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令和の保守がわからない

 どうも不自然な感じがして仕方が無い。
 何がかと言うと新型コロナウイルス禍騒動である。
 自分は出来ることなら長生きしたいし苦しみたくもないから、用心するに越した事はないが、さりとて「自粛を要請」するとか言われると今の日本のエリートは中学で習う国語でさえ難儀しているのではないかと思う。
 そもそもこの病は感染症なのですよ。ウイルスの多い所(例えば患者を受け入れた病院)などに行けばそりゃ感染する可能性はある。マスコミは「院内感染」を喧伝したりしてるが、受け入れる病院の方ではある程度の覚悟が出来ていて、おそらく医師の方でも在学中にその覚悟を問われていることだ。こんなのは自衛隊で言えば生徒が「お前らは有事の際には命を落とす危険がある、その覚悟はよいか」と教官に言われるようなもので、ここで逡巡していたら即刻退学ということになる。だから今、マスコミが院内感染を諜々するのは彼らが感染症について何も知らないと白状しているようなものである。
 感染者と非感染者が接触しなければ感染しない。それは誰にでも判ることだが、だからと言って日常の所作の多くが規制されると言うのはどうなの? 人類が感染症の脅威にさらされるというのは歴史上良く経験されたことで、それをその都度乗り越えてきたが、通勤するな買い物するな遊びに行くな、というのは今回初めての事ではないか。
 なぜそうなったのか。それには社会を牽いている層の保守志向がまずあって、また医学界の自分たちの判断に対する自負、というよりも驕りがあったのではないか。


 日本ではバブル経済破たん以降、新自由主義の台頭によって力のあるもの、そうでないものの2極分化が進んだが、その結果社会をリードする人々がそれに従わざるを得ない人々(古臭い言い方をすれば「大衆」若しくは「庶民」で、当然私たちもそれに含まれる)に対して強圧的な要求を平然とするようになったのでこんな無体なことになってしまったのだろう。
 もちろん「保守志向」は権力者側だけの行動規範にあるのではなく、私たちの側にもある。たとえば閉店間際のスーパーマーケットに行ってごらんなさい。半額シールを貼られるのを待つ客がかなりいる。彼らの中には私のような貧乏人だけでなくそれなりの経済力を持つ者たちも沢山いて、半額化した寿司などを沢山買って帰られる。これはお金を使いたくないという考えがその根底にあるためで、これも保守志向である。



 保守志向に縛られない人であれば、商品の価値が認知されていない冒険的な新製品をさほど考えもせず買ってしまうだろう。こういう人は「革新志向」の人と見られるが、私の経験ではあまりこういう人は見かけない。その結果、本来なら革新志向の人に買われるべき新製品が哀れ値下げされて保守志向の人達の手に渡るか、捨てられる。
 まあ、人の事は言えないが。
 ちょっと嫌だなと思うのは危機に乗じてさらに一層、危機を煽っている人達が沢山いることだ。彼らは一体何を考えているのか。本来不安に駆られている人をより一層不安にさせるのは人でなしのすることだが、思い返せば「オレオレ詐欺」対策も、この発想にあった。ただこちらは警察が中心になっていて、警察と言うものは最も保守的な発想の組織だから、コロナ危機を吹聴する人も、オレオレ詐欺を吹聴する人も、同じく保守志向なのだろう。
 行き過ぎた令和の保守志向。
 なんだか変だなとは思わないか?


注:この文章は2020年5月4日に書いたものです。掲載されている写真も同時期の写真です。ちなみに今でも思いはかわらにゃーで。しかし竹槍持って闘えみたいなことを今言われることになろうとはねぇ。それにつけても明治の初頭「一ツとせ人の嫌がる軍隊に…」って唄ってた人が昭和には「非国民」って言葉を振り回したり特攻隊に志願するようになったのはなぜか、って言う高校位からの疑問がやっと解けたようであるのは嬉しい。

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