【歴史小説】花、散りなばと 2/6【加筆修正・リマスター版】
この小説について
この度、kindleで初の作品集『室町・戦国三都小説集』を発売させていただきました!
それに当たり、一番古い作品だった「花、散りなばと」を一部加筆修正いたしました。
(Kindle、ペーパーバックともに、リマスターの反映は現在発売中の第2版からになっています)
こちらの「花、散りなばと」は、現在連載中の歴史小説「天昇る火柱」の前日譚に当たっています。
実に三十年も昔の話になります。
トウの立った古市胤栄、澄胤の兄弟が、まだかわいらしい童の姿で登場しています。
そして二人の父である、中世大和の小覇王・古市胤仙も。
「天昇る火柱」とあわせて、ぜひ当時の世界へタイムスリップしてみてください!
どうぞよろしくお願いいたします!
本編(2)
二
丈高く生い茂った葦の間を、平礼烏帽子に半首をつけただけの頭が、いくつも泳ぎ抜けていく。
手にした薙刀や長巻の穂先が、夏の煮えるような陽射しを受けて、毒々しく閃いている。
古市の中間若党からなる徒歩の軍勢である。岩井川の浅瀬を踏み渡り、対岸の葦原を音もなく突き進んでゆく。
経覚は、得美須の丘からそれを見下ろしていた。
傍らに立つ胤仙は、大袖付きの胴丸鎧、篠籠手と佩楯を身にまとい、飛龍の前立のついた筋兜をかぶっている。興福寺の衆徒らしくもない武張った姿だった。
「あの丘の裏側にいる筒井勢は、我が方の動きに気がついておりませぬ」
刀傷のある太い指で、白毫寺の小山を示してみせる。そのさらに向こうには、緑の色濃い春日野の森が広がっていた。
「奇襲か」
「筒井は、強うございます。ましてや今は箸尾、十市、楢原といった連中まで味方につけている。全て併せれば、数千の兵を動かすこともできましょう。我らはその何分の一でしかない」
「だからこそ、わしの名前と顔が必要なのであろう」
僧綱領の内へ首を縮めつつ、横目を投げてみせた。
「名としては、充分でございます。ただ僭越ながら、実の力としてはまだまだ足りない」
「それで馬借どもをそそのかし、奈良を襲わせているのか」
我ながら、険を含んだ声音になっていると思った。
「感心せんな。無体極まりない野伏、足軽の類いを使って、南都へ討ち入らせるとは。衆徒の一人として、心が痛まぬのか」
「畠山殿のご意向なれば、軌を一にすることこそ肝要かと」
三管領家の一つ畠山氏は、武家の覇権を巡り、同輩の細川氏と激しい勢力争いを繰り広げていた。その一環として、京の膝元である山城国で馬借を煽り立て、徳政一揆を起こさせるという奸策まで弄していた。
胤仙は、この大和で同じことをしているだけだ、とうそぶいているのだ。
馬借は、大和山城はもちろん、河内、近江まで頻々と行き来している。街道の要地を抑える古市は、彼らの根城の一つであり、胤仙はその大親分とでも呼ぶべき男なのだ。
「播州、決して間違えるなよ。そなたたちの力も、寺門の衆徒としての立場があればこそじゃ。自ら拠って立つ足場を掘り返し、気がつけば墓穴になっていた、などということだけは、くれぐれもないようにいたせよ」
経覚の言葉にも、胤仙はうるさそうにうなずくだけだった。両の瞳は、ずっと川と丘を越えた先へ注がれたままである。
「ご覧じあれ。煙が立ちましたぞ」
籠手の前腕を伸ばし、弾む声とともに指さしてみせた。
「あそこの村に、筒井方の甲百名ばかりが集まっている。宿や食事も供されているとのこと。これもやはり、馬借どもからの報せにございます」
「火を掛けたのか」
「連中に手を貸すのであれば、地下の者であろうと敵。それに筒井とて、年来当方に対して同じことを繰り返しております」
返事も待たずに踵を返し、早くも高台から降りてゆく小口の方へ急いでいた。
「拙者と馬廻り衆で斬り込みます。ご門跡はあとからお輿にて、ごゆるりと」
「播州、聞けいっ」
「あと数日もすれば盂蘭盆です。我らが郷の風流は、奈良のそれにもおさおさ劣らぬどころか、はるかに勝るものと考えておりますぞ」
左腰に吊られた銀銅蛭巻拵の太刀が揺れ、八間草摺に触れて骨のような音を立てた。
その宵、経覚は迎福寺へ帰ると、人を遠ざけて塞ぎ込み、湯漬けも食わずに日記をものしていた。
蒸し暑いので襖障子を開け放っていたところ、惣領館へ遣わしていた畑経胤が構わず上がってきた。何やら函形の木棚を手に提げている。
「春藤丸様からにございます」
輪文様の緞子を取りのけてみると、丸くたわめた竹ひごの骨に斐紙を張った小さな灯炉が、二段にわたって六つ並んでいた。その中には既に火が入っており、夢の中のようにぼんやりした光が広がって、縁側がにわかに明るくなった。
「盂蘭盆会の先触れの品、ということでございました」
「小憎いばかりのことをするの」
言いながらも、経覚は頬が緩んでくるのを止められなかった。
自分が胤仙とともに合戦へ出かけ、気が荒んでいるのを慮ってのことであろうか。そうであれば幼さに似ず、人の心の機微を悟った、末恐ろしい風趣というものである。
七月十五日の夕べから、盂蘭盆会の風流が始まった。
奈良や田舎からも見物、踊り手が引きも切らず押し寄せているというので、経覚もその様子を見に惣社の拝殿前まで繰り出してみた。
郷の道々に人が溢れ、誰もが異形の装いに身を包んでいた。延年の僧侶や稚児、腹巻鎧の武者、鬼の面をつけた棒持ち、首の長い鷺舞。そこまで凝っておらずとも、誰もが飾り藺笠に様々な作り物を載せている。
鶴亀、花蝶、松竹梅。
鯉に鯰、猫に兎、海老に鯛。
法螺貝、百足と梟、鯱と鯨。
辻子では放下により、筑子、八ツ撥の乱拍子が打ち鳴らされている。それに合わせて、汗を飛ばす人の肌が互いに押し合い、大蛇のごとくうねりながら踊っている。
「立錐の余地もないとは、まさにこのことであろう」
「いかさま」
畑経胤は、血走った目でしきりに周囲を見回していた。
「確かに今日と限ってみれば、奈良さえも超える賑わいだ」
早々に疲れてしまい、逃げるように迎福寺へ帰った。ところが村々を回っている風流踊りの一団が、すぐに境内を訪れてきた。
庭先まで出てゆくと、胤仙の隠居した父がわざわざ送ってきた者たちで、「天岩戸」の猿楽をやるという。天照大神は稚児だが、手力男命と天鈿女命の役は寺の僧だ。
「それはよろしき趣向」
円座を敷いて腰を据えていると、囃子方の中に春藤丸が交じっているのに気がついた。
周囲の大人と同じ、直垂に大口袴の正装だったので、すっかり見違えたのだ。例の龍笛を横ざまに構え、耳に立ち過ぎない、それでいて聞く者にはわかる技巧を散りばめている。
思わず目を見張り、それからずっと見つめずにはいられなかった。猿楽の舞もそっちのけである。惣領の嫡子という風を微塵も吹かすことなく、全体の内に溶け込み、なおかつ明らかに周囲を導いている。統治者の天分というものであろう。
翌朝、惣領館から畑経胤が帰ってきて、
「昨日は人出が多過ぎ、喧嘩騒擾も起こったので、本日から北口と南口の木戸を閉ざす」
という禁制を伝えてきた。
「あの有様では、致し方あるまいな」
瓜の粕漬を食みながら、経覚はうなずいた。
宵の口には、胤仙から招きを受けて地蔵堂の北頬まで出かけた。
昨日ほどの数ではないものの、やはり異形を装った人々が街筋を練り歩き、摺鉦や鞨鼓の響きに合わせて踊り狂っていた。
高縁桟敷の上段まで導かれると、既に胤仙が座の一角を占めていた。鈴懸に最多角念珠を持ち、梵天のついた結袈裟を掛けている。山伏の格好ではないか。どうやらこの男なりに扮装を凝らしているらしい。
腰を下ろすと、早速折詰が振る舞われた。小坊主の手で、蝶花形をつけた銅提子から酒が注がれる。欄干の向こうに、総社前の人波が見下ろせた。話に聞く渦潮のような動きだ。喧騒は耳元で羽虫が飛び交っているかのようにやかましい。
風のない夕暮れ時で、人いきれが吹き流されず、夏の夜の底に狂おしく溜まったままであった。
「いかがにございます、我らが郷の風流は」
胤仙は、先に諸白で唇を湿らせていた。口周りの虎髭にぴんぴんと露がまとわりついている。
「大変結構で、耳目を驚かすものだ。そなたの言った通り、南都に勝るとも劣るまい」
「左様でありましょう」
目尻が赤らんでいるが、元来酒に弱い方ではない。それだけ今日という日が慶ばしいのであろう。
「何年、いや何代かかるかわからぬが、拙者はこの古市を、奈良に代わるものとしたいと思っております」
「なに」
口をつけかけた朱塗の盃を、思わず肘の高さまで下げた。
「何とも胡乱な話じゃ。南都には七百年の積み重ねがある。末世とは比べられぬ栄耀の歴史がある。興福寺とて同じだけの星霜を経てきた。それを、そなたたちの力で覆そうと言うのか」
「そういう奈良とて、平安京に取って代わられた。坂東には、鎌倉という新しい都もあり申す」
「この古市を、次の鎌倉にしたいと言うのか」
それにしたとて、妄言の類いではないのか。
奈良と古市の間柄から言えば、洛中にとっての白河、北山のようなものだろうか。だがいずれにせよ、中央から外れた周辺に新たな一極を打ち立てる、という企ては、思うに容易く、行うとなれば歴史を動かすほどの所業になろう。
胤仙とて、それがわからぬはずはない。わかっていて口走ってしまったのは、やはりこの盂蘭盆会の風流と酒の酔いに、常ならず気を大きくさせられているためか。
経覚の醒めた目つきに、ぬらぬらと脂っぽい眼光をぶつけ返してきた。
「お気づきではありませんか、門跡様。あなたもとっくに、その一部になっておられる。当地へ初めて居を定めた大乗院門主、興福寺別当として、未来の伝説となられるのです」
「そなたは、ずいぶんとおのれを高く買っているようだの。しかし、筒井の一人も討ち果たせぬようでは、南都七百年の大木を切り倒すことなど、夢の中でも叶えられまい」
「おのれを高く買っているのは、門跡様とて同じことかと。そうでなければ、将軍家に追放されながらも、衆徒を率いて禅定院へ乗り込んだり、菊薗山城を自焼されながらも、古市へ舞い戻って筒井と睨み合ったりはなされますまい」
フン、と経覚は鼻を鳴らした。眼下の拝殿前では、二人立ての獅子舞が終わっていた。
引き続いて、簾をなびかせる風流傘をくるくると回しながら、六つの丸いものが広場へ飛び出してきた。薄紙を張った内側から、括り袖と脛巾の手足だけが現れている。大きさからすればいずれも稚児である。それがぴったりと息を揃え、愛らしく懸命に長柄の傘を操っているのだ。
見物たちもしきりに手を打ち鳴らし、即興で合いの手を入れてゆく。
「これは」
経覚の頭には、ぴんと来るものがあった。先日、春藤丸が迎福寺へ届けてくれた六つの灯炉。真夏の雪丸ではないか。
拍子木と囃子がぴたりと止むと、稚児たちはひと時に傘を放り捨てた。列を作ってその場で膝をつき、一人だけがよちよちと、覚束ない足取りで前へ進み出ていく。見物からは笑い声も起こっていた。
だが次の刹那、張り子は内側からずたずたに切り裂かれ、白い羽毛や綿毛が夥しく舞い上がった。あっ、と誰もが息を呑んだ。作り物の雪が降りしきる中で、直垂烏帽子姿の春藤丸がうっすらと目を閉じ、抜き身の打刀を凛々しく構えていた。
ちぎれんばかりの女の嬌声、地鳴りのような男の歓声が入り混じり、耳に痛いほど響き渡った。
「あの風流童子に、そなたの誇大な夢を託そうというのか」
責めるように胤仙の方を見やったが、父は紅潮した横顔で、我が子の姿を食い入るように見下ろすばかりだった。
ふいに生ぬるい風が吹き抜け、高縁の方まで巻き上げられてきた綿のかけらが、朱盃の中で震える水面へ舞い落ちてきた。
~(3)へ続く
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