見出し画像

HSPを知りたいかたへ

「発達障害(神経発達症)」と診断されてから、10年が経ちました。
 今までに調べたことを、自分なりに纏めたいと思います。

神経発達症とは

「神経発達症」とは、その名の通り、神経の発達に欠陥がある障害のことです。母体の摂取した化学物質や精子の劣化などが原因と言われています。神経には脳神経などの中枢神経や、自律神経や運動・感覚神経の末梢神経も全て含まれます。特に神経伝達に不具合(過不足)が生じるとされています。

神経発達症の種類

 神経発達症には、「知的障害」「自閉症」「ADHD」「学習障害」の4種があります。
 一般的に「神経発達症(発達障害)」と言うと、電車の中でぴょんぴょんはねたり、アナウンスをおうむ返ししたりするような人を想像するのではないでしょうか。「発達障害」とは、そういう人を指す言葉だと、僕も診断されるその日まで思っていました。
 ちなみに僕も飛び跳ねるのは好きです。なんとなく落ち着くので。小さい頃は体を揺らすのがやめられなくてよく叱られてました。

知的障害

 知的障害とは、「知能指数の低い人」と定義されています。じゃあ「知能指数」っていったい何なのかと言うと、よく分かりません。昔の人が決めた定義です。いわゆる「IQテスト」ですね。IQテストの結果が40以下だと「知的障害」と診断されます。全体的な思考能力を指しているのだと思います。
 なお、知能指数は細分化されており、「言語IQ」「視覚IQ」などと分類することが可能です。知的障害はなくても、特定の分野のIQが著しく低い場合もまた発達障害と診断されます。ちなみに僕は言語IQが80です。ご存じだと思いますがIQの平均は100です。

ADHD

 よく「忘れっぽい」という表現がなされますが、認知症やアルツハイマーのそれとは違います。「記憶力」は通常程度にある事がほとんどです。ただそれを「思い出し」たり、「比較し」たりする頭の「ワーキングスペース」が狭いのです。(まあそのためにあまり物事を記憶できないのは確かですが。)もっと正確に言うと、どうやら神経伝達物質の再取り込みが過剰なのだそうです。詳しくはググってください。
 例えば「建設」になぞらえるとこうです。ふつうの人の脳は土地が広いので、家と店舗とビルを同時に建設できます。しかしADHDの人の脳は面積が狭いので、1つしか建てられません。ビルを建てるときは、家を取り壊してその跡地に建てなければならないのです。このため、建設の方向性が定まらなければ取り壊しを繰り返すため「要領が悪い」と言われ、家を建てると決まり、それに邪魔が入らなければ、人手を一か所に割くのでので一般の人よりやや早いスピードで完成させることができるということです。
 つまり、同時並行で物事を考えることが苦手です。例えば暗算は最も苦手分野です(繰り上がりが無理)。人間関係の把握やグループでの同時会話なども苦手です。また、ちょっとでも複雑なことになると、頭のなかでまとめて喋ることができないため、図に直して整理してから伝えたりします(これはコピーライティングの分野では有利です)。当然長い文章になると、前の内容を片っ端から忘れていくので理解できません。

 ADHDは、僕を占めるもっとも重大かつ致命的な障害です。自覚したのは小学生の頃でした。前日友達と喧嘩したことを忘れてしまって、翌日「おはよー!」って挨拶したら怪訝な顔をされたのが最古の思い出だと思います。友達の顔を見た瞬間、嬉しさで頭がいっぱいになって昨日喧嘩したことを忘れてしまっているんですね。ほかにも、バレンタインデーにチョコを持ってきたクラスメートがいて(本当はチョコの持ち込みは禁止なんですけどこっそり配ってくれたんです)、僕はおいしいという思いで頭がいっぱいになって教室に入って来た先生に「先生もチョコ食べます?」って聞いて先生にもクラスメートにも怒られるはめになったことがあります。あと、子供の頃音声チャットが繋がっているのをすっかり忘れて独り言言いまくって恥ずかしい思いを何度もしたので昨今のリモート通話に忌避感がある。

 最も多いトラブルとしては「怠け者と思われる」ことです。あまりにも忘れるので、「『忘れた』と言い訳しているだけではないか?」とか、「そんな大切なことを忘れるわけがない」といった詰問によくさらされます。これが僕が生きていくうえで最もつらいことランキングベスト1です。特に日本人は言い訳として「記憶にございません」ってよく使うもんね。政治家が使う場合は100%「建前」なんですが、僕らの場合は本当にその瞬間は忘れてるんですよね。しかも後からちゃんと思い出すので、「ほらやっぱり忘れたふりをしていたんだろう」と言われてしまうのです。

ADHDのワーキングメモリは、周期的に「リセット」されることがある気がします。昨日まで、自分がどのように生活していたかをなんとなくド忘れしてしまうような感じです。「あれっ、はさみって、どうやって使うんだったっけ」みたいな。そう、寝ぼけている状態に、非常によく似ています。ADHDをイメージするときは、「ずっと寝ぼけている状態が続いている」と思っていただくとたぶん良いんじゃないかと思います。寝ぼけてるときって、変なこと思いついたり、口走ったりするじゃないですか。それがいわゆるADHDの「アイディア力」と言われるものだと思われます。

LD(限局性学習障害)

 限局性学習障害は、少々奇妙な障害です。ほかのことは問題ないのに、それ「だけ」ができないと言うのです。僕の知り合いにも、「片仮名がどうしても読めない」とか、「漢字がどうしても同じに見える」「時計が読めない」といった人がいました。

 僕は検査を受けたことがないのですが、僕には「喋り言葉だとうまく表現できない」という障害があります。書くことはまったく問題ないのですが、それを考えるだけだったり、口に出そうとすると頭がごちゃごちゃしてしまうのです(おそらく、書きながらだと客観的に把握できるからかも)。また、言葉を時々認識できないことがあったり(上の空と似ているが、上の空が多いということ? マルチタスクができないからかも)、例え集中していても、人の話している内容が分からないことがあります。昔から、僕は洋画を「吹き替え」で観ることができません。台詞が時々聞き取れないからです。プロの声優が喋っているのに聞き取れないなんておかしいですよね。外国語みたいに、日本語として聞き取れないのです。ちなみに字幕だと普通に楽しめます。あと、初対面の人の言葉は分からないことが多いです。その人の喋り方やイントネーション、使う文法などがまったく不明のまま1回聞いただけで聞き取るというのが僕には難しいです。同じ日本語なのに。なんでみんな普通に初対面の人と喋れるんだろうと思います。まあこの辺りはADHDや言語IQの低さとも関わっているかもしれませんので、一概に学習障害とは言えませんが。ただ便宜上LDを自称しています。

 学習障害にはほかにも、文字を書くと「鏡文字」になってしまうとか、文字がゆがんで見えてしまうとか、統合失調症と区別しにくいようなものまであります。

自閉症・自閉症スペクトラム

 最近とみに有名になってきた発達障害の一種で、神経のシナプスに異常がある病態の総称です。「アスペ」と言われるのもこの一種です。原因も治療法もはっきりしていないので、伝説じみて語られたり、自称する健常者がいたりと何かと話題も多いです。
 だいたいは、「人の気持ちが分からない」と言われ、サイコパスと混同される事も多い。サイコパスと違うのは、「冷たい」のではなく、「分からない」ということ。
 発達心理学には、「9歳の壁」という言葉があるそうです。本来は、「9歳になって様々な感情が芽生えることで精神的につらくなる時期」のことを指すようですが、自閉症の場合、逆です。「9歳で発達するはずのものが発達しないことで周囲と壁ができてしまう」ことと言えます。9歳までに、健常者たちは「自我」と言うものを身につけていきます。通常、「鏡」に映るものは自分であると認識しますよね。これが「自我」のはじまりです。成長とともに、「自分は自分で、他人は他人である」という区別意識や、「世界の中に自分が存在している」という客観意識というものが発達していきます。自閉症は、こういった自我意識がうまく機能していない障害なのです。極端に言えば、「鏡に映った自分を自分だと認識できない障害」となります。

僕も、大学生の頃まで鏡を見るのが「苦手」でした。学生時代はアパートの鏡にガムテープを貼って塞いでいました。「自我」というものを意識できないため、いざ「鏡」を見ると困惑してしまうのです。

 さて、「自我」が機能しないとどうなるのでしょうか。例えば悲しい気持ちになったとします。でも、「私は悲しい」ということの「私」が分からないので、「私が悲しいから」という意識に辿り着きません。ですので、「感情の伝達」が出来ません。そして、「感情の共有」もできません。「今日は天気が良いですね(だから嬉しいですね)」「そうですね(私もうれしいですよ)」といった肯定や、自分の感情を共有・伝達するコミュニケーションができません。但し、悲しみや嬉しさそのものは感じているので、快、不快はあるのです。それを肯定したり、伝達したり、外に出すことが出来ないだけで。インターネットの繋がっていないコンピュータみたいなものです。

 中学生の時の担任の先生に、一番仲の良かった友達を指して、「友達なんだろ?」と聞かれ「友達ではありません」と答えてからその友達に避けられるようになったことがあります。それも、「親しさ」や「楽しさ」という感情(友情感?)を認知できなかったからです。避けられたことで僕は悲しかった(つまり、「友情感」はあった)のですが、その「悲しみ」すら自覚できず、ただうつむいて諦めるだけでした。

 それから、「未来の予想」はどうでしょうか。「明日は雨」ということが分かっていても、自我がないと、「雨の中にいる自分」を想像することが出来ませんから、「雨が降って、明日私は濡れるだろう」といった予測をすることができません。雨くらいなら良いんですが、危険なことも想像できません。ですから、自閉症の人は、想像できない未来(の自分)に怯えて暮らしている人が多いです。あとは当然、「集団の中の自分」が認識できません。集団の中での自分の役割や立ち位置などを把握することはとても難しい。だから、「空気が読めない(=求められていないことをする)」と言われるんですね。当然ですが、仕事も「自我」が関わっています。「私がこれをするから、これがこうなる」という行為の結果の把握も自我が大切なのです。「行為の結果の把握」や「未来の自分の把握」を繰り返すことで、人は予定を立てたり、プロジェクトを遂行したりすることが出来るようになるのです。つまり、自閉症患者は予定の組み立てが苦手で、仕事の取り組みが遅いです。
「自意識」と言うものは、さまざまなものに関わっています。「自己肯定感」や「反抗心」といった、自我やアイデンティティの確立に無くてはならないものであり、人間という存在(個性)の「基礎」と言えるものです。自我があるから、他人と交流しても自分の人生を歩むことができる。遊ぶことも、愛することも、喧嘩することもできる。自我がなければ、それすら困難なのです。「Noと言えない日本人」などと言われますが、例えば「Noと言えない」のが、「目立ちたくないから」や「槍玉に挙げられるのが嫌だから」なのか、「Noという感情を認知していないから」なのかでは、大きく違いますよね。
 また、こういった症状は自閉症特有のものではありません。統合失調症の患者にも見られますし、感情を抑圧して育った人にも見られます。ですのでそういった人と誤解されたり、混同されることも多いです。

「発達障害」と診断を受けたとき、もっとも驚いたのは最初に書いたように「僕くらいのレベルでも発達障害って呼ぶんだ」っていうことでしたが、その後生きる中でさらに驚いたのが、「自分が『当たり前』だと思っていたことが、全く知られていなかった」という事です。神経発達症というのは統計にすると人口の5%を占めると言われています。つまり1学年に1人くらいはいる計算なのです。いわゆる「妙に細かい人」とか「物凄いこだわるオタク」とか「くそ真面目」とか、「周囲の気持ちを考えず喋り続ける人」で、小説やマンガにも出てきます。彼らは物語にちょいちょい首を突っ込んでかき回したり、ハカセキャラとして主人公をサポートしたり、或いは鈍感主人公など、変わり者だけどそれなりの役割を持って描かれています。だから、「ほら、クラスにひとりくらいはそういう人いるでしょ?」で、通じると思っていたのです。ところが実際は、「そんな人はいなかった」と言われることが多いことに驚きました。これは実際にいなかったという訳ではなく、「健常者にとって、彼らは理解できない」と言うことなのです。物語の登場人物にそういうキャラがいても、僕らは彼らを目ざとく見つけ統一感でもって共感しますが、一般の人から見たらただのトリックスターや変人キャラでしかなく、観終わったら忘れてしまう程度の不可解な存在なんだと言うことに、大人になってから気が付きました。あと、フィクションでは妙にチート能力を持って描かれたりもしますしね。
 だから、最初は「どうして僕らは発達障害と呼ばれなきゃならないのかな」と思っていたんです。だけど大人になって分かったのは、フィクションはあくまでもフィクションだし、フィクションを書いているのは健常者だし、やっぱり僕らは「間違っている」んだと言うこと。発達障害は数学に強いからそれを伸ばせばいいなんて言うけれど、数学だけやって生きていけるようには出来ていない。福祉の力を借りないと、やっぱり生きていけないんです。あなたの周りに発達障害がいないのは、「いない」んじゃない。ただあなたが見抜けず、「キチガイ」として軽蔑して、無意識に無視してしまっているだけなんです。だから、ちょっと気を付けて周りを見渡せば、あなたの周りにもきっと発達障害(神経発達症)はいると思います。
「でも、神経発達症でも福祉の力を借りずに生きてる人っているじゃないか」と思う人もいるかもしれません。それは、後述しますが人それぞれなのです。

自閉症の原因

 このような症状になる原因は、まだはっきりとわかっていません。脳内のセロトニンが少ないという事は分かっているそうです。これはぼくの想像ですが、自閉症は腸内のセロトニンを作る、あるいは分解する能力に問題があるのではないかと思います。詳しくは難しくてわかりませんが、セロトニンを分泌するのも神経伝達のひとつですから、その部分に異常があるとしてもまったくおかしなことではありませんよね。そうなると、自閉症は腸内環境が悪いことにも説明が付く気がします。それか単純に、自閉症は本質的に過敏性腸症候群を持っているのかもしれません。

自閉症の対処法と、「こだわり」の本質

 ちなみに、「自我の欠乏」には、いろいろと対処方法があります。たとえば「考えを口に出す」。ただ頭で思っているだけだと、なんとなくふわっとした自覚にしかならないことを、「僕は小瀧さんが嫌いです」などの言葉で、口に出し、それを聴覚情報として取り込むことで、「あ、自分は小瀧さんが嫌いなのか」と理解することができます。こういうことって、わりと認知行動療法なんかにも書いてあったりしますよね。それから、気持ちを「図」で表す方法。感情を「言葉」にすることが難しくても、「表情」や「身ぶり」だったら表現できる場合があります。LINEスタンプなどは、自閉症にはとっても有難い存在です(もちろん、スタンプだけ送る奴は変人扱いされることは変わりませんけど)。それから、話題になっている「オキシトシン」。「オキシトシン」という物質をを投与(吸引)すると、自閉症の症状が改善するという研究報告があります。「オキシトシン」とは女性ホルモンのひとつなので、女性は元々多く持っています。「発達障害」は男性が多いと言うのと、関係があるかもしれませんね(但し、自閉症の原因がオキシトシン不足というわけではないようです。女性の発達障害はオキシトシンのおかげでカバーできていると言えるかもしれません)。そして最後に、自閉症をカバーする最も有名な対処方法が、行動をパターン化することです。自閉症患者はほぼ全員行っていると言っても過言ではありません。未来の予測ができないので、過去の情報を頼りにするのです。つまり、「昨日と同じことをすれば、今日も大丈夫」と言う理論です。この方法が絶対ではないことは、「自閉症はこだわりがある」というあまりにも有名な触れ込みにもある通りです。しかしこれは自閉症として生まれた我々が幼い時に最初に身につける「生きる術」であります。もし、自閉症が過去を参考にせず、こだわらずに生きたら、多分すぐに死にます。逆に、こだわっても人生がうまく行かない場合は、不安神経症などに発展していきます。

 以上のような「神経発達症」は、健常なかたでも思い当たるところってあると思います。「計算が苦手なぐらい、私だってそうだ」と思う人もいるでしょう。実際には「発達グレーゾーン」などと呼ばれることもあるように、「発達障害」の定義は実はかなり曖昧です。発達障害でも、環境によってうまく生きられたり、生きられなかったりすることがあります。要は「福祉の支援がないと生きられないかどうか」で、ずいぶん変わっていくものだということです。ですから「あいつは発達障害である」とか、「あいつは発達障害じゃない」ということを一般が決めることもできませんし、よく言われるように「発達障害は治らない」ということでもなく、福祉の支援なしで生きられるようになったならばそれは「発達障害ではなくなった」と言うこともできます。そういうものも含めて、最近では「神経発達症」と呼ぶことが推奨されています。

「神経発達症」があり、なおかつ上手く生きられている人は、人生の選択が上手かったり、運が良かったり、体が丈夫だったり、それこそチート能力のあるごく一部の人です。ほとんどの発達障害者は、どこかでいじめられたり、村八分にされたり、居場所がなくなったり、体を壊したり、理解してもらえなかったり、得意なことをさせてもらえずに、人生につまずき、取り返しのつかない事態になってしまっています。ですから、その人の置かれている状況によって、障害の程度はずいぶんと変わるということです。

 最近話題になっているキーワードに、「HSP」と言うものがあります。現在では「繊細な人」という意味で使われているようですが、元々は発達障害の人を指す言葉なので自称する際はお気を付けください。
 発達障害者は、感覚が鋭すぎたり、鈍すぎたりすることがあります。これは器官(耳とか、目とか)そのものの障害ではなく、知覚を伝達する神経の障害です。本来脳は強い刺激を受けると感覚を鈍くしたり、弱い刺激の時は逆に感覚を鋭くしたりと無意識に調節できます(これを「環境適応」と呼ぶそうです)。それから情報の取捨選択もしているのです。カクテルパーティー効果なんていうのは有名ですよね。でも、発達障害の人はそういったことが苦手です。だから目に入るもの全てが気になったり、ちょっとした雑音が耳障りだったりします。ちょうちょを追いかける子供って見たことありませんか? ああいうのも、動いているものが気になって無視できないという事なんですかね。本来はそれを「HSP」って呼ぶんですけど…。こういったちょっとした「調節障害」が重なって、「不器用」とか「運動が苦手」とか「人の目を見るのが苦手」といった特徴が現れます。
 それから、「カメラアイ」と言うのを聞いたことがあるでしょうか。脳が「取捨選択」をできないことから、覚えなくていいものまで覚えてしまう、これも一種のHSPです。そこから、自閉症患者は過去のことを生々しく覚えていて、本来脳は嫌な記憶などは忘れてしまうように出来ているのですが、嫌なことまで鮮明に記憶し続けてしまうといった特徴もあります。
 このHSPと自閉症の「自我の欠如」が重なっている人は模倣がメチャクチャ上手いという特徴があるんです。鋭い感覚でなんでも読み取り、自我の邪魔がないので難なく表現できるんですね。すると、大人の真似をしてしまうので、場合によってはすごくよくできる子に見えてしまう場合があり、障害の発見が遅れてしまうことがあります。長く見続けていると、それが物真似であることが分かります。
 もちろん、全てにおいて過敏になるだけではなく、鈍感になっている人もいます。

自閉症と胃腸の関係

 上記のように、自閉症の多くは「環境適応」に問題があります。そうすると、さまざまな問題が起こりますよね。例えば寒暖差に適応できないとか、有害物質を取り込みすぎてしまうとか、走っているのに鼓動が早くならないとか、低血糖発作とか片頭痛とか。とくに問題なのが、消化や排便が上手く行かないことが多いんです。人は食べものを取り込むと、その情報が全身に行き渡って「消化モード」に入ります。胃液やインスリンを分泌する、消化酵素を分泌する、蠕動運動を始める(セロトニンを分泌する)など。そういった活動が遅れてしまい、胃腸のなかに食物が長期間残留してしまいます。これが悪玉菌のエサとなり、腸内環境の悪化を招きやすいことがわかっています。自閉症患者は健常者よりも腸内環境が悪いという研究結果が出ているんですね。そうするとどうなってしまうのでしょうか。詳しくは割愛しますが、その結果食物アレルギーやコルチゾール過多を招き、それが神経伝達物質を浪費してしまい、自閉症の症状を余計悪化させることになってしまうのです。

シチュエーション別誤解凡例集

 発達障害は、「自己の把握」ができない障害ですので、自分が置かれている状況を相手に説明することすら困難です。だから相手に察してもらわない限り、理解される方法がありません。では、どんなときに発達障害は「困っている」と言っているのでしょうか。ここではキーワードなどを紹介していきます。

「できない」「無理」「めんどくさい」=本当に無理

 簡単なことでもすぐ断ってくる人。普通に考えれば「怠け者」ですが、発達障害の場合は「(どう頑張っても)無理」「(いくら努力しても)無理」「(わたしがそれを実行するのはあなたがするより遥かに)めんどくさい」といった意味が含まれています。あなたにとっては簡単でも、その人にとっては本当に難しいことなのかもしれません。また、自閉症特有の「こだわり」がある場合もそうです。想像することができないんですね。だから想像するのは労力が要る(めんどくさい)。また、「今じゃないとできない」といった限定がある場合は、特有のルーティーンに沿っているタイミングだったり、AD/HDのために忘れてしまわないうちにやってしまわなくてはならないといった理由があります。

「うるさい」「邪魔」「気が散る」=本当に邪魔

 まったく邪魔ではないだろうに「邪魔」と言われたとき、それは嫌がらせではなく本当に邪魔なのです。ADHDの場合、限られたワーキングメモリで作業しなければならないため、ちょっとした雑事で短期記憶が消去されてしまいます。そうするとまた初めからやり直しになるため、ささいな刺激が邪魔なのです。また、感覚過敏の場合、不要な情報を無視することができないため、これまた些細な刺激が「邪魔」となります。

「分からない」=本当に分からない

「映画面白かったね」「わかんない」といったように、発達障害の会話には「分からない」が連発します。秘密主義とかけむに巻きたいからではなく、本当に「よく分からない」のです。会話が終了するのは仕方ないことですが、会話をしたくない訳ではないのです。

「決まってる」「ルールだから」「じゃなきゃだめ」=「こだわり」

 一見わがままに見える発言ですが、あなたを困らせたいわけではなく、自閉症特有の「こだわり」から来ている可能性があります。この「こだわり」は、自分ではどうにもならない症状であり、自分でも自分のこだわりに困っていたりします。それでも、想像ができないので、やめる方法が分からないんですよね。そういうときは、落ち着いて、状況やメリットやデメリットなどを書き出してみると、分かってもらえることも多いですよ。本当にその人が発達障害であればですが。
 また、今まであなたがしていたことに対して、状況を察せず「なんで今日はしないの」とか「早くしてよ」と言うこともあります。それも、「やってもらって当然と思っている」と言うより、昨日と同じことが今日も起きなくてはならないというこだわりから来ています。
 それから、自閉症にとって「約束」はとても大きな意味を持ちます。想像ができないぶん、状況に応じた契約の変更といったことができませんので、軽はずみに約束してしまうと後から執拗に催促されたりします。
 なお、「プライベートゾーン」よりも「こだわり」を優先しますので、ストーカーにもなりますし、ガラガラの室内で、いつも座ってる席の隣に誰かが座っていてもそのすぐ隣に座るなどします。
 この「こだわり」、場合によっては「良い誤解」になることもあります。その「こだわり」が、社会で求められている「規範」と同じ場合、「まじめな人」とか「優しい人」といった評価になったりしますが、本当にそういう性格かどうかとは別問題なところが厄介(?)ですね。

「興味ない」=想像できない

 自閉症の人は、「興味がない」ものが多いです。
 ただそれは本当に「興味がない」と言うよりは、「想像できない」「自分と関係すると思っていない」と言うほうが正しいでしょう。ですから、「興味がない」と言われたからと言って鵜呑みにしないように。ただ、考えられないだけなのです。

喧嘩を売っているように見える

 このように、発達障害はせっかく投げてくれたボールを捨ててしまうような言動が目立ちます。そのため、通常の価値観では「偉そう」「生意気」「喧嘩を売ってる」などと判断されてしまいがちです。本人としては、友達になりたいと思っているのかもしれませんが、ボールを投げ返すことがうまく出来ないために、周りはそうは受け取ってくれないわけです。悲しきモンスターみたいなものです。仕方ないんですよ、そういう障害なんですから。
 ただ、率先していじめに行くとかそういうことは本来はしないので、その辺で判断してもらいたいと思います。

自閉症の「とらえ方」の根本的な違い

 自閉症の人は、相手の気持ちを自分に「置き換える」ことができません。つまり、「相対的な理解」が出来ないと言う事です。では、他者の気持ちをどうやって認識しているのでしょうか。もちろん「絶対的な理解」がまずはあります。辞書などの書物を開き、そこに載っていることから理解します(「毛虫をプレゼントしたら、人は怒る」とか)。ですが、そうではないときは、自分で「定義」を作ってしまいます。つまり、「藤井さんはディズニーが好き、洋館が好き、つまり欧風のものが好きだろう」という「推理」です。一般の人は、その人の「表情」で何が好きなのかを適宜読み取りますが、自閉症は世の中を一定のグループなりジャンルなりに分類し、今までの傾向からグループに当てはめ、推理して相手を理解しようとするのです。これは、健常者の「思考のクセ」とは別物です。健常者の脳は表情などで相手を判断しますので、慣れてくると「私はディズニーが好き。彼もディズニーが好き。だから私は彼が好き」といったふうに、一定の「刷り込み」がされていく傾向にあります。しかし自閉症の場合、そもそも相手を「感情」で判断せず、「世の中」「類型」に基準を合わせていくので、個々人で見てみるとズレが生じてしまうのです(逆に、健常者の場合は、周りの人の偏りによっては世の中とかなりのズレが生じてしまうことがある)。これが、自閉症は学問が得意だと言われる所以だと思います。
 そうなってくると、ジョークの考え方にもズレが出てくるのがお分かりになるでしょうか。「ジョーク」と言うのは、「常識」から外れたことをすることですよね。一般の人の「常識」は"人間は感情を持っている"ということですから、「笑いながら罵る」といった行為が「笑いの感情」であると分かり、「ジョークである」と認識できます。では、自閉症にとっての「常識」は何でしょうか。もちろん、「ルール」です。例えば、「殺すぞ」と言うのは、「人を殺してはいけない」というルールから外れていると明らかにわかるので、ジョークであると言うことになります。「殺意の現れだと捉えられる可能性」などを考慮できないわけですね。「自閉症はジョークが分からない」のではなく、実際は「ジョークの基礎になる常識が違う」と言った方が正しいと思います。
 「三段論法」という考え方がありますが、自閉症はこの三段論法が強すぎてほかが破綻していると思っていただけると分かりやすいと思います。例えば、1「子供が出来るのは素晴らしいことだ」2「子供を作るのはセックスだ」つまり3「セックスは素晴らしいことだ」と考えてしまい、「セックスは恥ずかしい」「セックスは隠さなければならない」と言うことが理解できないのです。なぜならそれは上記の三段論法と矛盾するからですね。こういったひとつひとつの矛盾が積み重なることで、生きづらさがどんどん大きくなっていくのです。

 自閉症の人は、一般の人の使う言葉を自分も真似ようとしますが、間違った理解をしていることが多いです。なぜならその言葉に当てはまる感覚が自分の中にないので、周りの人が言っている状況を観察して(或いは辞書から学んだり、文字通りの理解をして)、一般とは少々ズレた理解をしてしまうからですね。例えば僕は恋愛的な意味の「好き」という言葉が二十歳過ぎても理解できず、仲の良い友達に手当たり次第「好き」と言ってたら「ごめんなさい」と言われて敬遠されまくったことがあります。特に、言葉には良い意味の言葉と悪い意味の言葉があるということがなかなか理解しにくいです。以前、友達の大学に遊びに行ったとき、「小さいキャンパスだね」と言って怒らせてしまったことがあります。「小さい」という言葉には「悪い」意味があるため、侮蔑の意味が含まれるというところが理解できてなかったからです(僕としては、キャンパスの大きさと大学の価値に関連があるわけじゃないんだから、という感覚です)。ですから、神経発達症の人と話すときは、「その人は本当にそういう気持ちがあってその言葉を使っているのだろうか」と気にかけてあげたほうがいいかもしれません。神経発達症向けの『良い意味の言葉・悪い意味の言葉辞典』とかがあると良いんですけど…。日本語学習者にも助かるんじゃないかな…。

自閉症は個性?

 昨今、「自閉症は個性である」という意見を多々耳にします。自閉症は自我が弱く素直であるという特徴から、上手く使いこなせれば力強い戦力になるという意見です。また、周囲に同調し(でき)ないので騒動の際の諌め役としても活躍できます。但し、ただの「個性」で片付けるには生きづらい障害をたくさん持っていることは事実です。概日リズム障害、自律神経失調、副腎疲労、低血糖症などの疾患を併発していることも多く、認知症やパーキンソン病のリスクも高いと言われています。ですから、「まったく障害ではない」と言い切ることはできません。但し、「ふつう」と同じようにできなくても活躍の場はあるとは思います。「自閉症は個性」なのではなく、「自閉症は個性的になりやすい"障害"だ」と思えば良いのではないでしょうか。その辺りの微妙なニュアンスを履き違えないようにして欲しいと思います。

年配の方へ

  いかがでしたでしょうか。僕が「発達障害」という言葉を初めて聞いて以来、調べてきたことを書いてみました。
 昨今、医学界では「発達障害は増えている」と言われています。研究が進んだために、そう見えているだけと言う見解もありますが、発達障害の原因として考えられている「化学物質」や「高齢出産」を考えると、発達障害は絶対的に増えていると言っていいと思います。ですから、「若いから」とか「便利なものに頼ってるから」ということ以外にも、人類の進化そのものに「異変」が始まっているのかもしれません。発達障害は、人類の滅亡の予兆なのかもしれませんね(笑)

 ひとつ覚えておいて欲しいのは、これらの症状は全て「人それぞれ」と言うことです。ですから、「発達障害なのにできるのはおかしい」という事ではありません。例えば歯は本来全部で32本ありますよね。だけど、僕は発達障害なので永久歯が生えてきませんでした。とは言え、すべての歯が乳歯なわけではなく、幾つかはちゃんと永久歯が生え、あとは現在も乳歯の状態です。どの歯が永久歯か、どの歯が乳歯かは、発達障害の人それぞれですし、本人ですら把握していません(もちろん歯は例えですので、乳歯の本数で発達障害度が分かるとかっていうことではありません)。ですから、「あれはできるのにこれができないなんておかしい、やはりわざとだろう」と言うことではないということだけ肝に銘じておいて欲しいです。体調によっても変わりますし、当然焦ってたりするとできなくなるのは普通の人と同じです。

まとめ 人の脳をPCに例えると

自閉症・自閉症スペクトラム・・・ネットワークに繋がっていない
AD/HD・・・メモリが小さい
知的障害・・・CPUが古い
限局性学習障害・・・ハードディスクの不具合
HSP・・・USBコードの接触不良

参考文献・webサイト

桑原 斉『高機能広汎性発達障害の生物学的な特性について』
もりもと『人の目を見てしゃべれないのは能力の問題かもしれない

※この文章は当事者の主観であり、科学的根拠を示すものではありません。

この記事が参加している募集

発達障害なりに色々考えて生きてます。応援していただけると嬉しいです。