【歴史小説】流れぬ彗星(7)「木阿弥」
この小説について
この小説は、畠山次郎、という一人の若者の運命を描いています。
彼は時の最高権力者、武家管領の嫡男です。
しかし、目の前でその父親が割腹自殺する、という場面から、この小説は始まっています。
彼はその後、師匠の剣豪や、愛する女性、そして終生の宿敵である怪僧・赤沢宗益と巡り合い、絶望的な戦いを続けてゆきます。
敗れても、何度敗れても立ち上がり続けます。
全ては、野心家の魔人・細川政元により不当に貶められた主君・足利義材を救うため。
そして自分自身を含め、あるべきものをあるべき場所へ戻すためです。
次郎とともに、室町から戦国へと向かう、混迷の時代を駆け抜けていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹
本編(7)
年が改まり、一時広城へ帰っていた次郎の元を、一人の使いが訪れた。
ひどく瘦せ、両の耳朶がない僧形の男である。遊行の者のような壊色の網衣をまとっていた。
奥目が暗く、ほとんど瞼を閉じているように見える。それが番士に連れられ、守護所の庭先までやってきた。
「尾張守様、お久しうございます」
「木阿弥ではないか」
次郎は相手の姿に驚き、すぐさま館の会所へ招き入れた。
「何者だい」
と、傍らの鯨が尋ねてきた。髪を紅の唐紐で高く巻き立て、青海波紋の打掛をしどけなく着崩している。
「古い相識だ」
それだけ答えて、次郎は座を移した。
木阿弥は、将軍義材の同朋衆である。在京の折はむろん、畠山の一族とも顔見知りだった。
「その後、一体どうしていた」
「今は越中におります」
多くは語らぬまま、一通の書状を差し出した。他ならぬ、将軍義材から下された御内書であった。
越中守護代、神保長誠の副状が付けられていた。その国の守護は父政長、ならば今の守護職は、自分に受け継がれているはずである。
「公方様、ご無事で」
次郎は思わず、楮紙をぎゅっと胸元に抱きすくめた。
義材が畠山氏の領国である越中へ奔り、放生津に迎えられて、北陸の諸大名を糾合しつつあるという雑説は聞こえていた。
ちょうど次郎が誉田三河守を退けたころ、義材もまた細川京兆家の追討軍を迎え撃っていた。
越中勢と能登の匠作家が力を合わせ、遠路進軍してきた京方を、完膚なきまでに打ち破ったのである。
「やはり義材様には、大将軍の風がある」
次郎はうっとりとしながらつぶやいた。
ちょうど十歳年上の公方。
(そなたが、畠山の次郎か)
低く太い、実のある声をよく憶えている。
眉が濃く、目が大きかった。こちらの心の奥底まで、からりと見通してしまいそうな明るい瞳。
次いで肩に乗せられた、大きなたなごころ。
(そなたも知っての通り、余はまだ京へ帰ってきたばかりじゃ)
はい、と次郎はうなずいた。まだ十四歳だった。
(頼みにする者とてない。そなたの父を、一番の力と思っている。そなたも早う大きくなって、余を支えてほしい。待っているぞ)
まだ大人になりきっていない背中が、細かく揺れていた。心の震えが、体まで伝わっていたのだ。
足利義材は、八代将軍義政の甥であったが、父義視が応仁文明の大乱で西陣の大将格に祭り上げられてしまったため、戦後しばらくは美濃に逼塞していた。
従兄の九代将軍義尚が、近江守護六角氏討伐の陣中で早逝すると、世継ぎとして義材に白羽の矢が立った。父とともに帰洛を果たし、十数年ぶりに義政と日野富子へ目通りが叶った。
ただ、義材と同い年の管領細川政元だけは反対した。これでは、一体何のために先の大乱が戦われたのかわからない、というわけである。
だが結局、義材は十代将軍に就任した。ほどなく大御所義政と義視の兄弟が相次いで薨ずると、義材は従兄の政道を受け継ぎ、直ちに江州征伐を再開した。
その後の義材の勝利と凱旋、河内への再征、政元の反対、そして変事と父政長の自刃については、今さら思い返すまでもない。
正覚寺城が焼け落ちると、義材は細川方へ降伏した。
罪人として洛中へ護送され、京兆家膝元の龍安寺に幽閉された。足利宗家重代の宝である御剣、御小袖もまた奪われた。
虜囚の身となった義材は、大御台の日野富子に毒を盛られながらも生き延びたという。そしてある嵐の夜、木阿弥ら近習の手引きによって脱走を果たした。
「京兆家内衆の上原めに、ひどく拷問されましたが、口は割りませなんだ」
木阿弥は誇らしげに、耳元に残る半月形の傷痕を触ってみせた。ことごとく生爪が剝がされているのも見て取れた。
逃亡した将軍は、伊賀に隠れているとも、所縁のある美濃へ下ったとも、遠く鎮西まで落ちたとも言われ、その行方は杳として知れなかった。
それが今や自領の越中にあり、奸賊細川政元誅伐の挙兵を、高らかに宣言しているのだ。
「ああ、おいたわしやっ」
楮紙を支える次郎の手は、我知らず震えていた。
御内書には、いち早く紀伊で再起し、父祖以来の勢力をまとめ上げた手並みと心がけを称賛する文言が並んでいた。
さらには、上洛の日は近いため、万難を排して馳せ参ずるよう雄々しく命じていた。
「おおっ、この命に代えましても」
目の前の木阿弥とではなく、あたかも書面の向こうの公方と対話するかのようであった。
小柄で癇癪持ちの義政とも、白皙の美男子であった義尚とも違い、義材は丈高く筋骨たくましく、野性味に満ち溢れていた。
今でも忘れはしない。
御所で催された犬追物で、義材は自ら射手を務めた。内牓示を越えようとする白犬を、次々に蟇目矢で射てみせた。
次第のあと、直垂を諸肌脱ぎにすると、逞しい胸板がもうもうと湯気を立てていた。黒い乳首に、わさわさと毛が生えていた。次郎はぼうっとして、そのささやかな茂みを見つめていた。
(ハッハ! ずいぶん手間取らせたのう。次郎、そなたはいくつ当てた)
底が抜けたような声で尋ねてきた。十五、と答えると、
(なかなかやる。が、余は十六だ)
張り合うように笑んだ。その前歯がやけに白く、まぶしく輝いているように思われた。
万事につけて豪放だったのは、あるいは京ではなく、野育ちであることが関わっていたのだろうか。
出陣の朝に、本重藤の弓を背負い、金覆輪の太刀を佩いた着背長の馬上姿は、初代将軍尊氏もかくや、と思われるほどであった。
にもかかわらず、小賢しい陰謀により将軍位を簒奪され、幼年のみぎりに引き続いて京を逐われ、諸国流浪の境涯を強いられているのだ。
一体なぜこのようなことになったのか。
「父が慌てすぎたのだ。すぐさま義就の一族を滅ぼそうと焦ったからだ。もはや揺るぎない地位にいたのだから、一歩一歩足元を固めながら進むべきであった。それはすなわち、器量に欠けていたということだ」
力強い墨跡に目を奪われながら、次郎は小声で独り言ちていた。
「私こそが、義材様を元の位へ復して差し上げるのだ。あるべきものをあるべき場所へ戻さなければ、理の通らない世を許してしまうことになる」
眼前の木阿弥は、本当に耳を失ったかのように、身じろぎ一つしなかった。口元の皺一つ動かさなかった。
今や義材とおのれの身の上は似ている。その事実に、次郎はひとり陶然としていた。
~(8)へ続く
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