【歴史小説】流れぬ彗星(6)「紀州の旗」
この小説について
この小説は、畠山次郎、という一人の若者の運命を描いています。
彼は時の最高権力者、武家管領の嫡男です。
しかし、目の前でその父親が割腹自殺する、という場面から、この小説は始まっています。
彼はその後、師匠の剣豪や、愛する女性、そして終生の宿敵である怪僧・赤沢宗益と巡り合い、絶望的な戦いを続けてゆきます。
敗れても、何度敗れても立ち上がり続けます。
全ては、野心家の魔人・細川政元により不当に貶められた主君・足利義材を救うため。
そして自分自身を含め、あるべきものをあるべき場所へ戻すためです。
次郎とともに、室町から戦国へと向かう、混迷の時代を駆け抜けていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹
本編(6)
次郎が奪還なった広城へ入り、守護家の旗を掲げると、一人またひとりと、旧知の被官たちが集まってきた。
紀伊守護代の遊佐勘解由。
その一族の九郎二郎。
奥郡小守護代の野辺六郎、などである。
「基家は、細川右京大夫から河内守護職を認められ、義豊、と改名したそうにございます」
野辺六郎は、若禿で前歯の反った男だった。
累代の家臣だが、重く用いられ始めたのは、ようやく父の代になってからである。
「偽りの公方に偽りの守護」
次郎は顔を背けながら吐き捨てた。
守護所の板間は質素な作りだが、蹴込床に違い棚を備えている。次郎はそこに置き畳も敷いていなかった。
畠山基家はむろん、今は亡き義就の後継である。将軍家の追討を受ける立場から一転、細川京兆家と密約を結んで父政長を挟撃し、今や一族の家督づらをしている。
改名したという「義」の一字は、言うまでもなく将軍家の偏諱であった。
「どこまで足利一門を貶めれば気が済むのだ、あの男は」
あの男、というのは義豊ではなく、細川政元のことを指している。
一時は父の同盟者だったため、京で育った次郎も、政元本人とは顔見知りであった。
花園の妙心寺にほど近い京兆邸で催された、千句連歌での姿をよく憶えている。
あの家らしい端正な細面の男だった。物静かで、全く声を荒らげない。その物腰からは、大度、というものが感じられる。そこは父の勝元譲りだった。
ただ、酒宴の席でしきりに立烏帽子を気にし、
(わたくしは、このような被り物はどうしても苦手で)
と繰り返していたのが、今となっては妙に気にかかる。
わずか八歳で家督を継いだため、その時もまだ二十代でしかなかった。にもかかわらず、良くも悪くも若さというものがなく、どこか悟りきったような顔つきで、相対していても目先が定まらないような瞳をしていた。
(畠山次郎殿は)
盃が進んでも、度を外すということがなかった。囁くような声で、微笑みを含んでいた。
(若くして、武勇抜群と聞き及ぶ。管領家の行く末も、安泰というものでございますな)
らしくもなく、月並みなことを言った。隣りにいた父の政長が、この若造を相手に卑屈なくらい恐縮していた。
それから政元は朱盃を置き、切れ長の目尻を細めてみせた。
(あとはその力の使い方を、ゆめお間違えにならぬことですな)
聡明なのは間違いないと感じられたが、まさかこれほどの狂気を内に秘めた人間だとは、その時は夢にも思わなかった。
「義豊は、今のうちに紀伊を掠め取ろうと、合戦の支度を進めているそうにございます」
野辺六郎は八の字眉をもっと引き下げ、心細げな声を発した。
「さもあろう。私であってもそうする。ならばこちらも、迎え撃つ支度を急ぐまでのことだ」
根来寺へ使いを送り、おのれの健在と旗揚げを報せると、祝意と合力を伝える返書がすぐに届けられた。
かつて義就との水争いから討伐を受け、寺領を蹂躙されて以来、根来寺はその一族を不倶戴天の敵と見なしている。
次郎は広城を鯨たち熊野衆に任せると、累代の被官を率いて北上し、紀ノ川北岸の山口城へ入った。
根来寺の近くへ本陣を移し、ともに敵の襲来に備えるためである。
果たして九月、義豊の重臣である誉田三河守が、馬廻り五十騎に野伏数百を率いて、河内との国境の紀伊見峠を打ち越えてきた。
高野道沿いの相賀宿を占拠し、東家の館に入ると、やはり近隣の金剛峯寺へ、加勢を求める使者を遣わしたという。
「まるで坊主の取り合いでございますな」
野辺六郎は、目玉を回しながら戯れた。これでいて、何かと目端の利く男である。
「紀伊の国柄というものだろう」
次郎は城の郭で直垂の腕を組み、紀ノ川の流れとまだらに紅葉した山並みを打ち眺めていた。
「たった一人の守護が平らげるには、あまりに広く、あまりに強固な者たちが根を下ろしている。ならばこちらも、それを嘆いてばかりはいられない。ただ利用してやるまでのことだ」
高野山、熊野三山、粉河寺。それぞれに武家との間柄を保ってはいるが、かつて義就の軍勢によって大なり小なり迷惑をこうむり、疑心を深めているのは間違いなかった。
「地下の者たちの尊崇の念を、より多く集めた者が最後には勝つのだ」
次郎は眦を決してつぶやいた。
葛城山の尾根が白く冠雪したころ、誉田三河守は高野山の大衆数百を引き連れ、東家から西進を開始した。
「ようやく動いたか。ずいぶん説得に手間取ったと見える」
直ちに遊佐勘解由を根来寺へ送って急を告げると、次郎は被官衆を率いて出陣した。
胴丸鎧の肩から杏葉を垂らし、三ツ鍬形を前立てとした筋兜をかぶっている。連銭葦毛の大馬にまたがって長弓を背負い、腰には梅花皮拵えの朱太刀を佩いていた。
小紋村濃の幟旗を掲げて先行する馬廻りに、千余りの根来衆が慌てて追いついてきた。
両軍が遭遇した場所は、奇しくも粉河寺の門前河原であった。
すぐさま矢戦が催され、頭上一面が矢玉で覆われて日を遮った。大衆たちは印地打ちよろしく、互いに河原の石を投げつけ合っている。
吹き返しに鏃が当たって跳ね返り、目庇の上を篦がかすめてゆく。
だが次郎は平然と弓を引き絞り、続けざまに杉成の矢を放った。
護田鳥尾の羽根が風を切り裂く音が鳴り、二騎の武者が鞍上からどうと射落とされた。すると誉田勢の一角が明らかに浮き足立った。
その機を見逃さず馬の腹を蹴り、鮫鞘から太刀を抜き放っていの一番に突進した。
「ハアッ」
白い息が浮かぶ。
蹄の一歩が躍るごとに、敵の姿がみるみる大きくなってゆく。
見開かれた相手の瞳には怯えの色が浮かび、羅刹と化したおのれの姿が映っている。
次郎は心を動かされることもなく刃を振りかざし、その首元を刺し貫いて手前に掻き切った。
血しぶきが上がって筒籠手をしとどに濡らす。それを繰り返して、次々に敵の騎馬を斬り倒していった。
大衆同士の激突は怒号渦巻き、巨大な大蛇のうねるが如くだった。
根来衆がじりじりと前進し、武者同士の打ち合いも分が悪いと見るや、高野山の者どもは見切りも早く逃げ出し始めた。
その背中を追いかけながら、根来衆は石礫を雨あられと投げつけた。
「あの姿を見よ」
次郎はことさらに大笑してみせた。
「あっけないものだ。偽りの守護勢、恐るるに足らず」
朱の雫を飛ばしながら太刀の切っ先を掲げ、音頭を取って鬨の声を響かせた。
粉河寺の目にもしかと焼きつける大勝であった。
~(7)へ続く
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