上手く歌えなかったわけ。
10月22日に放送された音楽番組『MUSIC BLOOD』を観た。
ゲストは中島美嘉。
2001年、テレビドラマ『傷だらけのラブソング』で女優としてデビューし、主題歌「STARS」をリリースし、見事歌手デビューも果たした彼女。
忘れもしない。
初めて「STARS」を聴いた時の衝撃。
素敵な楽曲と、そこに交わる少女でも大人でもない独特な彼女の歌声にすっかり聞き惚れてしまった。
それから私はTSUTAYAで彼女のアルバムをレンタルしてはよく聴いていたものである。
その間私は〝離婚〟という転機を迎え、ただひたすらがむしゃらに働く毎日であった。
通勤時間は唯一、ひとりになれる貴重な時間。
ウォークマンから流れてくる彼女の歌声が、ほんの束の間のひとときだが、私を日常から連れ出し曲の世界へ導いてくれた。
そんな彼女をテレビで見かけなくなったのは2010年ごろ。
その理由を番組内で語っていた。
〝耳管開放症〟という病にかかってしまったのだ。
耳の奥の〝耳管〟と呼ばれる部位が開放されたままの状態になり、耳閉感や自声強聴(自分の声が大きく聞こえる)などの症状が出る病気である。
そのため歌うことが難しくなったという。
しかし翌年には復帰を果たした彼女であったが、あることを番組内で打ち明けた。
〝実際は完治していなかった〟のだ。
「当時、事務所の方々がすごく心配して、頻繁に『大丈夫?』って声をかけてくれていたんです。
私はこのままだとみんなが心配しっ放しで申し訳ないと思って、復帰してしまいました。
『もうちょっと待って』と言えれば良かったのですが。
まだ完治していないということは、マネージャーさんなど、ごく一部の人しか知りませんでした。
言っても仕方ないんですよ、治るわけでもないし。
『耳の具合がよくないので、今日のライブは自信がないです』って言えないじゃないですか。
だからとにかく、その日のベストを尽くすということだけを考えていました」
思えば復帰してから、テレビに出ている彼女はよく音程を外していた。
そんな病と闘っていたなど知らない私は、
「音楽番組に出るんだったら、もうちょっとコンディションを整えてから出てほしかったなぁ…」
などと、いつもとても残念な気持ちになっていたものだ。
番組内で「転機が訪れたのはいつですか?」と聞かれると、「今です!」と彼女は答えた。
「実は最近、聴力が復活したんです。
これは言うつもりではなかったんです。
言った手前、また聴こえなくなったらどうしようという恐怖心もありましたし。
最近ずっと聴力があって、治ったんじゃないかなって思うくらい。
15年くらい耳管開放症や色々なものと闘っていたので、一気になくなるのはちょっと不思議で。
もしかしたら、コロナ禍でのステイホームの時間が知らず知らずのうちに、何も考えずに心身をゆっくり休ませることができて、私にとってはすごく大事な時間になっていたのかもしれません。徐々に聴力が上がってきて、ある日『ぼこっ』っと戻ったんです!
みんな不思議がっていますね」
今はとにかく歌うことが楽しいと話す。
最初は歌うことも辞めなさいと言われていました。
だから病気と上手に付き合う方法をずっと探さないといけないと思っていました。
聴力が復活し今年8月にはライブを開催。
「一番嬉しかったことは何ですか?」
と聞かれ、彼女は
「音程を外したことが分かったことです」
と話した。
『あ〜そうだったんだ…』と驚く私。
私も昔、ストレスで〝突発性難聴〟になり右耳が全く聞こえない時期があった。
人の声が聴き取れないほか、自分の声がゴワ〜ンと耳の中で響き渡り、喋ることすら出来なくなった。
耳鼻科へ通い詰めなんとか治ったのだが、歌手にとって聴力がなくなるなんて致命傷である。
きっと彼女は耳だけでなく、心もかなり弱ったことだろう。
いや、自分が思っている以上に心が弱っていたから耳が聞こえなくなってしまったのかも知れない。
私は今になってこの事実を聞き、改めて彼女を応援したいと思った。
10年間、病と闘いながら歌い続けてきた中島美嘉は今年デビュー20周年を迎える。
番組内で披露した歌声は、全く音程も外すことなく力強く、今の私の心に深く刺さったのだった。
最後までお読みいただき有難うございました♪
ではまた。 Tomoka (❛ ∇ ❛✿)