子供のためのオルセー美術館(81)助けて!気球に願いをかけて/シャバンヌ・オリンピックの気球の聖火と
戦争パリがあぶない
1870年、第1回印象派展覧会が開かれる4年前のパリ、空にはたくさんの気球が上がりました。
いったいどうしたのでしょう。
戦争が始まって、パリの街のまわりをプロイセン軍に包囲されてしまったのです。
このままだとパリの人々は戦うどころか食べ物さえなくなります。
そこで、気球を飛ばして敵の動きを探り、写真を撮って地図を作り、たくさんの手紙を運んだのです。また、ガンベタ大臣を地方のフランス軍の基地にパリから脱出させたのも気球でした。
数カ月の間に何十回も気球はパリを飛びたったのです。
空を飛ぶ気球は、パリの人々の唯一の希望の星になりました。
パリの城壁で警備をしていた画家シャバンヌは、
この気球を見て、モン・バレリアンの基地に向かって飛んでいく気球を描きました。
黒いドレスを着て城壁に立つ武装した女の人は、気球に願いをこめます。
「どうか届いて!」
シャバンヌは、この悲しくてどうしようもないできごとを、茶色の色だけで描きました。
そしてこの絵のリトグラフはすぐに新聞に載って、パリの人々に勇気を与えたのでした。
さて、このお話の絵には続きがあります。
数週間後、シャバンヌは続けて、もう一枚同じ大きさの絵を描きました。
実は、気球には手紙と一緒に伝書鳩も乗せてありました。
パリに戻る気球は、大事な情報を敵に知られてしまう危険があったのです。
手紙の返事は、訓練されたハトがパリに運びました。
パリにやっとたどり着いた白いハト、
ワシに襲われるところを助けた黒いドレスの女の人を、シャバンヌは今度は正面から描きました。
さあ、この絵の景色を見てみましょう。
右手にはノートルダム寺院、左にはアントワネットの牢屋があった三角の屋根のコンシェルジュリー。
そして流れるセーヌ川にかかった橋。
いつものパリ。
でも、孤立したひとりぼっちの悲しいパリをシャバンヌは描いたのです。
この時から150年たった今、
パリではオリンピックが華やかに開催されています。
まさにここで、ですね。
Pierre Puvis de Chavannes
タイトル La Ville de Paris investie confie à l'air son appel à la France, ou Le Ballon 1870
ピュヴィス・シャヴァンヌ
気球 1870
Pierre Puvis de Chavannes
タイトル Échappé à la serre ennemie, le message attendu exalte le cœur de la fière cité, ou Le Pigeon 1871
ピュヴィス・シャヴァンヌ
鳩 1871
お読みいただきありがとうございました。
オリンピックで賑わうパリ、チュイルリー公園の池に設置された巨大な気球の聖火を見ているうちに、このシャヴァンヌの絵を思い出し取り上げました。
気球はフランスでは盛んにあげられ昔から人気のある乗り物ですが、この普仏戦争当時パリ包囲の中にあって希望の気球、まさにシャヴァンヌの描いた絵の気球が、今回のパリオリンピック聖火の発想の要因のひとつにあるかもしれません。(発表はないので確かではありませんが)
世界初の航空郵便、ほんの数カ月のうちにパリから各地へ250万通の郵便が気球で輸送されました。孤立した不安なパリ市民にとっては確かにたった一つ、希望を与えてくれるものが気球だったのですね。