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「もう全部やめちゃいなさい」

ウジウジしている私に向けて
数日前、電話口の母から言われた一言。

その言葉がじわりじわりと沁み入ってくる。

私を重くさせていた荷物を降ろし
ぎゅっと固くさせていた心をほどいてく。

ああ、怖い…
だけどこれでいいんだな。

そう思わせてくれる。

大丈夫、これも大切な過程。


自分が無くなることへの恐怖心を感じ始めて
どのくらいが経つのかな?

文章にしてしまえば未だに向き合ってんのかよ!と
呆れてしまうかもしれない。
だけど私の体感覚は少しずつでも変化していて、
言うなれば奥行きに進んでいる感じ。

怖い。だけど怖さの深さや繊細さが違うんだ。

そうは言っても不安にはなるし
もう嫌だと自分を諦めたくもなる。

そんな愚痴を口にする私への母からの一言はドンピシャ。

確信を付いていて最初はふ~んって他人事みたいに流してた。
だけど不安の波が訪れる度に脳裏に浮かんでくるのはこの言葉。
魂の私からの向き合いなさいというサインなんだよね。

そして案の定涙が流れた…

私が握りしめていた「ちゃんと」の蓋が
パカッと全開になったんだ。

現れたのは、"つもり"だった自分の姿で
先に書いたように文章にしてしまえばまだいたのかよ〜!
だけどでもそれは違くって、
前まで鎮座していた子を手放せたからこそ
出てきてくれた私の醜いエゴちゃん。

でもその醜さは優しさ。
幼い頃の私を守ってくれていたんだよね。

だから愛すべきもの。

また、言ったのが母だったから
なおさら心に効いたんだと思う。

「赦し」

なんだかんだ言っても、
母の言葉に勝るものはなくって
私はずっとそう言って欲しかったんだよね。

"何も無くてもあなたを愛してる。"

母からの非言語の応援を受け取った。
だから私は大丈夫。

何も持たない。
何ものにもならない。

今は動かないべきときなんだ。
ほっとけばすぐ動こうとするからね。笑

だから毎日予定を立てない。
やろうと思ったことも気が乗らなければやらない。

のんびり空を眺めて
好きなことだけをして
自分を空っぽにする。

「ちゃんと」を頑張ってきた私には
めーっちゃ大変なことだけどw

ちゃんとした未来を捨てるんだ。
そして自由な未来を創ってく!

それがいい。それでいい。


スーパーへ買い出し途中、
ふとお散歩がしたくなって
坂の上にある神社まで行ってきた。

暑い中健気に咲く花。

まだ夏のような日差しに照らされ
地面に落ちた影のアートたち。

なんにもしなくても豊かさは目の前にあった。

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