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詩について考えたこと

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詩のことをぼんやり考えて書いたものをまとめています。時々、つぶやきます。
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詩が生まれるところ

詩が生まれるところ

詩人の峯澤典子さんがツイートで
「私がこれから写したいのは光と翳の境目ではなく。あかりとあかりの間の微かな差。消える前の」
と書いてらしたのを読んで、私は強い光と暗い翳に翻弄されている自分の狭さと浅さを改めて感じた。

SNSに現れる強い主張や荒い言葉づかいに知らぬ間に侵食されてるよなぁと空恐ろしくなっていたこの頃なので、このツイートに感じ入ってしまった。深く観察することの大切さと難しさ、そしてそ

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愚直に詩を書き写す

愚直に詩を書き写す

 毎朝早く起きて朝食前に、詩を書き写している。詩を味わうための方法の一つとしてやろうと決めた。ただ読むだけでなく、手を動かして書いていくことで、言葉と言葉の連なりが時間差で入ってくる。私は割と上滑りな活字の追い方をしてしまうので、この方法でじっくりと読むことができるようになった。まあ、時間がかかるというデメリットもあるけれど、一つの詩に向き合う時間は充分取りたいと思っている。もちろん、全ての詩をそ

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わかる、わからないという分け方は良くなかったな。そうじゃないな。
入ってくる時と、そうじゃない時があるってことを言いたかった。
私に詩が入ってくる速度は、早かったり遅かったりするから。
読んだ途端にするっと来るときもあるし、詩集1冊くらい読まないと入ってこないときもあるのです。

わかる詩とは言っても、100%わかってしまうと、逆につまらないわけなので、未知な部分が少しだけあるのが好きだったんけど、最近では、未知だらけの中に、胸にくる1行2行を見つけた時のワクワク感に目覚めつつある。

詩を一篇読むのと、詩集を一冊読むのでは、一篇の詩の理解度が違ってくるものだ。思うに、詩誌の投稿欄も、何度か投稿するうちに選者が理解を深めていく過程があると思う。だから、一度や二度の投稿で選ばれなくとも、投稿の先輩たちがいるのだと思って、くさらずにしばらく続ける方が良いように思う。

自分だけの詩

私が詩を書き始めたのは、日記の端っこだった。その頃の日記を読むと絶不調で、自宅療養のなぐさみに日記を書いていて、詩の他にも小説を書いていた。たぶん、10年くらい、そんな感じで誰にも見せられない、自分のためだけの詩を書いては、時々読み返していた。
 その頃の詩は、人に見せるつもりもないものなので、まぁ本当に真っ逆さまに暗い。ただ、孤独だった私は、少しは社会とつながりたくて、その中から人に見せてもいい

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体験を詩にするということ

体験を詩にするということ

このところ考えているのは、体験を詩にするときの難しさについてだ。恥ずかしげもなく噛み砕けば、“どうしたら愚痴や吐露から脱却し詩にできるのか”ということ。

参照したい文章その1
《思いや出来事をそのまま作品にするのではなく、それを抽象化して、必要なところだけ、骨組みだけを残して作品にする。そうすることで、もともと抱いている情感とは別の、さらに洗練された、あるいは自分だけでなく、人と共有できるものに

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