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誰かといても、ひとりでいても幸せ
これは、わたしが思い描く最も望ましい日常生活。
ようやくそれを叶えた現在、幸せ時間を満喫しています✨
わたしの中にも長年居座りました
それは、孤独=かわいそう
このイメージは、ただの思い込みであることに気づいたのは、割と最近のことです。
そもそも、なぜそこまで誰かといなければならないのか?
もちろん、必要なときは誰かに頼ることはありますし、軽い気持ちで誰かと時間をともに過ごすのも場合によってはアリです。
その誰かといる間は充実感に満たされ、幸せでいられます。
しかしその幸せの基準が、誰かといる自分…
ということは、ひとりになると不幸になるのか?
SNSでもよく見かけます。
ひとりでいる場面がほぼゼロの人。
誰かといる間は幸せでいられるけど、いつ来るかわからないひとりでいる自分を受け入れられるのか?
(恐らく)このままだと、精神衛生を悪化させるのではないか?
わたし個人としてはそう考えます。
この差が激しいと、躁鬱レベルと言えるでしょう。
そういう条件付きの幸せは、自分を支える存在価値の土台が脆弱な状態。
つまり、自己肯定感が曖昧である以前に自己理解も曖昧。
これは幸せというより、依存と言い換えます。
ひとりでも幸せな人はあまり多くないでしょう。
集団で生きるのが当たり前の社会で育ったゆえ、
(無意識のレベルで)必要以上に誰かを求める。
しかしそれは、人生をハードモードに変えやすくします。
じゃあ、何をすればいいのか?
わたしの場合ですが、物事に一点集中する時間を創ること。
実際にやってるのは、
・読書(主に自己啓発・ビジネス・小説)
・その感想文を書く
・ラジオを聴く(主にスタエフやvoicy)
・筋トレや散歩
・そしてnote時間
人生を豊かにするために必要な情報をインプットからのアウトプット。
この両輪を習慣的に回し続けた結果、ひとりでいる自分の存在を受け入れるようになりました。
なので、誰かといても、ひとりでいても幸せ。
そして、こう言語で表現できることも併せて幸せ。
世間的にはあまり理解されないと思いますが、そこは無視して、唯一無二であるわたしの人生はわたしの手で創り上げる。
これが、自分軸で生きる主要エネルギーです。
★今回の画像は、久しぶりにひいろさんのAIイラストをお借りしました。
文章もそうですが、素敵なイラストからも幸せを毎日いただいています😊
(またどこかでお借りします)
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