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【歴史小説】天昇る火柱(1)「仏敵」


この小説について

 この小説の主人公は、赤沢あかざわ新兵衛しんべえ長経ながつねという男です。
 彼は、信州の小城に庶子として生まれ、田舎武士として平凡な一生を送るはずでした。
 しかし彼には、二十歳近くも年の離れた兄がいました。
 兄は早くに出家して家督を放り出すと、諸国を放浪し、唐船からふねに乗って明国にまで渡ってゆきました。
 そして細川京兆家ほそかわけいちょうけ内衆うちしゅとなり、やがて畿内のほとんどを征服することになります。
 神も仏も恐れぬ破壊者、赤沢沢蔵軒たくぞうけん宗益そうえき
 その前に立ちふさがるのは、魔王・細川政元まさもとへの復讐に全てを捧げる驍将ぎょうしょう畠山はたけやま尚慶ひさよし
 弟にして養子の新兵衛とともに、赤沢宗益の運命を追いかけていただければ幸いです。
 どうぞよろしくお願いいたします。

本編(1)

「お兄、お兄」
「なんじゃ」
「モロコシっつうのは、どんなとこじゃった」
「ふむ、そうよのう。別に行ってみれば、何ということもないところじゃったな」
「本気で言っとるのか。ホラ吹いとるんじゃないか」
「ハッハ。この世界はな、唐土で終わりではないのだぞ。お前は、三保太監さんぼうたいかん鄭和の大航海の話は知っているかな」
「テイワ」
明国みんこくの高官よ。我らの国で言えば、鹿苑院殿ろくおんいんでん足利義満あしかがよしみつ)のころの人だ。太宗たいそう永楽帝えいらくていに命じられ、大船七十隻、乗員三万人を率いて、都合七回にわたり、南洋への航海へ乗り出した。
 満剌加まらっかの海峡を抜け、錫蘭島せいろんとうに砦を築き、回教の聖地天方めっか国まで至った。そこからさらに海を渡り、麻林まりんの地で本物の麒麟を捕らえ、ついに唐土へ持ち帰ったという」
「ほえー」
「しかし、さらに一等奇妙な話があるぞ。そんな英雄の鄭和には、なんと二つとも金玉がなかったのだ!」
 二十も年の離れた兄と弟は、ずいぶん高さに差のある顔同士を見合わせ、愉快な笑い声を揃えた。
「すっげえなあ!」
「男の一生は、すなわち旅よ。ひたぶるに奉公を尽くせば、いずれそなたにも渡海の機会が訪れるやもしれぬな」
「うん。オレもいつか、海の向こうへ行ってくるよ、朝経ともつね兄い」

 ハッと我に返り、赤沢新兵衛は浅い眠りから目覚めた。
 鼻を啜り、目の周りを拭う。そこは確かに濡れており、海のように塩辛かった。
 ほんの十数年前に過ぎないのに、何と甘い夢のように思い出されることか。
 頭を起こすと、鎧直垂よろいひたたれが汗でべっとりと胸元に貼りついていた。
 張りつめた連日の疲れで、つい寝入ってしまっていたらしい。誰も見ていなかったとしても、充分に失態だ。
 腿の佩楯はいだてを引きずりつつ、横倒しの板から立ち上がった。
 陣幕の間から外へ出て、近江おうみの晴天を仰いだ。大比叡だいひえい四明岳しめいがたけの二つの峰のあわいから、黒い煙が幾筋も立ち昇っていく。
 麓の坂本さかもとから見上げていても、山上でこだまする阿鼻叫喚の叫びが、頭蓋の内まで響いてくるかのようだ。
 日吉社ひえしゃの参道沿いに立ち並ぶ坊舎の戸口には、神人じにんの男女がひざまずき、涙を流しながら合掌している。
仏罰必定ぶつばつひつじょう仏敵退散ぶってきたいさん南無阿弥陀仏なむあみだぶつ、南無阿弥陀仏」
 そんな風に、口の中でぶつぶつ唱え続けている。
 赤沢新兵衛は、苔生した山王鳥居さんのうとりいぬきの下に立ち尽くしていた。
 今山上にいるのは、攻め手の大将である兄、今は養父となった赤沢宗益だった。
 洛中に近い八瀬やせの口から一息に駆け上がり、西塔と東塔のあらゆる伽藍堂宇に火をかけ、立てこもる閉籠衆へいろうしゅうを燻し出しているはずだ。
 愛用の柳葉刀りゅうようとうを両手に握り、あるいは背に負った金砕棒かなさいぼうを振るって、延暦寺えんりゃくじの僧たちを片端から肉の塊にしているのに違いない。
 新兵衛の役割は、搦手からめてを率いて山科やましなから近江へ抜け、湖西の坂本を制圧して、山上からの逃げ道をふさぐことだった。
 悪僧の一団をわけもなく蹴散らすと、町場の各所へ手勢を配し、騒擾の起こらぬよう検断下に置いた。その甲斐もあってか、坂本の一帯は死んだように静まり返っている。
 新兵衛は息を詰めたまま身じろぎもせず、やがて青空と溶け合っていく煙のたなびきを睨み据えていた。
 背後から、どやどやと騒がしい人声が近づいてくる。
 振り返ると、いくつもの酒樽を担いだ足軽たちが、笑い合いながら参道の真ん中を歩いていた。
 滑稽な足取りで一行を先導しているのは、赤い腹当を身につけた年嵩の小者こものである。神猿まさるよろしく、黒目を真ん中に寄せて胡麻塩髭の顎をポリポリ掻いてみせた。
猿丸さるまるか」
「山の上まで酒を運んで労をねぎらえ、とのご命令が、御屋形様おやかたさまより下されたそうで」
「左様か。ご苦労」
 新兵衛は、少しだけ口元を緩めてうなずいた。
「えらいもんですな。根本中堂こんぽんちゅうどう神輿みこし、大講堂、鐘楼、他のお堂もみんな残らず焼けてるって話です。ここまでやっちまうとは」
 猿丸は下生えに薙刀の石突いしづきを刺し、その柄に寄りかかった。
「まさしく前代未聞だ」
 かつて六代将軍足利義教あしかがよしのりが、比叡山と対立を深め、山門使節さんもんしせつを京で騙し討ちにした。それに抗議して、閉籠衆が自ら根本中堂を焼いたことはある。
 しかし武家が不入の山上へ踏み込み、火を放ちながら僧を殺して回ったなど、過去にあったはずもない。
「宗益様は恐ろしいお方だ。さすがに鬼の赤備あかぞなえですナ」
「恐ろしいのは、それを命じた右京兆うけいちょう様の方であろう」
「ためらいもなくやっちまう方も同じでさあ。実際お二人は、ウマが合うんでしょう」
 猿丸は、細川政元と対面したことなどない。実際に顔を合わせたら何と言うであろう、とぼんやり思われた。

 明応めいおう八(一四九九)年七月である。
 この年は、畿内を揺るがす一大変事で幕を開けた。
 河内屋形かわちやかたを称し、尚順ひさのぶから名を改めた畠山尚慶が、同族の畠山義豊よしとよを討ち取ったのである。
 河内十七箇所かわちじゅうななかしょの北端、淀川沿いの伴抜庄ともぬきのしょうで両畠山勢は激突し、尚慶が完勝して義豊の首級を挙げた。
 嫡男の義英よしひでは何とか逃げおおせたものの、もはや河内と南山城みなみやましろの一帯に尚慶を止められる者はいなかった。
 極みに達したその勢いを見て、にわかに動き出した者がいる。前将軍足利義材よしき、改名して義尹よしただである。
 義尹は、都合六年もの間、逃亡先の越中えっちゅうに留まっていた。しかし、神保じんぼうら畠山家臣が尚慶の元へ参陣を命じられると、義尹自身は朝倉あさくら氏の合力を促すべく、わずかな近臣とともに越前へ移った。
 朝倉は、守護代の身分から国主へ成り上がった俊英の家柄で、居城の一乗谷いちじょうだにに一万の精兵を養う強盛ぶりであった。
 今度こそはいよいよ上洛の師を起こす、という御教書みぎょうしょに呼応して、比叡山延暦寺が反細川方の旗を掲げた。
 政元はすぐさま手勢を送り込み、義尹への内応を示す夥しい書状を押収した。その上で内衆の波々伯部、赤沢の軍勢に攻め上らせ、一山残らず灰燼に帰さしめようとしている。
「まさしく大魔縁だいまえんの所業だ」
 新兵衛は虚ろな眼差しでつぶやいた。
 翌朝には、坂本の市に立つ冠木門かぶきもんの貫から、山門の首魁十数名の生首がぶら下げられていた。
 どれも腐った果実のようで、滴った血溜まりが早くも黒ずんでいる。小具足こぐそく姿の新兵衛は、腕を組みながらぼんやりとそれを見つめていた。
 やがて山上へ続く坂道から、胴丸どうまる、陣笠、長柄ながえ脛巾はばきに至るまで、赤土色に揃えた一団がしずしずと降りてきた。誰一人口を開かず、歯も覗かせず、整然と足並みを揃えている。
 幟旗のぼりばたには、松皮菱まつかわびしに十文字が染め抜かれている。信州小笠原おがさわら氏に由来する家紋だ。
 その先頭を行くのは、河原毛かわらげ蒙古馬もうこうまにまたがった大男である。あまりにも体が大きいため、丹塗にぬりの仁王像を押し立てているかのようだ。
 しころを垂らした丸頭巾をかぶり、七間草摺しちけんくさずり杏葉ぎょうようのついた腹巻鎧に身を固めている。両の腰には、異様に幅広く素朴な拵えの刀を佩いていた。
 顔には木肌に似た皺が刻み込まれ、白い虎髭と鷹のように切れ上がった目尻をしている。
「赤鬼が降りてきよったぞ」
「仏敵退散。南無阿弥陀仏」
 周囲にいた者たちは、口々に毒づきながらも、たちまち逃げ散って道を空けた。
 新兵衛は、よろよろと覚束ない足取りで歩み寄っていった。
 遠くからこちらの姿を見て取ると、馬上の偉丈夫は相好を崩し、片手を振ってみせながら、赤子のように邪気のない笑みを浮かべた。
「長経、見事な仕事ぶりであったぞ。山の上には結局、猫の子一匹登ってこなんだ」
 いつもの明るいしゃがれ声であった。
 新兵衛はホッ、と安堵の息をつき、思わず口元を綻ばせた。

                           ~(2)へ続く

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大純はる
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