特別支援との出会い。そして私の想い。
中学校の講師としてあるいはスクールカウンセラーとして、15年間特別支援や不登校支援に関わってきた私が、初めて特別支援というものを意識したのはいつか。
そして発達支援にはまって勉強し続ける私の、特別支援教育に対する想いについてお話したいと思います。
特別支援教育とは
まずは特別支援という言葉にあまりなじみのない方へ、「特別支援とは何か?」について少し触れたいと思います。
理念と基本的な考え方
文部科学省のHPにも記載がある通り、特別支援教育とは、障害のある子どもたち一人ひとりの困り感に寄り添いニーズを把握した上で、自立や社会参加に向けた支援を行っていくものです。
特別支援教育の歴史
1872年(明治5年)学制により初めて障害のある児童生徒のための教育がスタート
1878年 視覚障害者と聴覚障害者のための学校が設立される
1979年 養護学校義務化 この頃から自閉症が情緒障害として『特殊教育』の対象となる
2001年 『特殊教育』という言い方に代わり、『特別支援教育』という呼び方が使用されるようになる
2007年 『特別支援教育』が正式に実施される
2007年に『特別支援教育』が正式に実施されるにあたって、5つの障害種別(視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由・病弱)に加えて対象が発達障害にも拡大されました。
また、通常級で学習しているLD(学習障害)やADHD(注意欠如多動症)の子どもも、状況に応じて通級指導を受けることが可能となりました。
以上が簡単な特別支援教育についての歴史ですが、20年前までは『特殊教育』という呼び方で、『特別支援教育』という呼称が正式になってからまだ15年なんですね。歴史が浅いので、社会的にだけでなく一部の先生方(特に年配の先生方)の間でも特別支援教育に対する理解が深まっていかないのは納得かな、と感じました。
はじめての特別支援
不登校支援という名の特別支援
私がはじめて特別支援に関わったのは、公立中学校の非常勤の支援員としてで、特別支援教育が正式に実施されてまもないころでした。
支援員である当時の私の仕事は、不良行為や不登校であまり学校により付かなかった生徒さんの対応が中心でした。
私は『特別支援員』ではなく『不登校支援員』の立場でしたが、関わるお子さんはみな特性による困り感を持っていました。
不良行為が多かった生徒さんには個別学習とSSTを兼ねた野外学習を任されていました。家庭的な難しさがあり愛着形成が不十分だったその生徒さんは、学習が苦手で言葉による理解に困難さが見られました。
その当時の私は「家庭の事情もあり勉強に気が向かない子なんだな」としか思っていませんでした。
今思うと、特性による困り感に加えて、愛着形成不全や周囲の不適切な対応が関係した二次障害があったのかもしれませんね。
担当の先生から何も説明を受けていなかったので、発達特性があることも知りませんでしたし、何より私自身が、特別支援どころか不登校支援の知識もゼロの状態でしたので気づくことができなかったわけです。
私が担当したもう一人の生徒さんは不登校で、こだわりが強いお子さんでした。
勉強は得意だったようですが、集団や友人関係に違和感を感じて長い間登校できずにいました。
「勉強ができて知的に問題のない子は発達障害ではない」と安易に考えていた私は、当然不登校の原因に特性がかかわっているとは考えもつきませんでした。
私はひたすら家庭訪問を繰り返し、一緒にプラモデルを作ったりそのプラモデルを使ってコマ撮りアニメに挑戦したりして交流を深めつつ登校を促すことしかできませんでした。
その子の興味を共有して一緒に過ごしたこと自体は悪くなかったと思うのですが、やはり特性を理解し正しい支援方法を知っていたら、もう少し違うアプローチができたのではないかと思います。
これらのことが「特別支援との出会い」と言えるかは微妙かもしれませんが、発達に課題を抱えた生徒さんと出会って、初めて『特別支援』を意識するきっかけとなりました。
支援員ってどんなお仕事?
私が支援員として初めて携わったこの業務内容は少し特殊だったかもしれません。
一般的には、特別支援教室や校内の適応指導教室における、学習支援や自立支援のお手伝いが主になるかと思います。
翌年以降の私の仕事内容はまさにこんな感じでした。
適応指導教室は主に不登校傾向の子や教室に入れない(入りたくない)子が利用します。
一見特別支援とは無関係のようですが、発達に課題のあるお子さんやグレーゾーンといわれるお子さんも多くいますので、特別支援教育のように発達障害に関する知識は必要です。
特別支援学級への想い
私が取り組んできたこと
非常勤の支援員としてはトータル5年。
常勤の講師としては2年。通常学級と特別支援学級の授業(英語)も受け持ちつつ、特別支援の副担任、校内適応指導教室の担任、不登校支援のコーディネーターなどを務めました。
やはり初年の不甲斐なさを反省して、翌年から特別支援についての勉強を始めますが、勉強をしても何が支援の正解なのかがわからず(未だにわからないことだらけですが)、かんしゃくを起こして暴れる子を抑止するだけの年もありました。
勉強や現場での経験を通してわかったことは、当然のことばかりですが、
同じ診断名でも、ひとりひとり特性の偏りが違うし困りごとも違うということ。
診断名が複数付く場合があること。
家庭環境やクラスの環境で状態が変わること。
子どもだけでなく親も困っていて不安であること。
得意分野では輝けること。
輝ける得意分野があるにもかかわらず、とにかく苦手ばかりが目立って自己肯定感が下がりがちな子どもたち。
何とかして自信をつけさせたいと思い、ひとりひとりの特性に合った学習法や苦手が目立たなくなる方法を考えたり、それぞれがそれぞれの得意を発揮できる場を作ったりと様々な工夫を試行錯誤でしてきたつもりです。
例えば、人数が少ないからできたことですが、あるマンガが好きだった子にはそのマンガのキャラクターに英語のセリフを言わせることで英語に興味を持たせるようなことをしました。
英単語が覚えにくい子には、絵が得意だったので楽しんで取り組める上に、視覚的に記憶に残りやすいのではと考え、画用紙でピクチャーディクショナリーを作ることを提案しました。
どちらも大成功とは言えませんでしたが、普段より授業にも集中できテストの点数もアップしました。なにより楽しみながら学習して、わずかでも成果を実感できたのが良かったと思っています。
これからの課題
特別支援教育が特別なことでなくなるために、特別支援に対する偏見をなくすために、まずは
学校現場における発達障害や特別支援教育についてのより深い理解
保護者の発達障害や特別支援教育についての正確な理解
が必要で、誰かがそれを広めていかなければいけないと考えています。
そしてその一助となれるように、私も研鑽を重ねていくつもりです。
発達に課題を抱えた子どもたちは『少数派に属する』というだけで、多様性が認められる世の中なら『発達障害』にはなり得ないのではないかと、私は思うのです。
生きづらさを作るのは周囲の偏見や社会の在り方なのではないでしょうか。
多様性あたりまえの社会になりますように。
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