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ワーク・ライフ・バランス noteを続けるコツ

 みなさま、ごきげんいかがでしょうか。お嬢様月間のわたくしです。



 いつのまにかずいぶんとごぶさたしておりましたね。
 昨日からの天候不良で気温が下がって初めて気がついたのですけれども、どうやら私、夏バテだったようです。主たる原因は、おそらく寝不足。より正確に申し上げれば、質の低い睡眠が何日も続いたことによる疲労の蓄積、ということになるでしょうか。冷房をかけて寝ても、日中に家の壁や床が溜めこんだ熱の放散によって寝苦しくなり、ぐっすりとは眠れていなかったようなのです。なによりも恐ろしいのは、自分の中では「しっかり寝ている」という認識だったので、体のだるさや、やる気のなさなどがどこから来ているか、明確に判断できなかったことですわね。みなさまも睡眠中の熱中症にはくれぐれもお気をつけあそばしますように。


 さて、それを踏まえて今回は、このような体調の不良のみならず、お仕事や私生活の環境の変化などで、これまでどおりのnote執筆の継続が困難になってしまった時のバランスの取り方について再考していきますわ。ワーク・ライフ・バランスと同じようなものですわね。これがうまくいかないと更新頻度が右肩下がりになり、場合によってはnoteを開くことさえしなくなってしまって、そのままずるずるとフェードアウト、などということもありえますからね。




・目的、目標を見直す

 何の目的も目標もなく、ただなんとなく書いているとまず間違いなく続かないのは、以前にも申し上げましたとおりですわ。しかし「日々のできごとをつづる」という目的を持ち、「それを一年間続ける」という目標を持っていても、それができなかった日が続いた場合、どうなってしまうでしょうか。多くの方が、そこで「目標達成失敗」とお感じになり、目的を見失ってしまうのではないでしょうか。こういう気持ちになってしまうと、継続することに意味を見出せなくなり、書くことをやめてしまいがちになりますわね。

 こういう時のために、目的も目標も、ひとつグレードをダウンした設定にしてみてはいかがでしょうか。すなわち「日々のできごとをつづる」のではなく「心が動かされた日のことをつづる」にし、「それを一年間続ける」のではなく「余裕のある日に書くことを続ける」に変更するのです。もちろん、より高いグレードの目的・目標をそのまま維持するのも間違いではありません。大事なのは、高グレードの設定が維持できなくなった時にセーフティーネットとして機能する、より達成が容易な設定を自分の中で持っておくことです。こうしておけば、立てた計画どおりにいかないからといってすべてを放り出す、ということにはなりにくいと思いますの。どれだけ低いハードルでもよいのです。それこそ「一週間に一回noteを開いて、フォローしている人の記事にスキをつける」でもいいんですのよ。

 目的は「進むべき方向」のようなもの、目標は「到達したい地点」のようなもの。目標が定まらなければ進むべき方向がわからずに迷走し、目的もなく進めば目指す地点に到達するのは難しくなるでしょう。
 今の私の目的は、さまざまな事象にアンテナを立ててそれを備忘録としての役割を持たせつつ投稿することによりインプットし、自らが執筆する際の語彙およびアイデア源にすること。目標は、オリジナル創作物のアウトプット(媒体は問いませんわ)および収益化ですわ。




・テーマに過度に縛られない

 テーマはメインとサブに分けること、と以前にも書きましたわね。そう、自分が最も力と時間をかけて世に発信したいものをメインとしますの。対してサブテーマとは、メインほど時間をかけずに書けるもの、でしたわね。目的と目標を実現するためのテーマなのですから、書き始めのころはかっちりとしたものを決めて、みなさん意気込んでいらっしゃったことと存じます。
 しかしながら、環境がそれを許さなくなってしまった場合、自分がnoteというプラットフォームで何をすればいいのか、自分に何ができるのか、見失ってしまうことになりがちですわ。フォロワーさんの期待しているような記事を書けなくなってしまうことに気後れを感じてしまう方もいらっしゃるかもしれませんわね。

 時間をかけて書くはずのメインテーマどころか、片手間に書けるはずだったサブテーマにも手が回らなくなると、責任感の強い人や、交流を楽しんでいた人ほど、息苦しさを抱えてしまいがちになるでしょう。私がいなくなっても、誰も気にも留めない……などと悲観してしまうこともあるかもしれません。
 でも、わたくしが思いますに、人はそもそも他人のことをそこまで注視してはいないのではないでしょうか。そして逆に、気の合う人同士なら、何年経とうとおいそれと忘れることはないでしょう。真なる隣人ならば、書くテーマにかかわらず、反応したりしなかったりのちょうど良い距離感を保っておつきあいしていただけるはずですし、多少さびしがりはしても、不在によってスキやコメントがつかないことにいちいち一喜一憂したりはいたしません。もし、そういったことで責め立ててくるようなかまってちゃんでしたら……そうですわね、少し距離を取って脱出レバーに手をかけておいたほうがよろしくてよ。




・書けない(書かない)時間、期間を決める

 これにはふたつの意味があります。
 ひとつは「自分の生活における時間配分で、どうしても書けない時があることを把握すること」。体力・気力・仕事の時間・家族との時間・など、noteを書くよりも優先すべき事項があることを正しく認識し、書けない時はどうあがいても書けないことを理解することです。これを自分の中で線引きできなければ、(今日も書けなかった……)(これで一週間も投稿してない……)(他の人は忙しくてもがんばってるのに、私は……)と、自己嫌悪に陥ってしまう恐れがありますわ。
 無理なときは無理。そう大きく構えて、心をゆるめてまいりましょう。有意に使える人の時間は十人十色ですし、ひとさまと比べてもせんなきこと。私たちを取り巻く環境はちょっとしたことで変わってしまうこともあるのですから、書けるようになったら書けばよいのです。

 また、もう一つの意味として、書かない(noteを開きもしない)時間・期間をあえて作ることにより、書くべき話題をストックしておき、自分の中で洗練、昇華することが可能になるということがあげられますわ。また「書きたい欲」をチャージしておくことにより、モチベーションアップにつなげることもできますの。
 人はえてしてふんだんに与えられたものにはありがたみをあまり感じず、失って初めてその大切さに気づく生き物。自らいくばくかのnote断ちをすることにより、新たなやる気を得ることができますわ。

 心や体が疲れたとき、無理をすることはありません。そして、おひとりで抱えきれない気持ちを吐き出すときは、どんとこいですわ!




・誰かのために書く意識を持つ

 ※この項は、ほとんど以前の記事からのコピペですわ

 世の中にはいらっしゃいます。「自分のためにはがんばれないけど、誰かのためならがんばれる」という人が。

 親しい友のため。

 好意を寄せる相手のため。

 愛する家族のため。

 同じ道を歩む同好の士のため。

 自分と同じ悩みを抱えた、名も知れぬ誰かのため。

 もし、あなたがそういう利他の精神をお持ちでいらっしゃるのなら、ぜひこの「誰かのため」にという言葉から力を得るようにしてみてくださいまし。

 あなたのつぶやきからヒントを得る人がいます。

 あなたの経験から答を見つける人がいます。

 あなたの熱意で新たな発見をする人がいます。

 あなたの吐露に心慰められる人がいます。

 あなたの決意に勇気づけられる人がいます。

 あなたの言の葉は、めぐりめぐって、いつか必ず、どこかのだれかの支えになるのです。誰かの言葉に心動かされたことがあるのなら、誰かのために書くことができるはずですわ。

 評価などあとからついてくるもの。たとえ大多数の目に留まらなくても、何の問題もありませんのよ。まごころから出て、誰かのために書かれたものは、真の見る目を持った方々ならば放っておくはずもありません。




・自分の頭がいつ活性化するのか把握する

 朝型人間、夜型人間という区分もそうですけれども、単に頭脳の働きだけではなく、気持ちの上でも、書きたい時間帯がいつごろなのかを把握しましょう。
 わたくしの例をあげますと、私は現在、昼間は──と申しますか、明るいうちは──執筆ではなく探索を優先し、日が落ちてから夜寝るまでを執筆の時間としています。晴耕雨読の例えに近しく、晴れた日に外で探索しないのはもったいないと考えているためですわね。
 もし私がひとり暮らしなら、おそらく食事の時間も削って書くかもしれませんけれど、現実には家族との団らんが21時頃まで続きますので、お風呂やその他もろもろを考えますと、執筆に使えるのは実質1時間〜2時間ていどになります。(ここ最近はそのわずかな時間も質の低い睡眠に費やしていました)
 そうすると、本腰を入れて執筆できるのは休日の朝か夕方、そして寝る直前しかない、ということになります。これでは、ぜんぜん足りませんわね。休日の日中を執筆の時間にあてようとすると、よほど綿密な計画を立てて、効率よく目的地を探索するしかありません。これは、今後の課題ですわ。
 ちなみに家族との時間さえ無ければ……という狭量な考えが頭をよぎることもありますけれども、もっと年を取ったときに必ず後悔する、と考えて、なりゆきにまかせるままにしていますわ。




・執筆の原動力(モチベーション)を把握する

 書けなくなる原因のひとつには、心身の不調、環境の変化とともにモチベーションの低下あるいは喪失が挙げられますわ。

 特に、投稿間隔が開いてしまって、閲覧数が少なくなってしまったり、以前は反応してくれた人たちから反応がなくなってしまったり、スキ数が減って共感が得られないと感じたりしてしまうと、さらにnoteから手が遠のいてしまいかねません。

 そんなときは、かんたんなメモ書きでもかまいませんから、「なぜブログを始めようと思ったのか」その最初の思いと、現在の思いを書き残しておくとよいですわよ。

 読んでほしい思いがあった。

 自分を表現する手段が欲しかった。

 文章にして思考をまとめたかった。

 心に留めておきたい大切な感情を残したかった。


 わたくしの場合は、当初「現状に対する不満の備忘録」として出発しました。現在は「情報の収集・集束ならびに創作」へと移行しています。
 人のモチベーションで、永遠不変のものはきっと少ないと思いますわ。成長していけば、変化してゆけば、生きる原動力さえ変わりゆくもの。九死に一生を得て自分の生きた証を残しておきたいと奮起した人であっても、時とともにしなやかに、そのモチベーションを変化させていると聞き及びます。
 以前の自分と異なる気持ちが湧いてきているなら、それを無視したり、押し殺したりする必要はありませんのよ。向き合って、その気持ちをも連れて、未来へ歩いてまいりましょう。




・記事のストックをつくる/時間指定投稿する

 余裕のある時に、または調子のいい時に、何本かまとめて記事を作ってストックしてしまいましょう、というのは、以前の記事でも申し上げたとおりですわ。時事ニュースに関する投稿であっても、よほど旬をはずしていなければ、不自然ではありません。
 ここで注意しなければならない点は、「つぶやきと画像には時間指定投稿は適用されない」ということですわね。つまり、時間指定投稿をするならテキストに限定されるということです。今まで「ニュースつぶやき」は「つぶやき」のフォーマットで投稿していましたけれど、再考しなければいけませんわね……




・終わりに

 いかがだったでしょうか?自分なりのやり方やルールを決めて、それにしたがって行動するのは、何かをする上でとても役に立ちます。けれども、過去の自分が決めたルールに縛られて、現在の自分が苦しめられては本末転倒というもの。成長に合わせて自分にふさわしい生き方を決め直していくのは、ブログに限らず、なんだってそうかもしれませんわね。

 初期の頃と同じ文言ですけど、少し違う意味をこめて、この言葉をお贈りします。

 どれだけ時間が開いても。
 どんなにお久しぶりでも。

 みなさんも、気負わずあせらず、ブログを楽しみませんか?

 迷ったら、書けなくなったら、またこのページを開いてください。

 私の正解があなたの正解とは限りませんが、いっしょにnoteの海を泳ぎながら、学び学ばれ、知り知られしていきましょう。




 今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 それでは、ごきげんよう。

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酎 愛零(ちゅう あいれい)
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