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たった一人の心を救う人間でありたい:過去の私とともに③

こんにちは。夜久一禾です。
前回の記事もあるので、よかったら参考にしてみてください。


学んで経験から気づいたこと①

生活の基本を守る

下記に私が普段から意識していることだ。

・外出する
・人と話す
・一人で悩まない
・自分の意見を言う
・完璧主義をやめる
・小さな成功体験を積む
・そうじ、片付けをする
・ゲームは時間を決める
・いろんな情報を浴びすぎない
・薬を処方通りの量・タイミングで飲む
・生活リズムを整える(24時までに寝る、9時間睡眠、バランスのいい食事)

これまで何度も生活リズムの乱れた生活を送ってきた。

朝方まで起きてゲームをし、お菓子=食事、人と話さず1人で悶々と考え事をする、など。

こんな生活をしていた時期は、例外なくメンタルが悪化していた。

つまり上記と逆の生活をしていると、心身のバランスを崩す。

ネットや本などによく書いてある、当たり前のことだ。

何度も経験しているが、たくさんの人が伝えている「基本」は、本当にバカにしてはいけないと思う。

1つ1つは些細なことかもしれないが、積み重なるとメンタルに大きく影響する。不思議なことに、自分がメンタルバランスを崩していることに気づきにくい。

いつの間にかマイナス思考になっていて、将来について不安に思ったり、視野が狭くなった考え方をしていたり、怒りっぽくなったり。

家族ともギスギスしやすくなっていた。

生活リズムの乱れは、心だけではなく体の不調としても現れる。

私の場合・・・

・婦人科系トラブル
・皮膚科トラブル(口の端が切れる、唇が荒れる)←治りにくくなる
・顔に小さなできものが現れる
・持病の慢性蕁麻疹が悪化する

などがあった。

生活の基本のうち、特に大事だと思った4つについて話そうと思う。

基本の大事さ①:薬を処方された通りに飲む

薬について、「飲むタイミングも大事なんだな」と思うことがあった。

処方された薬は毎日飲んでいたが、朝食後・夕食後の薬を、寝る前にまとめて飲んでいた。何年も勘違いしたままだったのだ。

主治医に「この薬は眠くなりやすいけど、大丈夫?」と時々きかれる。

経験上、「眠くなりやすい」というのは最初だけで、1週間もすれば慣れていく。

だから、主治医と私の間で「慣れたんだな」くらいにしか捉えていなかった。

薬剤師さんにも「自己調整はしていないですよね」とたまーに聞かれたが、ちゃんと飲んでいると勘違いしていたため、

「はい、大丈夫です」

と自信を持って答えていた。

ある日、処方薬について書かれた紙を、新旧入れ替えようとして、久しぶりにまともに読んでみたのだが。

数年間も間違ったタイミングで飲んでいたことに気づく。

その場でしばらくフリーズしたのち、慌てて修正した。

しかし長年のクセが邪魔をし、ときどき間違えたタイミングで飲んでしまう。

こうして記事を書いている現在もだ。

だが、処方通りに従うと、食後の薬を飲んだあと、30分〜1時間ほどでものすごい眠気に襲われることがわかった。

「主治医の言っていたことはこれだったのか」と納得する。

眠気のある状態では何もできないため、寝る前の薬を飲む流れになり、結果として「早寝早起き」を実現することになった。

最近は7:30くらいに起きることが増えてきて、朝の清々しさに毎回感動している。

早く起きられただけで、すでに充実している気分になるのはなんでだ。

午前中に洗濯をして干す、という行動もなんだか嬉しい。

note記事を書くときも、夜中と朝では「書くスピードや浮かんでくる言葉」が違うのだ。

文章力が上がったのかはわからない。

「人間としてのリズムに逆らった生き方をすると、こんなにも調子が悪くなるのか」と、良くなってから気づいた。

これを体感するにはやはり、行動して体感することだ。

基本の大切さ②:ゲームとの付き合い方

一番難しかったのはゲームとの付き合い方だった。

大好きなゲームと長年一緒にいると愛着がわくし、レベルの高い状態だから、自由に探索できるのは楽しい。

私にとってゲームは趣味の一つ。

最初は消してしまうことも考えたが、強制的に楽しみを奪ってしまうのは違うと思い、生活リズムとゲーム、どちらも取り入れられる方法を探した。

まずは、生活の基本を見直すことにした。

生活リズムを整えたり、バランスのいい食事をとったり、外出をしたり、人と話す時間を設けたりするのを優先する。

私の場合、ゲーム依存症に近い状態か、もうなっていたと思うので、自分の意思だけでコントロールできなかった。

そこで、いったんゲームを消して(アカウント情報、ログインパスワードは残しておく)、生活を整えてからゲーム復帰した。

復帰後のルールを決めている。

ゲーム時間を決めるようにし、「アラームを設定して時間になったらやめる」、といったように「やりすぎない工夫」をしている。

細かく言うと、時間になる5分前にアラームをセットしておく。

私がやっているゲームはマップが広大で、自宅に帰る(ゲーム上の)にはヘリポートまで行く必要があるのだ。

遠くにいると数分かかることがあるので、移動時間「5分」を見越して、22:55のような中途半端な時間で設定している。

この工夫はけっこう大事だと思っていて、決めた時間までに自宅に帰れず、そのまま続けてしまうことを防ぐためだ。

ルールを決めたら、それを守れるような仕組みづくりも大事だと思う。

基本の大切さ③:人と話すこと&「ありがとう」を言うこと

個人的に「意外だな」と思ったことは、「人と話すこと」。

以前は、「誰かと話して自分の抱えている辛さは変わらないでしょ」と思ってきた。

だが実践してみて、そうではないことが分かる。

自分の辛さや苦しみに関するトピックを話さなくてもいいのだ。

本当にどうでもいいような、オチなんかないような、たわいのない話をするだけでいい。

何を話すかというよりも、誰かと話をすること自体に、孤独感を癒す効果があるのだと思う。

どんなことでもいいので、自分の考えを誰かに話すようにすると、心の中にあるモヤモヤが晴れていく。

できれば会話の中で「ありがとう」を言うと、もっと癒しを感じると思う。

両者にちょっとした柔らかい感情が芽生えるのを感じるはずだ。

もともと私はトゲトゲした人間だったので、「ありがとう」なんて言うようなタイプではなかった。

しかし、少しずつ生活の中に取り入れるようにしていくと、お互いを思いやるような、協力していこうと思えるような環境になっていく。

私には友達も仕事仲間もいないので、家族だけの話にはなるが、「毎日一緒にいる人とお互いに気持ちよく生活していく」というのは、長い目で見ると大事なことだと思う。

家族に関する小さなストレスは、微々たるものでも、積み重ねていくと大きなストレスになる。

ポイントは、「相手を変えようとするのではなく、自分が変わろうとする気持ち」だ。

ここでも体感することが一番いい。

1度や2度では分からないかもしれないが、生活の中でちょこちょこと「ありがとう」を自分から言うようにすると、相手の雰囲気や空気感が変わっていくのを感じる。

相手は驚くかもしれないし、いつもよりそっけなくなるかもしれない。恥ずかしさを隠すために冷やかすかもしれない。

その態度が見られたら、成功している。

相手も変化しているのだ。変わらざるを得ない。

それだけ「ありがとう」は強力な言葉だ。

私の経験を伝えると、いつも同じことでトラブルになっているトピックがあった。そこで自分から「ありがとう」を言うようにしてから、家族が協力的になったのだ。

会話が増えたり、家族会議をしやすくなったり、お互いの気持ちを言いやすくなっている。

実際に行動していると、「自分が変われば相手も変わる」という言葉の意味がわかる瞬間がくる。

基本の大切さ④:完璧主義をやめる

これは「やめてよかった考え」にも入る。

noteを始めるときに誓ったのが「完璧な文章じゃなくていいから、7割くらいの完成度で投稿する」ということ。

Webライターをしていた時期、完全未経験だったにもかかわらず、最初から完璧な記事にしようとハードルを上げていた。

おかげでストレスフルな生活になり、モチベーションは下がっていく一方だった。

進捗報告がてらに7割くらいで仮提出すれば、そのまま進めていいのか、方向修正するのかを知れたはず。

本当はそうした方が修正も小さくで済むし、進捗を知らせると相手は安心する。

しかし当時は「完璧じゃないと仕事を切られるかもしれない」という気持ちに囚われていて、怖くてできなかった。

実は、過去にnoteに何度か挑戦して挫折している。

自分の思っていることを日記のように、自由に書くつもりだった。

しかし、ここでも完璧主義が発動してしまった。

「完璧な記事を書かなければ」と自分でハードルを上げる→数回の投稿で限界をむかえる→アカウントを消す。

というのが何度かあった。

文章を書くこと自体がストレスになってしまうほど、自分を追い詰めてしまうクセがある。

数回投稿してはアカウントを消す、というのを何度か繰り返し、「自分の考え方を変える必要がある」と気づく。

そもそも、「文末表現がちゃんとしているか」とか、「ですますを2回以上使ってはいけない」とか、読んでいる相手はそんなに気にしていない。

「気持ちをちゃんと伝えられていれば、小さなミスや不自然な表現はどうでもいいのでは?」と思えるようになった。

実際に私がだれかの記事を読んでいる時も、文法や表現にミスがないかなど気にしていない。

見ているのは「書いた人の気持ち」だ。

ゆるく、気楽に書く。といっても、最初は腑に落ちない。

・何を書けばいいかわからない
・投稿しなきゃと焦る
・内容よりも文字数に囚われてしまう
・「こんなこと書いて読んでくれる人いるのかな?」と思う
・いいね・フォローの数を気にしてしまう
・他の人の記事を読んで、自分の文章力のなさにガックリくる
・投稿までに時間がかかることを気にしてしまう

こんなことばかり考えていて、始めたばかりの頃はストレスだった。
思考が戦っている状態だ。

だが、同じことを繰り返すのは、いい加減やめたかったので、「7割投稿、7割投稿、7割投稿・・・」と自分に言い聞かせながら執筆している。

より行動しやすくするため「締切り」をつくって手帳に書き、「その日になったら納得いかなくても投稿する」というルールを課している。

今でも「完璧にしろ!」という自分と戦いながら書いているし、すぐには治らない。

しかし、こうして投稿を続けられているということは、行動の成果がでていると思っている。

「完璧主義から完了主義になろう!」

これを頭だけで考えていると、理解はできても納得はできないのではないか。

「こうなったらいいのに、なんで現実と違うんだろう・・・」という考え方も、やるべきことの言語化ができていない状態だと思う。

目の前にあるモヤモヤとしたものが怖いのは、名前をつけないからだ。

分解して、to do listにまで明確にし、それを完了していけば、目の前が晴れて行先がはっきりする。

「名前をつけて完了する」。実は簡単だ。


最終話④につづく

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夜久一禾(やくいちか):自分らしく働く
「生きづらさと自分らしさの両立」が目標です。 デザイン・文章・プログラミングを勉強中で、クリエイターとして活動していきたいです。 noteでつながりを感じながら、皆さんの応援を「私らしいクリエイター活動」に使わせていただきます。 よろしければ応援をお願いいたしますm(_ _)m