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松嫌いの習慣(東京都八王子市子安町)(埼玉県熊谷市妻沼)

木花之佐久夜毘売の怒り 東京都八王子市子安町

武蔵野南多摩群八王子町の大字元子安小字本村(現:子安町)は20~30戸ばかりの小部落であったが、松を嫌うという変わった風習があった。

その村の家々では正月の松飾をすると鎮守の祭神である木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の怒りに触れると言うので、古来より松飾をしないという。

ある村人がこの習慣に背いて松飾をしたところ、その村の人々は一人残らず疫病にかかり、外部からの行き来も絶えてしまい大いに困ったことがあった。

埼玉県熊谷市妻沼の妻沼聖天山

歓喜院(かんぎいん)は、埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)に所在する高野山真言宗の仏教寺院である。日本三大聖天の一つに数えられる。

通称として山号に地名を加えた「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)」の名で広く知られ、古くから関東屈指の霊場であった。埼玉の日光とも呼ばれ、国宝指定以前は「埼玉の小日光」とも称されていた。参拝者や地元住民からは妻沼の聖天様として親しまれている。

この聖天様も松を嫌うという話しで、昔は近隣の村に1本も松もなかったとされる。聖天様は昔、松葉燻し(生の松葉をいぶした煙で行う責め)されたことがあり、それからというもの松を嫌うようになったと言う。

もしよそから嫁入りする娘に「まつ」という者が居れば、祟りを恐れて必ず改名させてという。また、この禁忌を破って松の盆栽を育てようものならば、その家は早々に衰退すると言われていた。

聖天様 松嫌いから酒嫌いに

近隣の松を根絶やしにしたい聖天様であったが、古来より比企郡(埼玉県中央部)のあたりには松が多くあり、松山の地名が残るほど松が繁栄している土地であった。

そこで聖天様は松脂を霊力によって松くい虫に変えることを試みたという伝説がある。

聖天様の霊力で大里(熊谷市)から湧いた松くい虫が比企郡、そして川越の方まで侵入した結果、松山は枯れ果てて雑木林に変わったという。

不思議な虫が突如増えて、松葉や松の木を食い荒らいしたので川越の人々は非常に困ったとされる。

住人たちは領主へ松の害を訴えたところ、領主は「松くい虫を捕まえて規定の酒壺に入れて差し出せば、報奨金を出す」というお触れを出した。住人たちは松くい虫を取りつくす勢いで酒壺に捕まえて、それが数百個集まったという。

領主は酒壺を土に埋めて、3年後に取り出したところ、壺の中には虫は居らず全て松脂に変わっていた。もともとは聖天様の霊力で松脂が松くい虫に変化したものであったので、効果が切れて元の松脂なったということだ。

面白くないのは聖天様で、今度は酒壺が憎たらしくなった。以来、妻沼では聖天様の神罰を恐れて、酒造りを行う者は居なくなったという。


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