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光なのか、熱なのか

写真 2020-05-24 17 14 35

人が惹きつけられるのは、光なのか、熱なのか、というお話し。

5月も下旬を迎え、長いようで長かった緊急事態宣言もそこはかとない不安とともに解除されました。日常が恐る恐る戻ってこようとしています。この期間、じつに多くの”Stay Home"という合言葉がささやかれていましたが、日本人にとっては「巣ごもり」とかのほうがしっくり来たんじゃなかろうか、とも。むしろぼくは「蟄居」なんて言葉を使いたかったのですが、あまり一般的でないのでやめておきました。

さて、だれもが「蟄居」(結局使う)し飽きたところで緊急事態宣言解除。ぼくが働く渋谷では宣言解除のその瞬間から居酒屋は賑わいを見せていました。そりゃそうですよね、さんざん耐えてきたわけですから。まさに「啓蟄」、虫たちが春を感じて冬眠から目覚めるように、街の光に引き寄せられ活動を再開するのでした。

ここで一つ、考えました。
人が惹きつけられるもの、それは果たして光なのか、それとも違うものなのか。

またもや一冊の本に出会いました。いやある意味「再会」だったわけですが。
義家弘介さんの『ヤンキー先生の教育改革』という本。

義家弘介さんは今は政治家(現在、法務副大臣)としてご活躍されていますが、かつては「ヤンキー先生」として有名でした。ぼくがちょうど新卒で高校教師になったり辞めたりした頃に、義家先生の著作『不良少年の夢』が出版されました。教育者としての生き様に迷っていたところでこの作品を読み、教育者としてどこを目指すかを示されたことを憶えています。
それ以来、彼の著作が出版されるたびに購読していましたが、いつしか彼は教育の現場から離れ政治家になり執筆もなくなり…ぼくの本棚での存在感もなくなってゆきました。

時の流れること15年、世間の価値観はアップデートされ、教育の姿も様変わりしました。ぼくが今回この本を手に取ったのは失礼ながら本棚整理をするためで、どこに片付けようかを決めるべく一読しました。

うん、歴史を感じる。

よく言えば「古き良き日本のあるべき姿」の追求。しかし実際は「古臭い」といったところでした(ホントに失礼)。

しかし、ある一節に心を留めずにはいられませんでした。

過去、この国はどのような教育をしてきたか。

戦後、より「生産性の高い」人間を育てるべく、画一教育が公教育で施されました。要は指示通りに動ける人材を量産したかったわけですね。そのおかげかどうか、日本はGNPを飛躍的に伸ばし経済大国へと発展しました。

しかし、教育の場は本来あるべき姿を見失いました。

子どもたちの成績を「偏差値」という数値に当て込み数字だけで人材としての能力を選別する。その過程で画一的な教育を行ってきたはずが「落ちこぼれ」が生まれ始めた。
なぜ落ちこぼれが生産されるようになったのか?そこにはいわゆる「不良問題」がありました。「腐ったミカンの方程式」ってやつですよ。世間はこの不良問題に光を当て、なんとか解決しようとしました。そのおかげで不良は減りましたが、問題は内在化され今度は「学校内いじめ」が顕在化しました。この健全でない流れに光を当て、世間は解決のために動きました。いじめ問題が明るみに出るようになり根絶とまでいかずともいくらか落ち着きを取り戻したところで今度はさらに内在化して「不登校」が蔓延しました。この、子どもたちが学校にすら辿り着かないという問題に光が当たると生徒たちは行く場を失い「引きこもり」へと導かれました。

義家先生は教育を取り巻く社会を「光は子どもたちの苦労を炙り出すだけだ」とこの著作で説明します。これには唸らされました。その通りだ、と。
聖書には「悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない」(ヨハネ3:20)と書かれています。
悪の行いは光を嫌うため、自ら光を求めて出てくることはありません。陰で行われるから悪なのですよね。しかし世間は冷酷にもこの悪を光によって炙り出すわけです。無責任に炙り出された悪はそこから逃げるように内在化し、さらに厄介な悪へと変容していくわけです。

しかし、不良問題から始まり引きこもりに至るまで、子どもたちは「悪」を行いたいから問題行動を起こしているのではなく、ただただ不安と恐怖でふるえているのだ、と義家先生は分析します。このふるえている子たちに必要なのは、おびき寄せる光ではなく、寒さから守る熱、情熱なんだ、と伝えています。

教育には情熱が必要…着古された考えではありますが、これを普遍の真理と言わずになんと言いましょうか。

研究者や評論家のように、子どもたちを取り巻く諸問題を「なぜ起こるのか?」と考えても、それは子どもたちを後ろ向きにさせ下を向かせるだけだ、と。むしろ諸問題がそこにあるなら「だから、どうするんだ?」と問うて前を向かせなければ成長はない。そう問えるのは、研究者や評論家ではなく「実践者」だ、と。

この緊急事態宣言の間、「自粛」を合言葉に蟄居していた人たちが、いままた世間に出向こうとしている。それは暗闇から光へ向かうのではなくて、きっと人肌の温もりや熱を感じる情を探し求めて出ていくのではないでしょうか。

体温を計って「あー、熱高めだから外出しないようにしとこ」とか言ってる場合ではありません。熱を求めることこそ人間の性ではないでしょうか。

最近は教育に関する発言も目立たなくなってきた義家先生ですが、また教育の場に戻って熱いことばを子どもやその親たちにかけ、放熱していってほしいと願っています。

義家弘介『ヤンキー先生の教育改革』、星2つです!

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