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『エッセイのまち』の仲間で作る共同運営マガジン

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#言葉

じぶんは世界最高と唱えたらメンタル急降下をはじめて回避できた

穴に落ちていくような、悲しくて部屋のすみで丸まって、他のことが手につかないようなネガティブモードが時々やってきます。 それはたいてい夜にやってきて、悲しみでしびれた頭のままではベッドに移動するのも一苦労。 心がぼんやりとしたまま、ただただ泣けてくるだけの時間。 このネガティブモードは大学生の時にあらわれるようになって、かれこれ7年ほど飲み込まれたり脱出したりをくり返しています。普段は比較的ポジティブなのに、この時期になると手がつけられないほど悲しくなる。 やっかいな存在

よわさ、やさしさ

精神的に、どん底だったとき、部屋でスマホを見ていたら、ある動画が流れてきた。とある高校の、卒業生へ向けた校長先生の言葉だ。「弱くてもいいから生きる選択をしてもらいたい。強くならなくたっていいんですよ。……心を強くしようとすると、痛みに鈍感になるんですよ。痛みに鈍感になると他人の痛みにも鈍感になって、……つまり、弱さを失うと、人は優しさも同時に失うってこと。」 こういう言葉に救われた経験は、少なからず、誰もがあるのではないか。太宰治の『火の鳥』という短編に、「少しは、人の弱さ

手紙

人生ではじめてもらった手紙は、中学2年生のときで、恋文だった。誰かから、本気で好きだと言われた経験も、はじめてだった。結局、彼女のことが恋愛対象ではなかったので、付き合うことはなかった。あのころの、胸の鼓動と、少しの恥ずかしさは、今でもよくおぼえている。 いま思えば、あの手紙は、とても良い文章だった。素直で、真剣で、相手(僕)の心に触れる言葉だった。 僕も、相手の心に残る、あたたかい言葉で手紙を書いてみたい。そう思って、昨年から、少しずつ手紙を書いていた。手紙のやりとりは

入社して半年〜今の自分を振り返る〜

入社して半年。 自分が感じていた期待と不安なんて遠い昔の話で、 なんとか業務についていこうと必死だ。 今その瞬間、やるべきことを確実にこなそうとやるだけ。 ふと機会があったのでこのnoteに今の率直な思いを記してみる。 1) 社会人の【責任感】 今は1日のスケジュールをきっちりと上司の方に決めてもらっている事が多い。 主体的に動いているとはとても言い難い。 それでもこなす事には意味があるだろうし、毎回勉強の日々だ。 社会人の「責任」っていつ、どのタイミング芽生えるのか

背伸びするより身の丈に合った文章を書いていたい/とりあえず書く日記

とりあえず書いてみる。 この書き出しは紙の日記でよく使う。 とりあえず書く、と書く。 そうすると何かしらの言葉が続くのだから不思議だ。 何を書こう。 昨日はぶどうをたくさん食べた。 職場の同僚が親戚から2キロのぶどうをもらったらしい。 シャインマスカットやピオーネ、瀬戸ジャイアンツともう一種類。 ひとりじゃ食べ切れないからと4房の立派なぶどうを4人で食べた。 あんなにぶどうを食べるなんて滅多にない。 途中、ふと全員の手が止まったときにぶどうを持ってきた同僚が言う。

言葉はどこからやってきて、どこへゆくんだろう。

この間、ふるい喫茶店で話をしながら。 文章を書く時どんな感じで言葉が 手元にやってくる? みたいな話になっていた。 言葉ってみなさんどこからやって 来るんだろう。 どこで決断してその言葉を選択しようと どんな働きがあって、その言葉を獲得しているのかみたいなことに興味がある。 わたしは短歌をはじめた頃から 言葉はなにも浮かばない。 映像で頭に浮かんでしまう。 浮かんだ映像が頭にあるので、それを こんどは逆に言葉に翻訳している。 そんなふうに答えたような気がする。 最近

図書館で長い散歩をしてきました。

まだまだ夏まっさかりの日曜日。 図書館にいくために待ち合わせした。 この間は七月にそこを訪れた。 街の風景は少しひそやかになっていて。 お祭り風景も浴衣の人たちもだれも そこにはいなかった。 空はまだ入道雲がこれでもかと出ているけど。 街は季節を着替えようとしていた。 同じ町の違う横顔をみたみたいで、すこしだけさみしかった。 図書館に行く前には駅からすぐの昭和テイストばりばりの 純喫茶にはいってランチする。   その純喫茶は二度目なのだけど。 今まで気になりつ

夏へ短い手紙を書くとしたなら。

春も秋も冬も。 気がつくと季節はそこにいて。 皮膚感覚として好きとか嫌いとか 色々言ってしまうのが人だけど。 この夏はほんとうに嫌われていて。 わたしもたしかに嫌っていた。 でも夏が終わると思うとどこか 心寂しくなってしまうのは 恒例の気持ちのグラデーションだけど。 いろいろあったね。 この夏、わたしは人に出会うのが楽しくて しかたなかった。 むかし引きこもっていたわたしにも 教えてあげたいぐらいだ。 母の介護らしきものが生活のなかに 馴染んでやっと四カ月半。 母

しあわせなピリオドと、はじまりと。

①はじめて夏バテみたいなものを経験して。 体調というものは簡単に崩れてしまう ものなんだなって思っていたら、もう9月に いつのまにかなっていて。 その間にお知らせしなければいけなかった ことなどごてごてになってしまっていました。 去年の11月にイラストレーターのイシノアサミさんと ご一緒した絵本、「どこかでだれかが」が BASEにてようやっと完売いたしました。 ゆっくりやっていきましょうねってふたりで 約束していたので、ほんとうに最後の一冊が 在庫としてゼロになったとお

夏風邪と三ツ矢サイダー。

あーって扇風機の前で言ってみる。 あーってふるえる声が辺りに放たれる。 蝉が鳴いていた。 いつか網戸に蝉がくっついていて、部屋中に 蝉の声が鳴り響いていた。 あんなに思い切りなにかを言えたらすっきり するだろうなって夏の蝉に勝手に憧れる。 あー風邪ひいたかもしれん。 大学の終りの夏。 卒論疲れを感じていたわたしは 身体だけが取り柄だったはずなのに風邪をひいて、彼の部屋で悔しがっていた。 おでこに手をやるんじゃなくて、おでこで熱を測るあれをやってくれて、すこしだけお

「安全な場所に居続けてください」、もうひとつの意味。

もうひとつまえの台風が、やってくるとテレビのニュース 番組でアナウンスされていた時に、耳に止まったのが このフレーズだった。 安全な場所に居続けてください。 もちろんこれは災害に向けての命を守るための文言だし。 この文章の意味以上の意味はないのだけど。 わたしはすぐに思った。 ほんとうに、そうしたいと。そうありたいと。 Xとかを柄にもなくはじめてみたのが二年前だった けれど。 やり始めてみると、やたら内省するようになっていた。 内省し始めると、わたしのメンタルは

あやまちに馴染みたい、夜だった。

罪とは言わないまでも、その場所に居る人に とってはちょっとした心地よくないことを してしまうことってある。 どうしてそんなふるまいをしてしまったん だろうって、忸怩たる思いに駆られる こともある。 じくじたるってほんとうに凹んできそうに、 重たい漢字だな。 ほんとうは全然違うことを書こうと思って いたけど。 この間、大好きな作家の方がもうこの世には いらっしゃらないお知らせをTwitterで 知って。 あの話に出会いたいと㏚誌「花椿」をめくっていた。 <過ち>につ

E211: 暴言と石ころ

私は、今、とても幸せな日々を過ごしている。 毎日楽しく過ごしている。 ところが、もうとっくに忘れたはずの、 忘れたかったはずの出来事が、 40年も前のことが、 何かの拍子にフラッシュバックする。 へなへなと、令和のベンチに座って 息を整える。 あるとき、こんな質問をされた。 「もしあの頃の人たちが、源太さんの前に現れて、謝罪したいっておっしゃったら、どうします?」 突然そんなふうに聞かれて、ハッとした。 考えてもいなかったから。 その時は答えに窮した。 いまは……

E205:誤解しながら生きてる③

(もったいぶるわけではなかったのですが、長くなったので分けました。昨日の続きです) 「あの…先輩はTさんのこと、何かご存知なんですか?」 すると先輩はうなずいて声のトーンを落とした。 「退職した後ということで、正式に報告もされなかったから……ジブン(=関西弁で「あなた」)も知らんのやな?」 「はい…」 嫌な予感がした。 「…あの後、彼女…亡くなったんやって」 「え………❓えええ⁉️」 病気が発覚したこと。 それが命に関わるものだったこと。 本人は余命も知らされてい