東京・多摩・関東地区の忌み地と怪談

怪談や歴史が好き。仕事のかたわら東京、多摩、関東地区の忌み地や怪談を紹介しています。 fusigilegend.blogspot.com

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最近の記事

板橋の縁切り榎(東京板橋)

板橋の縁切り榎板橋の縁切り榎(えんきりえのき)は、東京都板橋区板橋に所在する縁切りの伝説を持つ榎の木である。この榎はもともとは大六天神社のご神木で、旧中山道沿いに位置し、江戸時代より人々の信仰を集めてきた。 「新篇武藏風土記稿」には「世二男女ノ惡縁ヲ離絶セントスルモノコノ 樹に所テ驗アラスト云フコトナシ云々」とあり(樹木信仰の事例より)、 昔から特に良くない縁や悪い習慣と縁を断ち切りたいと願う者たちが参拝し、その効験を祈願してきたことで知られる。 縁切り榎の由縁 「十方

    • 松嫌いの習慣(東京都八王子市子安町)(埼玉県熊谷市妻沼)

      木花之佐久夜毘売の怒り 東京都八王子市子安町 武蔵野南多摩群八王子町の大字元子安小字本村(現:子安町)は20~30戸ばかりの小部落であったが、松を嫌うという変わった風習があった。 その村の家々では正月の松飾をすると鎮守の祭神である木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の怒りに触れると言うので、古来より松飾をしないという。 ある村人がこの習慣に背いて松飾をしたところ、その村の人々は一人残らず疫病にかかり、外部からの行き来も絶えてしまい大いに困ったことがあった。 埼玉県

      • 影取池とおおびゃく(大崩)伝説(多摩市唐木田2丁目・大妻女子大学 多摩キャンパス付近)

        多摩市唐木田2丁目・大妻女子大学 多摩キャンパスの周辺には、かつて影取と呼ばれており、影取池という池が存在した。その池の水面の姿を映すと大蛇もしくはお姫様の幽霊に水中に引き込まれると噂されており、影取池と呼ばれていた。

        • 栃ノ木谷戸(東京都多摩市豊ケ丘)

          栃ノ木谷戸は、東京都多摩市豊ケ丘2丁目にある「とちのき公園」付近にあった谷戸である。 多摩市貝取谷戸の支流である栃ノ木谷戸は、以前は栃木家という旧家が存在したことから、そう呼ばれるようになった。旧家が途絶えてからは、この土地を所有するものに不幸が多く起こったことから魔所(忌み地)とされていた。

          カネ玉(多摩市落合・関戸)

          昔、ある家にカネ玉が落ちたという。カネ玉は人魂や狐火とは異なりものすごいスピードで落ちてくるという。大きな音がしてある家に落ちたのだが、朝になって屋根を見ても跡は残っているが何も見当たらなかった。カネ玉が落ちた家では作物が良く取れて裕福になったという。

          カネ玉(多摩市落合・関戸)

          水神の祠と水害 - 水神の多くは川の氾濫地・土石流の発生地帯に立地

          水神とは?水害や土砂災害が起きやすい地域水神とは水田・井戸・川・池・治水など水に関する物に対して影響力を持つ存在で、龍神、蛇神、弁財天ときに不動明王などの形で祀られています。 水神の性格は様々で、飲み水の守護神、水田や灌漑に関わる水神、水難除けや防災の神としての水神、大漁祈願や漁の安全に関わる水神、雨乞いの役割を持つ河童と関わる水神など多岐に渡ります。

          水神の祠と水害 - 水神の多くは川の氾濫地・土石流の発生地帯に立地

          八幡知らずの森

          「八幡知らずの森」は千葉県市川市に存在し、「一度入ると出られない」と伝わる不思議な森です。現在は小規模な藪となっていますが、かつては鬱蒼とした竹や木々が生い茂り、神聖な雰囲気に包まれていました。以下に、森にまつわる代表的な伝説を紹介します。

          多摩市連光寺の赤坂駒飼場古戦場

          連光寺という地名の由来多摩市連光寺という地名は謎が多く、何時からそしてなぜ連光寺と呼ばれるようになったかは、はっきりしない。連光寺という地名が資料に出て来るのは、吾妻鏡が初出と思われる。

          多摩市連光寺の赤坂駒飼場古戦場

          シラカシの古木に抱かれた板碑(東京都府中市分梅)

          シラカシの古木に抱かれた板碑(東京都府中市分梅) 漫画「ちはやふる」 に登場する分梅神社のモデルとされる東京都府中市分梅町にある天王宮八雲神社。 神社近くの住宅街には「七百余年の歴史の板碑」という物があり、現在の板碑はレプリカだが、かつては神社境内にあった本物の白樫(シラカシ)の古木に抱き込まれる形で存在していた。この板碑は元応元年(1319年)11月8日に、大蔵近之という人物が亡き父親道仏の17年忌追善供養のために建てたものとされる(府中市教育委員会)。 過去に存在し

          シラカシの古木に抱かれた板碑(東京都府中市分梅)

          関戸合戦とどうよう塚(東京都多摩市和田)

          どうよう塚(雑兵の塚)ドヨウ塚  和田地区の宝蔵橋付近をドヨウ塚、ドウヨウ塚という。昔、新田義貞と北条軍の戦いのときに大勢の雑兵が戦死し、村人が数か所に埋葬した。それを雑兵塚とよんでいたのであるが、しだいにドウヨウ塚、ドヨウ塚とよばれるようになったという。(『子どものための歴史のさんぽみち』)。 また、馬や牛などの死体を埋めた所とも伝えられている。嫁入りにこの前を通ると、花嫁がさらわれてしまうので、嫁入りには通ってはいけないという。(『叢書5』) 「どうよう塚」という通称

          関戸合戦とどうよう塚(東京都多摩市和田)

          乞田川のアズキトギ婆(多摩市貝取)

          多摩市貝取の付近は湧水が多く、乞田川も流れていることからカッパや小豆洗いなどの川に現れる妖怪にまつわる話が多い。 崖が崩れてちょうど人が入れるくらいの穴があり、そこに湧き水がたまっていた。そこにはアズキトギババアがいたという。悪いことをする子供はアズキトギ婆に食べられてしまうと言われていたので、幼いころは走ってその前を通った。その際、ジョキジョキと小豆をとぐ音がしたという。 (多摩市史より)

          乞田川のアズキトギ婆(多摩市貝取)

          多摩市唐木田の忌み地と火災事故の関係

          多摩市唐木田の忌み地と火災事故の関係多摩市唐木田1丁目のショッピングモール付近はかつて厳耕地(げんごうじ)と呼ばれ、その周辺は関わると祟りがあるとされる忌み地であった。 その厳耕地にはかつて怪異が起こる「怒り井戸」が存在し、井戸があった場所は現・多摩市唐木田3丁目付近(大和証券研修センターもしくは研修センター前の道路付近)と云われており、死体が投げ込まれたことに怒った井戸はごうごうと不気味な音を立てるようになったという。 詳細は下記のリンクから。

          多摩市唐木田の忌み地と火災事故の関係