値観については、上方(関西)との対比がとっても面白くてわかりやすく、納得しちゃうんです。
もし今、生きづらさを感じているとしたら、これほどに目から鱗な処方箋はないんじゃないか。
そう思います。
なんだか私たちは、便利な世の中で色々なものを手に入れたかのように見えますが、ひょっとしたらそのせいで、寄る辺のなさにいつも心は揺らめいているのかもしれません。
しかし、日向子さんが伝えてくれる江戸の暮らしぶりから伺い知れるのは、「なにもない」というところからスタートした〝諦め“ という文化が育んだ、生きていくための創意工夫。
そして時代や文化は、遊び心の中から生まれる、ということ。
それでちょっと思い出したのが、「あし」とも「よし」とも読める「葦」という字にまつわる、ある禅の教えです。
私たちは、世界情勢から身の回りで起こる、ありとあらゆる大きなことから小さなことまでを、どう捉えるか、またはどの角度、どの視点から見るかによって「よし=良し」と感じたり「あし=悪し」とジャッジしたりします。
不思議ですよね。
根っこはひとつなのに。
つまり「良いか悪いか」なんて、時代はもちろん、状況や立場、関係性、時間の流れ、価値観の変化などによっていかようにも変わるものなので、ひとつの視点で捉えるのはナンセンス!というもの。
光と影は、渾然一体なのではないでしょうか。
そしてオセロのようにいつでも簡単にひっくり返る。
日奈子さんも、このように書かれています。
これは、江戸の文化の中で生きていた人々の暮らしを楽しむ知恵とも通じるし、また、ままならない現代を生きる私たちが心に余白を持って生き、そして軽やかで健やかに終わりのその時をむかえられるための知恵にも通じるものだと思うのです。
最後に、江戸の人々の死生観が集約されているこちらを。
杉浦日向子『粋に暮らす言葉』(2011)イースト・プレス