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【歴史小説】流れぬ彗星(8)「包囲網」


この小説について

 この小説は、畠山次郎はたけやまじろう、という一人の若者の運命を描いています。
 彼は時の最高権力者、武家管領かんれいの嫡男です。
 しかし、目の前でその父親が割腹自殺する、という場面から、この小説は始まっています。
 彼はその後、師匠の剣豪や、愛する女性、そして終生の宿敵である怪僧・赤沢宗益あかざわそうえきと巡り合い、絶望的な戦いを続けてゆきます。
 敗れても、何度敗れても立ち上がり続けます。
 全ては、野心家の魔人・細川政元ほそかわまさもとにより不当に貶められた主君・足利義材あしかがよしきを救うため。
 そして自分自身を含め、あるべきものをあるべき場所へ戻すためです。
 次郎とともに、室町から戦国へと向かう、混迷の時代を駆け抜けていただければ幸いです。
 どうぞよろしくお願いいたします。

世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹よしただ、畠山尚慶ひさよしの主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹はやしどうさんじゅ

本編(8)

 越中からの御教書みぎょうしょは、紀伊の大寺社や在地の武士にも下されていた。
 すると根来寺はもちろん、粉河寺、田辺別当の目良めら氏、奥郡最大の奉公衆ほうこうしゅう湯河ゆかわ氏までもが、守護への帰順を申し入れてきた。
「さすがは将軍家のご威光。紀伊一国の静謐も、そう遠いことではございますまい」
 遊佐九郎二郎が、白い歯を見せながら屈託なく笑ってみせた。
 まだ若いが、なかなかの器用者で胆力もあり、次郎は自らの馬廻りに加えていた。
「甘く見てはいかん。そのような慢心こそが、我が父を死地へ追いやったのだぞ」
 慎重にたしなめつつ、絵図を見下ろす次郎も笑みを含んでいた。
 ただし河内の畠山義豊も、未だ紀伊をあきらめてはいなかった。
 晩春三月、義豊は居所の高屋城から出陣してきた。
 そうして大和国の雄族、越智おち氏の大軍と合流するため、自らの所領である国境の宇智郡うちぐんへ入った。
 さらには、将軍義材に服さなかった富田川とんだがわの奉公衆山本やまもと氏と語らい、南北から挟撃しようと企ててきた。
 凶報はなおも続く。牟婁郡むろぐん衣笠城きぬがさじょうに拠る紀伊の愛洲氏もまた、義豊方に味方したとのことであった。
 ぐるりと次郎を取り囲む、紀伊半島の包囲網である。
「これはまあ、ずいぶんと困ったことになりましたなあ」
 心底から弱ったという様子で、野辺六郎はへこんだ顎を撫で回した。
「静謐どころか、国中が兵を挙げんばかりの勢いです」
 遊佐九郎二郎も、閉口という面持ちで腕を組んでいる。
「愛洲の一族とて、やはり一枚岩ではないということか」
 当てつけのように次郎が言うと、鯨は珍しく困り顔をした。
 薄手の布肩衣ぬのかたぎぬ一枚から、豊かな胸乳むなぢがこぼれんばかりになっている。あぐらをかき、波千鳥なみちどり紋の打掛を腰巻きにしていた。
 広城の板間だった。ここがすっかり次郎たちの本陣のようになっている。とこの前には移香斎の船甲冑と、白鞘の太刀が飾られていた。
「志摩のあたしらと、伊勢の者、紀伊の者たちは、今となっちゃ別物なんだ。たった一人の惣領が、全部をまとめ上げてるってわけじゃない」
「まあ、それは我が家系も人に言えた義理ではない」
 次郎も珍しくれてみせた。
「怒っているのか」
「怒ってなどいない。血のつながりなど、どんどん薄くなってゆくものだ。心と心を結び直すことがなければな」
「とは言え、四方全て敵ばかりというわけでもございません。湯河殿と既に話はつけております。奥郡のことは、どうぞ拙者にお任せくだされ」
 野辺がくるくると目玉を回しながら、いかにも気安いことのように請け負ってみせた。
「では、そちらは一任する。ここで我らが、みすみす潰されるわけにはいかない。必ず勝って、未来へ生き残るぞ」
 四人はうなずき合い、同時に立ち上がった。
 遣戸を開け放った館の内を、初夏の涼風が吹き抜けていった。すると付書院つけしょいんに重ねておいたままの反故紙ほごがみの束が、白い鳥の羽ばたくようにばあっと舞い上がった。

赤→次郎方、黄→義豊方、緑→中立

 越智氏の軍勢と合流した義豊はさらに南下し、国境の隅田すだ党を一揉みに揉み潰した。
 北の古市ふるいち氏、筒井つつい氏と大和を三分する越智氏の人数は、桁外れに多い。万を数えるともいう。
「やはり、大和の衆徒国民しゅとこくみんの力は侮れん」
 次郎は山口城へ急行し、城代の遊佐勘解由に迎えられると、すぐさま陣立てを整えて東家の館に入った。
 ただ、今度は高野山も義豊へ与しなかった。対する根来寺と粉河寺は大衆を出して次郎の陣を固めたため、双方睨み合いの形となった。
 すると南方でも山本氏、紀伊愛洲氏が動き出した。ともに田辺へ押し寄せて湊に火をかけ、丘に砦を構え立てこもっているという。
 野辺六郎は、すぐさま三鍋みなべ高田土居たかだどいへ入った。
 田辺を追われてきた目良氏の手勢を搔き集め、周辺の武士を糾合すると、六月に反攻に出て愛洲氏の衣笠城へ攻め寄せた。そしてわずか三日の合戦で陥落させた。
「野辺は首尾よくやっている」
 霜山しもやまの高台に設けた物見から、次郎は隅田の敵陣を見下ろしていた。
 夥しい数の竈や幔幕、幟などが山腹に群れ集まっている。その紋は柏葉、竜胆りんどう揚羽あげはなど様々である。
 傍らには、腹当姿の遊佐九郎二郎が控えていた。
「あれだけの兵を率いながら、岩倉城いわくらじょうに引きこもり、思い切りよく勝負を挑むこともできぬ。やはり義就の将器は、息子には伝わらなかったと見える」
「刈入れ前の時季ゆえ、これから糧食も尽きてまいりましょう」
「田辺の戦況が好転するのを待っているのだろうが、いずれ大和衆にせっつかれ、打って出ざるを得なくなる。その時が我らにとっての好機だ」
 果たして七月、田辺での敗報に押し出されるようにして、義豊勢は陣を引き払って動き始めた。だがここに至ってもまだ、大和へ撤退するとも、西進して決戦するともつかない様子であった。
「ぐずぐずしている間に、異国の土が貴様らの墓場になるのだ」
 次郎はすぐさま出陣を命じ、根来衆と粉河衆を前面に押し出して突進した。
 ながの滞陣を続けていた大和勢の意気は低く、必死に迎え撃とうとするも、何とか紀伊方を防ぎ止めるので精一杯となった。
 次郎は後方から、じっと機会を窺っていた。
 喚声渦巻く大衆と国民の激突が続き、疲労した大和勢の中央にわずかな窪みが生じた。その刹那、傍らの九郎二郎に目配せすると、法螺貝の響きとともに馬の腹を蹴った。
 次郎を先頭にした馬廻りが、戦場の真ん中を切り裂きながら、まっすぐに突き抜けてゆく。
 大和勢は左右に分断され、それぞれ根来衆、粉河衆に包囲される形成となった。
「畠山尾張守ここにあり。族兄の弾正少弼だんじょうしょうひつ(義豊)はいずこだ。家門の私事で天下へかけた迷惑千万、まことに恥ずべきことと存ずる。今こそ我らの手で積年の決着をつけようぞ」
 次郎が血塗れた太刀を突き上げて呼ばわると、周囲の野伏どもは怯えきって我先に逃げ出した。
 遠方に姿が垣間見える敵方の騎馬武者たちも、幟旗を翻し、紀ノ川沿いに後退しようとしている。
「おお、あれを見よ。偽りの守護が尻尾を巻いて逃げ出してゆくぞ」
 次郎は切っ先で指し示しながら、高々と哄笑した。傍らの九郎二郎がそれに和すると、立ち止まった馬廻りの全員に波及していった。
「武士の風上にも置けぬ臆病者よ」
 時ならぬ朗らかな笑い声が、血風の荒れ狂う谷間に響き渡り、もはやどれとも見分け難い畠山義豊の背中を見送っていた。

 勝利は多くのものをもたらす。
 紀伊の北隣の和泉国は、細川一門が上下両守護家として分掌していた。それが相次いで書状を寄越し、よしみを通じてきたのである。
「まさか、細川一族の方から」
 九郎二郎は紙面を眼下にして、素直に驚きの声を上げた。
 確かに、惣領の政元から激怒されかねない行いである。だが、義豊との対決を制した次郎の勢いは、それだけ近隣にとって脅威に映るのだろう。
「少なくとも、畠山同士の争いには細川を巻き込んでくれるな、ということだな」
「かつてはこちらの内輪揉めに鼻先を突っ込んでおきながら、ずいぶんと虫のよい話です」
 本人は苦笑したが、ここに至ってついに攻守は逆転したと言えよう。
 勝利の余勢を駆るべく、次郎はその年のうちに、根来寺の行人方ぎょうにんがたを率いて風吹峠かざふきとうげを越えた。
 和泉の信達庄しんだちしょうから日根庄ひねしょうにかけては、在地の土豪を檀越だんおつとした根来寺の勢力下にある。
 が、金剛寺こんごうじの谷間から河内へ侵入しようという試みは、遊佐、誉田など敵方の被官衆に山中で阻まれて果たせなかった。
 翌年の秋にも同じ道筋を辿って北上したが、今度は木沢きざわ、斎藤といった者たちに退路を断たれて慌てふためき、追撃を受けて逃げ帰るという体たらくであった。
 やはり他国まで攻め入り、敵を打ち倒して城郭を占拠し、長く保つというのは並大抵のことではない。
 遠路はるばる行軍してきて疲労困憊しきり、国元を離れた不安に駆られている相手を迎え撃つ方が、はるかに容易いのだ。
 結句のところは、高揚していた家中の士気を下げ、いたずらに手勢を死傷させてしまうことにもなった。
「父と同じだ。敵が憎い一心で急いでしまうと、きっと取り返しのつかないことになる」
 次郎は山中の高台でひとりつぶやいた。義豊が愚物で、おのれが名将だなどと自惚れてしまうのは危うい。
「孫子も、
 その戦を用うや久しければ即ち兵を鈍らせ鋭を挫く
 城を攻むれば即ち力屈き 久しく師を暴さばすなわち国用足らず
 と言っていたな」
 鞘のこじりを峠の土くれに突き刺し、長々と嘆息した。
                           ~(9)へ続く

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