自分を満たすための「子どもを応援」を手放して大正解だった実話
「子どもに期待していたのは、自分に期待できなかったからでした…」
そのことに気がついたら、あーそうか、だからあんなに力いっぱい自分の思い描く「理想」を娘に押し付けていたのか、と腑に落ちたのです。
大人になった自分よりも、これからの未来をどうにでもできる「子どもの今」の方が大事だし、可能性が無限大な子どもにエネルギーを注いだ方がいいに決まってる!!と思っていました。
それ自体は間違いではなくて、子どもには無限大な可能性があって欲しいし、実際にお金や時間を自分よりも子どもを優先している親は多いですよね。
だけど、もしそれが、純度100%の子どもを応援する気持ちではなくて、
自分はダメだったから…とか
自分は今さら変われないから…とか
自分のダメな部分に向き合いたくない…とか
そんな気持ちの隠れ蓑になっていて、今後の自分をどうしたいのか?ということから目を背け、蓋をして、ただ単に希望がある子どもの明るい未来を見ていたかっただけ!となると、一気に雲行きが怪しくなってくるわけです。
そりゃラクですもん。
できない自分に向き合わなくていいし、親としての責任を果たすという大義名分もあるし、子どもが成功したら、自分のできないことをイーブンにできるような気さえしていましたから。
子どもの応援=私の人生の損失補填だった
これは正直無意識だったのか、意識的にだったのかはわからないけれど、自分の人生の意味を子どもに見出そうとしていました。
極端な話、私が生まれた理由まで子どもに託そうとしていたのだと思います。私はこの子を産むために生まれてきた!ぐらいの勢いで。もう期待が重い、重すぎる…。
自分が何かを成し遂げられていたら、それはそれでその栄光を子ども達に引き継がせようと躍起になったのかもしれないし、そうなる気持ちもわからないではないです。
親というのは、簡単に子どもに対して傲慢になれるようにプログラムされてるのかもしれません。
私がいなくちゃ、この子はご飯も食べられないし、着替えもできないし、お風呂にも入れないし、何でも口に入れてるし、何でも触ってるし…って頃の一瞬たりとも目を離しちゃいけないプレッシャーが壮絶だった乳幼児期の記憶が強烈すぎて、
私がなんとかしてあげないと!!だったり
私の言うとおりにやらせよう!!になりやすい。
そこはもう毎日がサバイバルだったのだから、無意識層に深く刻まれてしまうのは不可抗力です。
子どもにしたら、年相応の扱いじゃないと不満に思うのもわかります。私たちもそっち側だった時がありましたからね。
それでも、子どもには自分の助けが必要だと疑いもせずに考えてしまうのは、必要として欲しいの裏返しだったなと思います。
自分の弱点やできないことを直視すると、歳ばかり重ねてて自分はちゃんとした大人になれたのか?の問いに胸を張って頷けない後ろめたさがあったり、主婦歴ばかりが中堅からベテランに移行されても「家事が苦手」意識が根強かったり、仕事でも結果が伴っていなかった現実に、今までダメだったのに、これからできる気がしなくて子育てに逃げるという部分も無きにしも非ずでした。
そんなグラグラの自己認識だから、子どもに必要とされていることで自分の存在意義を確認したかったんですよね。
「俺はいいからお前は先に行けよ」って死亡フラグみたいな思考で、勝手に自分の問題をおなざりにしときながら、子どもには完璧な完全勝利の未来を望んでしまう矛盾した親心を前面に出していました。
私のことはいいのよ!!って自分の課題や問題を棚上げしてる間は、気持ちはラクなんです。子どもに注意を向けている間は、もろもろある自己嫌悪からも逃れられるから子どもには平気で言える
「あれができてない、これができてない」
「もう何度も言ってるのにできないんだから!」
小言の中には、自分がちゃんとできないことも存分に含まれていたりして…汗
🔸ギリギリの時間で出発したり
🔸前日の夜に準備しておかないから忘れたり
🔸準備しておいたのに忘れたり
🔸嫌なこと(家事)は後回しにしたり
もう◯年生なんだから、できるようにならないとダメだよ!なんてどの口が言う…?!って脳内の裏側で自分に激しいツッコミを入れてたわけです。
無意識のツッコミに自身が耐えられるように、より子どもを中心に世界を回して、強力な遠心力で自分から目を背けようと必死になっていったのが、私の熱血ママ製造過程でした。
結婚すれば、子どもを産めば、ちゃんとした大人になれるかも…なんて期待しましたが、結婚しようが親になろうが、他力本願で自分を完成形にしようと思っても無理だったのです。
「私はいつちゃんとした大人になれるんだろう…」は、なくなりませんでした。
残念ながら、結婚したら幸せになるとも、親になったら幸せになるとも限りません。冷め切った夫婦仲や親子仲ならば幸福感を得られないだろうし、それどころか病気になるレベルのストレスを抱えてしまうことだってあります。
一生独身でも、子どもを持たなくても、人生を謳歌している人は幸せだと思うし、億万長者でも孤独な人生だと憂いていたり、貧乏でも毎日笑って楽しく暮らしている人がいたり、環境要因では人の幸福度は決定しないもの。
結局のところ、自分で自分をどうにかしないと満たされないことに気づくしかありません。
どうすれば望みどおりの自分になれるのか?
人生にできるのか?
そもそも、自分はどうなりたいのか?
そこを追求すると、私はできないこと苦手なことを克服することに繋がっていました。
脳の仕組みがわかると、苦手意識に自分は苦手だと思わされていた感覚になります。苦手だと思い込まされていた!!という驚愕の真実を目の当たりにしたら、私は家事が苦手という前提が崩れました。
ずっとO型だと思ってたらA型だった!!ってことが稀にあるそうですが、(3歳頃になると成人とほぼ同じ結果ですが、乳児期の結果は大して当てにならないから出生時に調べなくなったとか…)
脳科学を知ってしまうと、「私はこういう人」って真っ先に挙げていたことすら簡単にひっくり返るし、え?!私って大雑把じゃなかったの?!ということだってあり得ます。
長年の苦手意識だって克服できる
1つ、私の劇的な変化を挙げてみましょう。
私は仕事はできるのに家事はポンコツというマンガやドラマの主人公にありがちなキャラの人でした。実は世の中のバリキャリ女子は半分以上はそうだと思ってる←偏見が著しいけども…笑
家事の中で最も苦手意識が強かったのが食器洗い。
もう嫌で嫌で、毎日寝る前に片付ける憂鬱かつ最大タスクでした。食器を洗ってからお風呂に入りたいから、寝ないといけない時間を逆算し押せるところギリギリまで後回しにしないと動けませんでした。
あー洗い物嫌だな〜って後回しにしてから、実際に洗い終わるまでずっと気持ちは沈むわけです。やれば終わるとわかっていても、嫌なものは嫌だからそれを毎日毎日飽きることなく繰り返していました。
私は変なところで完璧主義なので、夫や子どものやり方はちょっと違うから代わりにやって欲しいわけではないのに、自分ばっかりが大変だと思っていた天邪鬼。我ながらややこしく面倒くさい。笑
そこで、嫌だと思う前に終わらせる作戦を実践することにしました。名付けて「ちょこちょこ掃除シリーズ」ネーミングにひねりがないけれど、言い得て妙で侮れないのがちょこちょこ掃除!!
私が1番嫌なのは食器洗いだけど、掃除も片付けも断捨離も僅差で1位を逃したくらい苦手だったのが、これをやり始めてから、本当に嫌々やっていた自分とサヨナラができました。
これまで、どんなお掃除特集を読んでも、挫折しては自分の苦手意識に磨きをかけてきたのにも関わらずです。脳の習性と仕組みをベースにしたから、意識からまるっと変われました。
ここからは有料になりますが、記事の内容を目次にしてあります。子育ての課題だけでなく、自分自身の悩みやコンプレックス、日常生活で感じるストレスさえも軽く小さくなって生きることが楽になった自分の変化を書きました。
でも、これは私だからできたわけでも、私だけができることでもありません。誰でも、いつからでもできて、どれだけ同じ挫折を繰り返していたとしても脳の抵抗がないから頑張らなくてもできるんです。
得意なことや好きなことは、結果的に頑張れるものですが、嫌なことや苦手なことを頑張るのって苦痛ですよね。できることなら頑張りたくないが本音だから、願ったり叶ったり!なんです。
もっと言えば、今まで頑張っていたから挫折していたという肩透かしな現実に、これまでの私の敗北感はなんだったんだろう…としばし震えてしまいます。
だがしかし、今が変わればすべて報われるんです。今までがどうであれ、変わることができると、自分を好きになれたり、自信が持てたり、自虐ネタにして笑いで誤魔化すことをしなくてもよくなることがあなたの現実になります。
そうなれたら、過去の自分がどうだったかなんて、正直どうでもよくなります。
「今」がそれだけ自分の中で価値あるものに変わってしまうと、過去の汚点だろうが黒歴史だろうが、どちら様のお話ですか?ってぐらいどうでもいいことにできちゃいます。
私がこれだけ躊躇なく自分がポンコツだった過去を世の中に披露できるのは、「過去の私」は今の私ではないからなんです。
だから、まるで他人事のように恥ずかしげもなく隠さずに出せて、当時の私と同じ迷路から抜け出せない人に、こっちに出口あったよ〜!!って教えてる感覚で記事を書いています。
はい、子育ても仕事も人間関係も自分の弱点も、上手くいかない迷路の出口はこちらですよ〜↓↓
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