
ゆっくり沼落ち スローな読書体験
Voisyでの下記の対談がすごーーくよかった!
Takram渡邉さん&コテン深井さん大放談会その1
https://voicy.jp/channel/794/98687
普段からTakram CastもCOTEN RADIOも聴いているので
この2人の対談とてもうれしい。
お題は「ファストな時代にスローの価値観をどう訴求する?」
クイックな活動(大量生産/大量消費、情報の洪水)の行き詰まり感。
何かを理解するために、外部から大量の情報を入れるという手法は最適解か?
自分にとって、世界にとって、幸せとは何か。
そんな問いにアプローチするには、スローなインプットが必要。
「外側から大量に」ではなく「内側に深く」のイメージ。
パーソナルコンピュータの原型を作ったエンジニア、アラン・ケイは「グーテンベルクの銀河系」だけを何度も何度も読み続けてPCの概念にたどり着いたのだそう。
仏教の思想家も、ひとつの経典をひたすら読み続け真理に到達しようとした。
ほんの一部ですが、そんな感じの内容でした。
クイックなインプット>アウトプットを繰り返す日々に
私も、すこし息苦しさを感じているので
射程距離の長い問いについて考え、
人間性を取り戻す時間も必要だよねという
渡邊さんと深井さんの言葉がとても優しくしみる。。
経典のような本
興味がある本を次から次へ買うのも好きだけど、
1冊の本を、それこそ経典のように何回も読み、咀嚼する行為も好きだ。
私は私の人生を、手放さずに、大切にしているな、と実感できる。
私にとって、その本は
三島由紀夫の「金閣寺」だな〜と思った。
美意識、屈折、日本人、認識と行動、といった
アイデンティティに関わる大事なことを考えたい時に読むと、
思索の沼にはまれる。
問いを引きずり出された本
実は、アイデンティティに関わるという意味で何度も読み返している
個人的経典がもうひとつある。
いつでもすぐに読めるように紙と電子で両方持っていて、大学生の時に初めて読んでから10数年のうちに10回は通読したと思う。
実は、と書いたのは
この本を好きだと誰かに言ったことも、おすすめしたこともないからだ。
その本は、「家畜人ヤプー」(沼正三)
ご存知の方は、好きだと言いにくい理由がわかると思うんですが
まあ、多方面に過激な小説で。
ざっくり言うと
遠い未来、日本人は人類ではなく「家畜」であるとされ、
唯一の「人類」である白人の世界で家畜として
とんでもない使役のされ方をしている。というSF小説です。
人種差別、性差別、マゾヒズム、肉体改造、汚物愛好のオンパレードで
本当にけしからんお話なのだけど。
私は、日本人と白人を100%フラットに見ているといえるか。西洋への盲目的な劣等感、憧れが全くないと言えるか。従属、奉仕に喜びを見出していないか。それは、戦争に負けたからなのか。日本人の気質が関係しているのか。
なんていう、ちょっと軽々しく話題には出しにくい問いが
私の中に確かにあったことを
「家畜人ヤプー」に引きずり出され、日にさらされた。
なんて本を読んでしまったんだ!と思いつつ
それから定期的に読み返しては、
「んんんん」とうなっているわけです。
深く潜るトリガー
経典という表現をしたけれど、
心底共感し、崇拝しているのとは少し違う。
「家畜人ヤプー」なんか、表面的には共感ポイントゼロだ。
それでも、読んでいるうちに、自分の中の言語化できない塊と目が合う。
振り切ったフィクションから、思わぬ形でリアリティが滲み出し
自分と真正面から向き合わざるを得なくなる。
小説に限らず、映画や絵画でもそのような瞬間に出会うことがある。
問いを深めるトリガーとなるような本。
それが私にとっての経典で、
そこから広がり生まれた自己の内面のアレコレを楽しみ苦しむことが
心地よくスローな読書体験なのではないかと思う。
心地よく、なんて書いたらアレだね。