展覧会レビュー:杉浦非水 時代をひらくデザイン
──酎愛零が展覧会「杉浦非水 時代をひらくデザイン」を鑑賞してレビューする話──
素晴らしい作品を楽しむ心に、時代の差は無い。
どうも、タバコは吸わないけれど塩にはこだわる私です。
以前の記事でもお伝えした通り、この秋冬に行きたい展覧会のひとつに行ってきました!
今回は、東京都墨田区、タバコと塩の博物館で2021年11月14日まで開催されている「杉浦非水 時代をひらくデザイン」です!
たばこと塩の博物館はその名の通り、あらゆる生命に欠かせず人類史とも密接に結びついてきた「塩」と、人類史上重要な嗜好品である「たばこ」に特化した博物館です。
2階に塩ギャラリー、3階にたばこギャラリーという構成で常設展をかまえ、2階の特別展示スペースで特別展をやる、というところですね。昨今はコロナ禍で多くの美術館・博物館が時間指定制を取り入れていますけれど、ここはそうではなかったのでそのまま行きました!
杉浦非水(本名 杉浦朝武)は、図案家という、商品や広告の意匠をデザインするグラフィックデザイナーのさきがけとなったアーティストです。意匠とは、商品として販売することを前提としたデザインのことで、図案とはそのデザインを図に描き起こしたもののこと。図案をもとに意匠を制作する、という理解でいいでしょうか。明治から昭和を生きた彼のデザインは、目まぐるしく変化してゆく時代をリードするかのように、広告や商品パッケージなどの意匠として日本の都市や文化を彩っていきます。
はじめ日本画を志した非水は、フランス帰りの洋画家・黒田清輝のもたらした西洋のデザイン、アール・ヌーヴォーに魅せられ、特にミュシャの作品を多く模写します。ミュシャ──アルフォンス・マリア・ミュシャをご存知の方ならおわかりいただけると思いますが、彼の作品に影響を受けると、その特徴が顕著に出ます。しかも非水は写生のために上野動物園に通うなどしていた写生の虫。「無から有は生まれない」「あらゆる創作はまず模倣から始まる」を信条とする私からすれば、浴びるようにミュシャを見て、写生し続けていたとなれば、非水のその後のデザイナー人生にどんな影響を及ぼすかは自明の理というものです。
〈三越呉服店 春の新柄陳列会〉(リーフレットより撮影)
ところが、1914年にデザインされた「三越呉服店 春の新柄陳列会」を見ると、植物と曲線を多用したアール・ヌーヴォーの基本は押さえているものの、そこまでミュシャの影響があるようには感じませんでした。椅子は真横から見ているのに対し、テーブルは見下ろす構図になっているなど、多視点を用いた作風はむしろセザンヌやキュビスムの画家たちを思い起こさせます。そして画中画、書き文字など、全体の構図から受ける印象はまさに「浮世絵」、しかも「美人画」。時は大正3年、折しも時代は浮世絵の復権を唱える新版画が世に出ようとしていたことを考えると、関連がなかったとは言い切れないでしょう。現に非水の前任者である明治42年の岡田三郎助、同44年の橋口五葉らの広告デザインは陰影を強調した洋画風の女性像であり、非水のデザインとの違いは明らかです。
〈新生口付紙巻煙草みのり〉(リーフレットより撮影)
非水は1908年(明治41年)に三越呉服店の夜勤嘱託として入社し、図案部の初代主任を務めました。この嘱託というのが重要な点で、非水は三越の他にもカルピス、ヤマサ醤油、鉄道会社、煙草専売局、ブックカバーのデザインなど、様々な企業の仕事を請け負って活動しています。(あまりにも忙しくて三越に出社するのは水曜日と日曜日だけになってしまったそうです!)
この、ひとつの企業にとらわれずに働き、いくつもの企業や団体から仕事を請け負うというのは、今で言うフリーランスのはしりとも言えましょう。しかしやはり主体となったのは三越呉服店のようで、1934年(昭和9年)に退社するまでの27年間、三越のポスターやPR誌のデザインを一手に担って活躍しました。その仕事ぶりは「三越の非水か、非水の三越か」と噂されるほどであったそうです。これは日本で初めての"ブランディング戦略"の成功例と目されています。
〈新宿三越落成 十月十日開店〉(リーフレットより撮影)
ブランディング戦略とはなにか?それは人々があるデザインを見たときに、即座にそのお店やサービス、イメージを想起することのできる手法、その手法を構築するための戦略です。この場合、杉浦非水のデザインしたポスターやPR誌=三越、という想起があり、三越の商品やサービス、それに付随するイメージまでもがデザインに乗って人々の心に自動的に思い起こされるという仕組みになります。
たしかに、一人の人間にデザインを任せ続けていれば、よほどのことがない限り、複数のデザイナーが入れ代わり立ち代わり担当するより人々の心には残りやすくなるでしょう。しかしそれはまた、そのデザイナーと企業が一蓮托生になることをも意味しています。極端な話、もし、デザイナーが犯罪を起こして起訴されたなんてことが起これば、そのデザイナーの制作したデザインを使っている企業は「犯罪者と関わりのある企業」として認知されてしまい、逆に表向き健全な風を装っていながら裏では詐欺行為を働いていたなんて団体の広告塔としてデザインを担い続けていたデザイナーは、「反社会的な団体と関わりのあるデザイナー」としてのイメージを拭い去ることはできないでしょう。お互いに信頼しあえる関係を構築することこそが、ブランディングの成功なのでしょうね。
〈東洋唯一の地下鐵道 上野浅草間開通〉(リーフレットより撮影)
杉浦非水を語る上でもうひとつ、私が着目したところがあります。それは、かつて共に黒田清輝邸に寄寓(きぐう。よその家に身を寄せること)していた中澤弘光と意気投合し、ふたりして与謝野晶子の大ファンだったということです。それこそ「みだれ髪」を暗誦できるくらいに。好きが高じてこのふたり、何をしたと思いますか。なんと「みだれ髪かるた」の制作を思いつくんです。明治は印刷技術、製本技術が急速に発展し、書物や印刷物は広く世に問う発信媒体としての地位を上げていきました。同じものを読み、感想を熱く語り合い、それを絵として表そうとし、また、かるた用にリライトする──これはnoteでしばしば行われている「記事から絵」「絵から曲」「曲から記事」といった表現の変換または異種格闘技戦に他ならないではないですか。
ひとりの発した「表現に乗せた思い」が他のクリエイターというプリズムを通して別の色となり、それをまた別のクリエイターが偏光する。いわば表現の乱反射、数え切れないほどの表現のスペクトルを、私の生まれるはるか前の人である杉浦非水も楽しんでいたと思うと、とてもあたたかな親近感がわきました。
この試みは残念ながら非水の帰郷により頓挫し、現存するかるたは28枚、うち27枚は個人蔵、1枚は三重県立美術館が所蔵しています。
この時代、出版社──かつての版元──と、作家、絵師のコラボは熱を帯びた高まりを見せ、個人の愛好家の間でもお互いに作った作品を持ち寄ってコラボしていたりと、いつの時代でもそういう熱量を持った仕事人やファンはいるんだなあ、と感じました。そして、おそらくその熱量は時をも超えるのでしょう。なんなら、非水があのダンディな口ひげの下でニヤリと笑い、私に語りかけてくるような気がしてなりません。『どうやら君たちも同好の士で交流を楽しんでいるようぢゃアないか』『楽しいものだろう?なンなら、みだれ髪歌がるたの続き……29枚目からを、君がデザインしてくれても──いいンだよ?』と。
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最後に、私がもっとも目を引きつけられた作品をいくつかご紹介します。展覧会にお越しの際は、ぜひともご覧いただきたく思います。
作品No.1-13〈非水像〉
盟友 中澤弘光の手による油絵の肖像画。パイプに火を点ける瞬間を切り取っており、たばこと塩の博物館の展覧会としてふさわしい逸品。
作品No.1-14a、1-14b〈みだれ髪歌がるた〉
杉浦非水と中澤弘光のタッグによるコラボ作品。27枚は個人蔵ゆえパネル展示だが、それでも揃って見られる機会はなかなか無い。
作品No.2-8〈タングラム〉
丸、三角、四角といった積み木のような幾何学的図形を組み合わせて人の顔を作る妙技は必見。
作品No.2-53〈三越呉服店 春の新柄陳列会〉
今展覧会のメインビジュアルその①。浮世絵の構図にアール・ヌーヴォーの骨子を取り込んだ傑作。ポスターはでかいのに限る!
作品No.3-4〈蟲類写生帖〉
(あっ、昆虫標本がある)と思って近づいて見たら写生したものだったという驚きの精度。
作品No.4-31〈三越呉服店広告図案〉
婦人が横目で……いや、このデザインの前に言葉は無力、ギャグ漫画を口で説明するようなもの。怪作。
作品No.4-65〈東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通〉
今展覧会のメインビジュアルその②。奥の方は和装の人だらけだが手前に近づくにつれて洋装の人が多くなるというギミックを搭載。非水後期の傑作。今でも銀座線上野駅のホームに行けば見られる。はず。
作品No.4-62〈ヤマサ醤油〉
丸を散らしたデザインと、三角の連続のデザイン。びっくりほど簡略化されていて雑味がない、でありながら目には入るという秀逸な作品。
さーて、んじゃあ何か世界のお塩でも買って帰ろうかな!さすがタバ塩だ!なんでも あるぞ!😋😋😋
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、ごきげんよう。
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