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人のためにやることが、自分の利益になる――『菜根譚』の「争わない生き方」

人のためにやることが、自分の利益になる

「争わない生き方」をテーマにしたオンラインセミナーの講師を、務めることになりました(詳細は末尾で)。
 それに関連して、先人の知恵から心豊かに生きるヒントについて、何回かにわたって書いていきます。取り上げる中国古典は、『菜根譚(さいこんたん)』、『呻吟語(しんぎんご)』、そして『論語(ろんご)』、『老子(ろうし)』です。

第2回は、前回に続いて、「一歩譲る」ことの効用を説いた『菜根譚』の言葉をみていきます。

この世のなかを生きていくには、人に一歩譲る心がけを忘れてはならない。
一歩退くことは、一歩進むための前提となるのだ。
対人関係においては、なるべく寛大を旨としたほうがよい結果につながる。
人のためにはかってやることが、結局は自分の利益となってはね返ってくるのだ。

読み下し文です。

世(よ)に処(しよ)するに一歩(いっぽ)譲(ゆず)るを高(たか)しとなす。
歩(ほ)を退(しりぞ)くは即(すなわ)ち歩(ほ)を進(すす)むるの張本(ちょうほん)なり。
人(ひと)を待(ま)つに一分(いちぶ)を寛(ひろ)くするはこれ福(さいわい)なり。
人(ひと)を利(り)するは実(まこと)に己(おのれ)を利(り)するの根基(こんき)なり。

 『決定版 菜根譚』守屋 洋著

 いついかなるときにも、人に一歩譲る心がけを忘れてはならない、と説いています。
 一歩退くことは、一歩進むための前提となる。
さらには、人のためにはかってやることが、結局は自分の利益となってはね返ってくる、とも述べています。
 ただ、その因果関係については具体的に示されていません。

利益は得たいけれど、怨みをかわないようにするには

 逆の見方をすれば、こういうことになるでしょうか。
 利益を独り占めしたり、相手に不利益を被らせることをしてしまうと、それが怨みを買うことになる。いざ何かをしようとしたときに、まわりから協力してもらえない。

 小さな利益を得て、しめしめと思っていても、いざ大きな利益がかかっている事業や案件に立ち会ったときには、協力してくれる人がいない、という事態を招くのは、賢い判断とはいえない、ということです。一歩譲ることは、モノや権益、地位や名誉のことだけにとどまりません。

 人の意見に耳を傾ける、言い分を聞く、ということも、相手を認める、尊重することにつながります。
 たとえ、拙いアイデアや提案であっても、否定してはいけない。相手の言い分を聞き、議論を尽くす。そのうえで、最終的には同意をしない、自分の意見を通すのなら、知らず知らずのうちに怨みかっていた、反感を抱かれていた、という事態は避けることができるでしょう。

「庇を貸して母屋を取られる」、「恩を仇で返す」

 この考え方は、儒教の徳の思想が根底にあって、人の上に立つ人、人としての道を踏み外さない人のための教えといえるでしょう。

 世の中をみれば、一歩譲ったからといって、一歩進むための前提となる、最終的には自分の利益になるとは限りません。「庇を貸して母屋を取られる」、「恩を仇で返す」いった諺があることも、アタマに入れておきたい。
 そのことも覚悟したうえで、一歩譲るのがいいのかどうか。

 ともあれ、ここでいう、一歩譲る、争わない、というのは、勝負を降りるとか、引退する、ということではありません。
 ビジネスにおいても、人生においても、勝敗を競うケースや、不利な(厳しい)交渉を迫られるシーンは、何度となくやってきます。

争わない生き方を貫く。
 
それはきれいごとだけでは、徹底できないのかもしれません。


ご縁をいただき「リベラルアーツ勉強会」の主宰メンバーに加えてもらい、「争わない生き方」をテーマしたセミナーの講師をすることになりました。よろしくお願いいたします。
【セミナー告知】第5回リベラルアーツ勉強会/中国古典に学ぶ 争わない生き方


前回の投稿です。
一歩道を譲ることが、なぜ大切なのか――『菜根譚』の「争わない生き方」


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