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適応障害になるまで(後編)

前編からの続きです。よろしくお願いします。
前編はこちら↓
https://note.com/lively_impala591/n/n05c8e42880eb

1.違和感

前編でメンタルを気にするようになったと書いたものの、10月からは委員会や監査の立て続けの実施、働き始めてから半年経過したことによる業務の引継ぎなど、自身のメンタルを気にする時間もないくらい忙しくなってきました。

そうなると脳内は仕事のことでいっぱいになり、休日もしんどくなっていきました。今思い返すと、口数の減少や下を向く時間の増加や、日曜の象徴であるサザエさんにも勝手に嫌気を覚えていたりと脳内がもやもやする感覚を覚える様になりました。

そんな生活が続いた11月のある日、休職している同期Bから「サッカーの試合見に行かない?」との連絡が。

行かない理由がありません。

国立で行われたローマ来日試合

前半終了後に到着し、同期Bと他愛のない会話をしながら試合に一喜一憂。楽しい時間でした。

試合が終わった後の帰り道、彼から年末に退職するとの報告がありました。
そうだよなと思った反面寂しさと虚しさがこみ上げ、脳内のもやもやが増していった実感を感じました。

2.決定打

12月。先月から些細なミスや忙しさが増したこと、上記で書いた出来事などでぼーっとする時間が増えていきました。

12月3日、限界を迎えた瞬間がありました。この日は土曜出勤で、様々な委員会議事録や資料作成、異なる部署で働くため仕事と電話対応で非常に忙しかったことを覚えています。

昼休憩もあったのですが、気力も湧かず近くの公園でぼーっとしており、色んな音が飛び散る感覚があり更にぼーっとし、時間が経つ度にそれが強くなっていきました。

業務終了後、体から何らかのサインが出ていると直感で感じました。そのまま日曜日に営業しているメンタルクリニックを探し電話を実行。すぐに予約しました。

3.受診

午前の診察であったため、クリニックへ移動。10分ほど待ってから診察室へ行き、医師からの質問に答えたり、診察を受ける経緯を事細かに説明しました。

その結果、「適応障害」または「抑うつ」との診断結果が出て、休職するようにとのことでした。

症状について調べたりして心配にもなりましたが、内心ホッとした自分がいるのが分かりました。一種の解放感があったのかもしれません。

4.報告

次に親や上司への報告です。

まずは親に場所と時間を指定し、夕方に来てもらうようお願いしました。その間の時間は親への申し訳なさで生きた心地はしませんでした。

そして報告の時、親に診断書を見せ休職する旨を説明しました。意外にも親はすんなりと受け入れてくれました。また、掛けてくれた言葉が温かく泣きそうになりました。
本当に親には逆らえませんね(笑)。

次は上司への連絡。上司とlineでやり取りを行った結果、翌日面談することになりました。

面談の日。いつも通っていた出勤への道が緊張していたため全くの別物に感じました。
応接室へ向かい、診断書や近況について説明しました。意外でしたが、こちらもすんなり受け入れてくれました。また、部署の人には上司自ら報告するともあり、負担もないように手続きしてくれました。

部署の人に会わないよう早急に帰宅し、休職を迎えました。

5.終わりに

以上が適応障害となった経緯となります。
前編よりもボリュームが多くなってしまったため、日本語が変になっている箇所があると思いますが、読んでいただけると嬉しいです。

次からは休職時に何しているかを書いていこうかなと思います。
多分ですが今回よりも明るい内容になっていると思いますので、日記の様に投稿できるよう頑張ります(笑)

これからもよろしくお願いします。


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