【歴史小説】流れぬ彗星(10)「河内屋形」
この小説について
この小説は、畠山次郎、という一人の若者の運命を描いています。
彼は時の最高権力者、武家管領の嫡男です。
しかし、目の前でその父親が割腹自殺する、という場面から、この小説は始まっています。
彼はその後、師匠の剣豪や、愛する女性、そして終生の宿敵である怪僧・赤沢宗益と巡り合い、絶望的な戦いを続けてゆきます。
敗れても、何度敗れても立ち上がり続けます。
全ては、野心家の魔人・細川政元により不当に貶められた主君・足利義材を救うため。
そして自分自身を含め、あるべきものをあるべき場所へ戻すためです。
次郎とともに、室町から戦国へと向かう、混迷の時代を駆け抜けていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹
本編(10)
明応六(一四九七)年、好機はふいに訪れた。
城下の稲田が黄金色の穂首を揃えるころ、遊佐九郎二郎が広の守護所まで書状を持参してきた。
「何者からだ」
「誉田三河守にございます」
「ほう」
次郎は声を出してみせたが、さほどの驚きはなかった。むしろ、こちらから餌を撒こうと思っていたくらいだ。
誉田三河守。
かつて畠山義豊の命により、高野山と結んで紀伊の国境を侵してきた敵将である。
「やはり、例の内訌の件でしょうか」
「ふむ」
鼻を鳴らしながら封を切り、楮紙の折り目を開いた。
つい先だってのこと、河内の橘島という場所の用水を巡って、在所の地下人同士が相論を起こし、ついには合戦に及んだ。
それぞれの知行主は、ともに河内守護代家の遊佐河内守と誉田三河守であった。
累代の筆頭家臣である遊佐氏に対し、誉田氏はようやく先代義就のころに重用されて、大身となった経緯がある。
元より内心反目し合っていたが、今度の争いをきっかけに敵意が噴出した。
遊佐は数年前の三河守による紀伊侵攻の失敗を責め立て、誉田も河内守の甥であった遊佐弥六の独断専行をさんざんに非難した。
主人の義豊は、それを満足に裁定することができず、ただ遊佐寄りの立場を取った。すっかり面目をなくした誉田は憤激したものの、家中での孤立を免れ得なかった。
「昨日までの主を、売り渡そうというのだろう」
筆先に目を落とすと、果たして内応の打診であった。
紀伊で対戦した時の次郎の大将ぶりを褒めそやし、義豊を器量に乏しい偽りの家督となじって、家門の統一と再興のため、旧怨を捨てて帰順したいと申し述べていた。
「許されるおつもりですか」
九郎二郎は苦りきった顔で、口をへの字に結んでいた。
「例え敵味方に分かれていても、遊佐の一族はやはり遊佐か」
同姓の者どもを庇いたい気持ちもあるのだろう、と微笑まれた。
「義豊の力の半分を削ぐ機会を、みすみす逃すわけにはいかん。しかし、降人には降人の処世というものがあろう。疑いの目を晴らせるか否かは、誉田自身の働きにかかっている」
九月、次郎は紀伊衆を率いて山口城を出陣した。
やはり風吹峠を越えて和泉へ打って出ると、山沿いに河内を目指す道を離れ、堺の方へまっすぐ北上していった。
面食らった細川の両守護が、意向を尋ねるために使者を送ってくると、
「これより高屋城を攻めるため、ただちに与力の軍勢を送られたし」
と申し伝えて帰した。
大鳥庄にしばらく滞陣して様子を窺っていると、両守護は申し訳程度にそれぞれ百ほどの雑兵を送ってきた。
「てんで合力する気もありませぬな」
腹当も揃わない、老弱の足軽たちを閲兵しながら、九郎二郎はまた険しい顔つきになった。
「元より、細川一門の力を借りるつもりなどない。背後で妙な動きをせぬよう、脅しつけてやればそれでよいのだ」
河内守護所の高屋城は、和泉との国境に点在する古墳群のうち、一つの丘陵を利用して築かれた平山城である。
町場の北に櫓が立ち並び、二の丸、水堀に囲まれた本丸郭を備えている。
だが周囲一面はだだっ広い平原で、視界を遮る難所も、敵を防ぎ止める要害も見当たらない。
城から迎撃に出てきた敵勢を、紀伊衆は石川の河原で一蹴した。本陣の義豊はたちまち逃げ帰って籠城し、領国内に散っている重臣たちの後ろ巻きを待った。
誉田城は高屋城のすぐ背後に立ち、さらに巨大な墳丘上に築かれている。しかしそこに詰めている誉田三河守は、一連の事態を傍観したまま動こうとはしなかった。
「ひとまずは良い働きだ」
次郎は城下の町場を焼き払い、二の丸の台地を隙間なく取り囲んだ。馬出の櫓から矢玉が降り注いできたが、応戦して敵兵を次々に射落とした。
「若江城の遊佐河内守が、後詰めに向かっているとのこと」
九郎二郎が注進に及んできた。
「さもあろう」
「京の上総介も、南下を始めた模様です」
畠山上総介義英は、義豊の嫡男で、河内に下国している父の代理として在京していた。
早々と元服を済ませてはいるものの、まだ十歳に過ぎない。だがその背後には、細川政元の影が色濃く差している。
「上総介の軍勢がここへ到着するまでに、事を決するのだ」
真北へ四里ばかりの若江城から、先に遊佐勢が姿を現した。紀伊方も一旦城の囲みを解き、これを迎え撃つため大乗川に沿って陣立てを整えた。
すると誉田城から五十騎ほどの武者、千ばかりの足軽が打って出てきた。まっしぐらに後詰めの方へ向かったが、相手もまだその意図を測りかねている様子だった。
見ているうちに、誉田勢はためらいもなくその横腹へ食らいつき、狂気のように絶叫しながら打ちかかった。
得物と甲冑がぶつかり合い、血煙の花が中空に狂い咲く。野太い喚声と悲鳴が混ざり合って朔風を引き破る。
「三河守の覚悟、しかとこの目に焼きつけたぞ」
次郎はうなずくと、頭上から八卦の軍配を振り下ろした。法螺貝が吹き鳴らされ、紀伊衆が一斉に突撃を開始した。
側面と正面から同時に攻め立てられた遊佐勢は、たちまち総崩れとなり、背後の大和川へ向かって敗走していった。
誉田勢は恨み骨髄とばかりにそれを追撃し、虫を潰すように一人一人打ち殺してゆく。
紀伊衆と誉田勢は、幟旗を並べて高屋城を包囲した。しばらくの間は持ちこたえていた義豊も、初冬十月の深更に本丸を自焼し、京を指しながら逃亡していった。
闇の深い冬空に、火影を映した黒煙がどこまでも広がっていく。榑木の弾ける音とともに、火の粉が手づかみされたようにまとまって飛び散る。
「我が子の来援さえ、待ちきれなかったとは」
頬に向こう傷を作った九郎二郎が、まだ脂っぽく光る目で吐き捨てた。
「いや、あやつにしてはどうして、賢明な判断であろう」
次郎はかぶりを振ってみせた。
もし到着した義英勢が打ち破られれば、その場で一家もろとも滅亡は免れない。むしろそれまでに惣掛かりを受け、自身が城を枕に討ち死にしてしまうこともあり得る。そうなってしまえば、義英一人では到底勝ち目はないだろう。
そこまで考え抜いての逃走なら、義豊親子にとって決して悪手ではあるまい。
夜が明けると、本丸はすっかり焼け跡となり、炭の柱から白い煙を立てていた。
次郎は燃え残った二の丸館へ入り、ずかずかと座敷へ上がり込むと、床框の前の上段にどっかりと腰を下ろした。
その面前に遊佐勘解由、九郎二郎、紀伊の被官衆、根来衆と粉河寺の坊官、誉田三河守らが居並び、打ち揃って平伏した。
「皆の者、よくぞ身命を惜しまず、一心不乱に働いてくれた。ただ今この時より、河内屋形はこの尾張守尚順である」
一同承服の唸り声が、太鼓梁の下を低くとよもした。
ついに父祖の領国である河内を、我が手に取り戻した。
しかし、なぜであろう。不思議なほど感慨は湧かなかった。
いや、そうだ。こんな程度のことは、おのれにとって何の成就でもないからだ。
流浪の将軍義材を京に迎え、細川政元の首をその御前へ掲げるまでは、この心は決して休まる時はない。
そう考えると、なぜだか笑いがこみ上げてきた。懐の内には、父政長が愛用していた藤四郎吉光の短刀が、脈打つように納まっていた。
~(11)へ続く